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土蜘蛛は、蜘蛛ではなかった

古い京都の山道で、男は一人の人影を見た。

夜は深く、雲の切れ間から差す月明かりも頼りなく、雨上がりの土と草の匂いが山肌にこもっていた。

都から離れるにつれて道は細くなり、獣道と見分けがつかなくなっていたが、それでも人が立っていることだけは分かった。

小柄な男で、異様に長い腕を垂らし、何かを待つようにこちらを見ている。

「誰だ」

男が問いかけても、返事はなかった。

刀に手をかけたところで、最初の男の背後から別の人影が現れ、そのさらに後ろからもう一人、また一人と姿を見せた。

気がつけば道の向こうには十人を超える人々が立っており、老人もいれば女もいて、子供まで混じっていた。誰も武器を持っているようには見えなかったが、こちらを見つめる視線だけは奇妙なほど静かだった。

「何者だ」

ようやく、先頭に立っていた男が答えた。

「ここに住んでいる者だ」

「名は」

その問いに、男はすぐには答えず、しばらく黙ってから、まるで自分でも不思議に思っているかのように言った。

「名などない」

「名のない民があるものか」

そう言うと、男はほんの少しだけ笑った。

「ならば、そちらで付ければいい」

数日後、彼らの集落は討たれた。

都から来た兵は山の斜面に点在していた住居を壊し、穴を塞ぎ、逃げる者を追い立て、生き残った者の一部を連行した。

抵抗した者もいたが、多くは山の奥へ散り、そこから先の記録にはほとんど残らなかった。

出来事を書き記す役人は、報告書を前にして筆を止め、上官に尋ねた。

「この者たちは、何と記録しましょう」

上官は少し考えてから、朝廷に従わぬ者と書けばよい、と答えた。しかし役人は、それでは名称にならないと食い下がった。

そこで上官は、地の穴に潜み、低い姿勢で逃げ、手足も妙に長く見えるのだから、そうした特徴が分かる呼び名にすればよいと答えた。

役人は再び筆を取った。

それが、彼らの名前になった。

百年が過ぎるころには、彼らを実際に見た者はほとんどいなくなっていた。

それでも記録だけは残り、「昔、この地には土蜘蛛という者たちがいた」と語られるようになった。

やがて、その言葉を読んだ誰かが、土蜘蛛というのだから蜘蛛なのだろう、と考え始めた。

さらに百年が過ぎると、話はもう少し具体的になった。

穴に棲んでいたのなら、人より大きな蜘蛛だったのではないか。

山中で人を襲い、糸を吐き、毒を持っていたのではないか。

そして、そんな怪物を討った者は英雄だったに違いない。

そうして物語は少しずつ形を変え、人間だったかもしれない者たちは、人間ではなくなっていった。

数百年後、一枚の絵巻には巨大な蜘蛛が描かれていた。

牙をむき、無数の脚を広げ、人を絡め取る白い糸を吐く怪物の前に、刀を構えた武者が立っている。

絵巻を見る人々は、こんな恐ろしい妖怪が昔はいたのかと驚き、それを退治した武者を英雄として称えた。

ただ、その蜘蛛の腹の模様をよく見ると、人の顔のようなものがいくつも紛れ込んでいた。

老人、女、子供。

そして一番奥には、かつて山道で名前を聞かれ、「名などない」と答えた男の顔があった。

さらに長い時間が過ぎ、現代の研究室で、私は『古事記』を開いていた。

そこに記されている「土雲」は、私たちが妖怪図鑑で見る巨大蜘蛛とはまったく違っていた。

忍坂の大室に集まり、八十建と呼ばれ、策略によって討たれた集団として描かれており、糸を吐くとも、八本脚の怪物であるとも書かれていない。

『日本書紀』を開くと、そこにも土蜘蛛がいた。

背が低く、手足が長いという異形的な描写はあるものの、やはり彼らは土地を占有し、王権に服属しない存在として記されている。

ページをめくるうちに、一つの疑問が頭から離れなくなった。

彼らはいったい、いつから蜘蛛になったのだろう。

さらに読み進めると、もっと不穏な問いが浮かんできた。

彼らは本当に、自分たちを「土蜘蛛」と呼んでいたのだろうか。

それとも、その名前は、彼らを討ち、彼らについて記録を書くことができた側が与えたものだったのだろうか。

もしそうであるなら、「土蜘蛛とは何者だったのか」という問いは、もはや妖怪の正体を探すだけの話ではない。

誰が人間として記録され、誰が異形として記録されたのか。

誰が自分の名前を残すことができ、誰が他人から与えられた名前だけを残したのか。

そして、誰が歴史を書く側に立ち、誰が書かれる側に回ったのか。

その境界を確かめるためには、もう物語を続けるだけでは足りない。

ここから先は、史料を読むしかない。

この短編の続き

古代日本における「土蜘蛛」表象の形成とその変容

――王権的他者表象から中世怪異譚への再構成――

『古事記』の「土雲」、『日本書紀』の「土蜘蛛」、さらに各地の風土記に残された記録を比較すると、現代に定着した「巨大な蜘蛛の妖怪」という像とは異なる姿が見えてくる。

本論では、土蜘蛛を単一の民族や「失われた先住民」と断定するのではなく、古代王権の歴史叙述における他者表象の一つとして再検討する。

そのうえで、なぜ王権に服属しない存在が身体的な異形として描かれ、さらに中世になると源頼光に討たれる怪異へと再構成されたのかを、記紀・風土記・中世説話・表象史の側から検討する。

また、近年進展している古代DNA研究が、この問題にどこまで迫ることができるのかについても、文献上のカテゴリーと遺伝的集団を混同しないという前提のもとで考察する。

土蜘蛛は、本当に蜘蛛だったのか。

それとも私たちは、誰かがそう呼んだ名前を、そのまま怪物の姿として受け取ってきただけなのか。

その問いから、日本古代史の「書かれなかった側」を読み直していきたい。

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