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産んだら終わりだと思っていた

産んだら終わりだと思っていた。
そう言ったら語弊があるだろうか。
私の感覚に最も近い言葉なのだが、もう少し誤解の無いように言ったらこうだ。

妊娠したら出産がゴールだと思っていた。
いわゆる「結婚がゴールだと思ってた」という感覚と同じだ。

幸運なことに妊娠して、自分の身体の中で自分とは別の生き物を育て、そしてハイライトとも言える出産の日を迎える。
短いとは決して言えない妊娠期間中、私はひたすらにゴールである出産の日を目指していた。

私は妊娠するということに対して完全に無知だったし、無垢だったとも言える。

「うっ…」と口元を抑えトイレに駆け込むつわりという症状。
大きくなるお腹。
ポコポコと小さい足でお腹を蹴る胎児。
聖母のように慈悲深くほほ笑み、自らの大きなお腹に手を当て撫でさする女性。

私が妊娠に対して持っていたイメージである。

人によるが、つわりとは「うっ…」となってトイレで吐いたらスッキリ快調!万事解決!みたいな単純明快なものではない。

寝ても覚めてもひたすらにひどい二日酔いのような状態が続く生き地獄である。しかも二日酔いなら自業自得であると諦めもつくし、ある程度の時間をやり過ごせば快方に向かう。

ところが、つわりは終わりが見えない耐久戦である。
その間一瞬たりとも「スッキリ快調」を味わうことはできない。
大事なことなので2回言うが「寝ても覚めても」である。
まさに息継なしのゴールの見えない遠泳である。
人によっては産む瞬間までつわりが続くという事実を知った日の絶望。
苦痛の終わりが見えない。これが地獄でなくて何であろうか。

お腹は重いだけではない。
その中に貴重な壊れ物が入っているのだ。
それを壊してしまわぬよう、寝ても覚めても神経をとがらせ続ける日々。

出産前に産院で行う「両親学級」で、父親に胎児と同じ重さの荷物をお腹に括り付けて「この重さを母親は毎日抱えて生活しているのです」とその大変さを実感させる取り組みがある。
妊婦さんへの理解を深め、思いやりや気遣いを醸成するための試みである。

ところがあほな父親は「へん!全然軽いぜ!この状態でスクワットだって出来るぜ」と俺の脳みそは傷んでいますアピールをする。

私はそういう話を聞くたび心の中で、スクワット中の父親に飛び蹴りをくらわせ往復ビンタの刑に処す。

筋肉量の違い!
骨組みの違い!
その他妊娠してみるまで知らなかった大小様々なインナートラブル!
一時的な取り組みと10カ月寝ても覚めてもの違い!

そもそも今お前の腹に付けてる重りは生き物だ。
もし臨月の妻が「へん!全然重くねーし!」などと言いながらスクワットしたり飛び跳ねたり果敢にうつぶせ寝にチャレンジしてたらどうする?
「すっげー!かっけー!」
ってなるんか?

妊娠すると自分の身体が恐ろしい速度で変化をしていく。
急激な身体の変化に心が追い付かない女性も多いという。
自分の身体の中でグングン大きくなる生命はまるでエイリアンのようだ。
少なくとも私は、しばらくの間何とも言えない戸惑いを感じて困惑していた。
そうやって必死に命を育み守るのだ。

世の妊娠中の女性たち、あなたの夫が上記のような想像力の著しく欠如した男性であるなら、私の元へ連れてきてほしい。
しばらく寝食を共にし、脳みそを鍛えなおして差し上げたいと思う。
10万/1Wくらいで商売に出来ないだろうか?
え?高い?

かく言う私も、大きな声で他人を断罪することは出来ないのである。
若かった私は、妊婦さんはお腹が大きくて重いから不便なんだろうという浅いイメージしか持っていなかった。

実は妊婦さんというものは、お腹のせいで足元は見えづらいし、頻繁にお腹は張るし、体は浮腫んで疲れやすくなっているし、明け方足はつるし、貧血になったりするし、眠りは浅くなるし、腰やら股関節やらに激痛が走ったりするし、毛深くなるし、もうあらゆることが散々なのだ。

聖母の微笑みでゆったりとお腹に手を当て撫でさすってる場合じゃねえ!というのが正直なところなのだ。

少なくとも私の場合は、そんな穏やかさとはかけ離れた妊娠期間だった。
と…とにかく!早く!出産の日を!迎えたい!!
息も絶え絶えにその日だけを見て生きた十月十日(とつきとおか)。

九州地方が災害級の豪雨に見舞われ、ドクターたちのスマホからひっきりなしに緊急のアラートが鳴り響く中、緊急帝王切開で息子は産まれた。
「産まれましたよ~!」
看護師さんに抱かれて顔の近くに連れられてきた息子。

腹を掻っ捌かれた状態で息子の頼りない小さな指に触れると、感情はまだ追い付いていないのに自動的に涙が次から次へと溢れて止まらなくなった。

「ありがとうございます」
涙を止めるために顔面にぐっと力を入れて、赤ら顔の般若のような形相でお医者さんや看護師さんたちにお礼を言うと、むしろ彼らが聖母のような微笑みを返してくれたことを覚えている。

掻っ捌かれた子宮とお腹の処置が終わり一旦病室に戻った私は、妊娠が判明してから久方ぶりに全身で脱力した。
無事にゴール出来た。
全ては終わったのだ。

疲れ切った頭で当たり前のように、これだけの一大事業を終わらせたんだ、最低一週間はゆっくり寝たいもんだな、などと思っていた。
先ほど、あほなスクワット男を「脳みそ傷んでるのか」と罵倒したが、私こそ脳みそ傷んでんのか?である。

産んだその瞬間から怒涛の勢いで育児は始まるのだ。
最低限のお腹の処置が終わった後は、看護師さんに昼夜を問わず当然のように2時間ごとの授乳に叩き起こされた。

え…ちょ…
あ、あの…ずっとですね、私寝不足でしてね…そのまま出産で疲労困憊でね…一回休憩挟めないんですかね…8時間…続けて8時間だけ一度眠らせていただけないか…

いやぁ…
ほんとに出産後のこと何一つとしてイメージしてなかったわ…

自分の経験だけに頼ることの危険性を唱え続けてきた私であるが、経験なしには気づけないこともあるのだということを学んだ。(正確に言うと経験しなくても興味を持ち調べ想像力を働かせれば分かるのだが、当事者にならないと興味も持たないんですよね)


ハードな妊娠期間ではあったものの、その間に電車で席を譲って下さった優しい人々のことは一生忘れない。
あの時私は社会から優しさを受け取った。
今後は私が優しさを返す番である。

優しくしてくれたその人に直接返せなくても、別の誰かに別の形でお返しする。
そうやって優しさが循環する社会であったらいいなと思う。


息子を授かった時の話↓

休みの日に記事を書くと時間の制約がないから無駄に長文になってしまう…
長々とお付き合い下さりありがとうございました。

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