変われない人ほど、足し続けている
人は、余計なものを足した瞬間に濁る。
行動も。
呼吸も。
判断も。
「余計なことをしない」と聞くと、
何も考えないことのように思えるかもしれない。
でもそれは違う。
むしろ、深く考える。
そして、余分なものを足さない。
思考を止めることでも、
行動を減らすことでもない。
呼吸を止めず、
行動の奥に入り込んでくる
成果
保身
期待
そういった“混ざりもの”を観て、
その都度、手放していくことだ。
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私たちは行動するとき、
無意識に何かを足している。
評価されたい。
失敗したくない。
認められたい。
傷つきたくない。
それ自体は悪くない。
自然な感情だ。
混ざった瞬間、操作が始まる。
操作が始まれば、動きは濁る。
余計なことをしないとは、
その操作を止めることだ。
掴みにいかない。
逃げない。
飾らない。
ただ、その場に在る。
祈らない。
縋らない。
何者かになろうとしない。
理(ことわり)に預ける。
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言い訳も、
過剰な説明も、
自分を守るための装飾も足さない。
そこまで削ると、
怖さが出てくる。
支えがなくなるからだ。
でも、ほとんど“無”に近づいたとき、
はじめて操作されていない本質が立ち上がる。
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余計な思念が抜けたとき、
体は勝手に整い、
思考は澄み、
判断は迷わなくなる。
それは特別な能力ではない。
もともと備わっている働きだ。
ただ、余計なものが多すぎて
見えなくなっているだけ。
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余計なことをしない。
それは消極ではない。
最も能動的な選択だ。
難しい。
だからこそ、
ここにしか自由はない。
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