古代日本における「土蜘蛛」表象の形成とその変容
概要はこちらの記事をご参照ください
王権的他者表象から中世怪異譚への再構成
The Formation and Transformation of Tsuchigumo Representations in Ancient Japan:
From Political Otherness to Medieval Supernatural Narratives
要旨
本稿は、『古事記』『日本書紀』および諸国風土記にみえる「土雲」「土蜘蛛」の記述を対象として、その史料上の性格を検討するとともに、中世における怪異的土蜘蛛像との関係を考察するものである。現代において土蜘蛛は巨大な蜘蛛の妖怪として認識されることが多いが、8世紀に成立した古代文献においては、特定の土地に居住し、王権への服属または抵抗という政治的関係のなかに配置される存在として描かれる。本稿では、こうした記述を特定の「土蜘蛛民族」の直接的記録とみなすことを避け、王権的歴史叙述のなかで構成された他称的カテゴリーとして分析する。その際、『古事記』の忍坂における「土雲」、『日本書紀』神武即位前紀における「土蜘蛛」、さらに風土記にみえる地域的に多様な土蜘蛛記事を比較し、名称の共通性が必ずしも民族的・生物学的同一性を意味しないことを論じる。さらに、中世の『土蜘蛛草紙』および源頼光を中心とする土蜘蛛退治譚について、古代の政治的他者が単純に妖怪へ「変化した」とする一系統的理解を退け、古代的他者表象が中世の武家文化、説話、怪異観および文学的伝統のなかで再構成された過程として位置づける。最後に、近年進展する古代ゲノム研究との接続可能性について検討し、「土蜘蛛DNA」という遺伝学的カテゴリーを先験的に設定することは不可能である一方、土蜘蛛伝承地域における人口動態を考古ゲノム学的に分析することには研究上の可能性があることを指摘する。
キーワード: 土蜘蛛、土雲、古事記、日本書紀、風土記、神武東征、他者表象、王権、怪異、土蜘蛛草紙、古代DNA
1.はじめに
「土蜘蛛」は、日本の妖怪文化を論じる際にしばしば巨大な蜘蛛の怪物として扱われる。とりわけ源頼光とその郎党による土蜘蛛退治譚は、中世以降の説話、絵巻、能、さらに近世の芸能や絵画へと展開し、土蜘蛛を代表的な怪異の一つとして定着させた。しかし、この後世的イメージをそのまま古代へ遡及させることはできない。現存する古代文献に現れる「土雲」または「土蜘蛛」は、少なくとも叙述上は、巨大な節足動物としてではなく、一定の土地を占有し、複数の成員からなる集団を形成し、王権による服属・征討の対象となる存在として描かれているからである。
この差異は、土蜘蛛研究に二つの異なる問題領域が存在することを意味する。第一は、『古事記』『日本書紀』および風土記における「土蜘蛛」が何を意味するカテゴリーであったのかという古代史・古代文学上の問題であり、第二は、その名称が中世以降にいかなる過程を経て超自然的な蜘蛛の怪物と結びついたのかという説話史・表象史上の問題である。両者は相互に関連するものの、直接的かつ連続的な変化として扱うべきではない。
とりわけ問題となるのは、古代史料中の土蜘蛛を実在した単一の民族集団とみなしうるかという点である。従来、土蜘蛛については、ヤマト王権に服属しなかった先住的あるいは在地的な勢力を指すものとして説明されることが多かった。しかし、「王権に服属しない在地勢力」という性格が認められることと、それらが民族的、言語的、文化的、あるいは生物学的に単一の集団であったこととは論理的に別問題である。大和、常陸、豊後、肥前など地理的に離れた地域に「土蜘蛛」記事が存在する以上、この呼称が王権側による分類・表象のための名称であった可能性を検討する必要がある。
本稿の目的は、「土蜘蛛の正体」を特定の民族に同定することではない。むしろ、古代国家形成を叙述する文献のなかで、政治秩序の外部に位置づけられる人々がいかなる語彙と身体表象によって記述され、その表象が後世の文化環境においていかに再利用されたのかを明らかにすることにある。
2.史料と方法
本稿では、第一に712年成立の『古事記』、第二に720年成立の『日本書紀』、第三に8世紀に編纂された諸国風土記を、古代における「つちぐも」表象を検討する主要史料とする。ただし、これらを記述対象となった時代の同時代記録として扱うのではなく、それぞれの編纂時点において過去がいかに叙述されたかを示すテクストとして利用する。
とりわけ神武東征関係記事については、この方法論的留保が不可欠である。『古事記』『日本書紀』の神武記事が描く出来事を、その叙述年代そのものの政治史として直接利用することはできない。したがって、本稿が分析対象とするのは、神武東征の「史実性」ではなく、8世紀の王権的歴史叙述が支配領域の形成をいかなる語彙で説明したかという点である。
また、中世の土蜘蛛については、『土蜘蛛草紙』および源頼光系の土蜘蛛退治説話に関する先行研究を参照し、古代史料との語彙的・表象的連関を検討する。ただし、中世作品を古代史の史料として遡及的に使用することはしない。
さらに、古代DNA研究については、土蜘蛛の民族的実体を証明する手段としてではなく、古代日本列島における人口構造の地域差と時間的変化を示す独立した自然科学的資料として参照する。文献上のカテゴリーと遺伝的クラスターを同一視しないことを、本稿における基本的な方法上の原則とする。
3.『古事記』における「土雲」 忍坂の八十建
現存する日本の文献における「つちぐも」の古い用例として重要なのが、『古事記』中巻の神武東征記事である。そこでは、神倭伊波礼毘古命が大和を平定する過程で忍坂の大室に至り、「尾生る土雲、八十建」がそこに存在したと記される(山口・神野志 1997)。
この箇所では「土蜘蛛」ではなく「土雲」の字が用いられている。注目すべきは、土雲が巨大な蜘蛛として描写されるのではなく、「八十建」という多数の勇猛な者から構成される集団として叙述されていることである。神武側は彼らを排除するにあたり、宴を設け、多数の膳夫に刀を持たせ、歌を合図として一斉に斬殺するという策略を用いる。
この物語の構造は、後世の源頼光による怪異退治とは根本的に異なる。ここに描かれているのは、少なくとも物語世界の内部では、超自然的存在と人間との戦闘ではなく、支配領域を拡大する勢力と、それに組み込まれていない集団との政治的・軍事的対立である。
もっとも、「尾生る」という異形的要素がすでに付加されていることは無視できない。これは土雲が単なる政治的敵対者ではなく、王権側の叙述において身体的にも他者化されていることを示唆する。ただし、その記述から実在した集団の身体形質を推定することはできない。ここで確認できるのは、「通常のわれわれ」と「征服される彼ら」との差異が、身体の異形性によって可視化されているという表象上の事実である。
4.『日本書紀』における「土蜘蛛」 非服属と身体的異形
『日本書紀』神武天皇即位前紀には、「土蜘蛛」という表記が明確に現れる。高尾張邑の土蜘蛛については、「身短而手足長、与侏儒相類」とされ、身体が低く手足が長いという異形的特徴が記述される。また、皇軍が葛を結んで網を作り、土蜘蛛を襲撃・殺害したことを高尾張邑から「葛城」への地名変化と関連づける説話が収録されている(小島ほか 1994)。
この記述において重要なのは、政治的な非服属性と身体的異質性とが相互に関連づけられていることである。『日本書紀』では、土蜘蛛は単に軍事的抵抗勢力として排除されるのではなく、王権の秩序に対する外部性を身体的異形によっても表象されている。
したがって、この記述から「短身長・長肢の民族」が古代大和に存在したと推論することは適切ではない。問題となるべきなのは、なぜ政治的な他者が身体的にも「異なる人間」として叙述されたのかである。
ここには、王権的歴史叙述が政治的包摂と排除を身体表象へ変換する作用を認めることができる。もっとも、この現象を直ちに近代的な意味での「民族差別」や「人種表象」と同一視することも慎重でなければならない。8世紀のテクストを近代以降の分類概念によって説明することは、異なる時代のカテゴリーを混同する危険を伴うからである。
5.風土記における土蜘蛛と地域的多様性
土蜘蛛を特定の単一民族とみなす理解に対して最も大きな問題を提起するのは、その地理的分布である。土蜘蛛またはこれに類する名称は、大和に限定されず、常陸、豊後、肥前などの風土記にも現れる。永藤(2009)が『肥前国風土記』の土蜘蛛記事を個別に検討しているように、それぞれの土蜘蛛伝承は各地域の地名起源、土地支配、首長伝承などと固有の関係を有している。
この地理的広がりを説明するためには、少なくとも二つのモデルを区別する必要がある。一つは、共通する民族的・文化的背景を有する集団が広域に分布し、その集団が共通して土蜘蛛と呼ばれたとするモデルである。もう一つは、実態としては異なる各地域の集団が、王権または編纂者側の分類原理によって共通して「土蜘蛛」と記述されたとするモデルである。
現在の史料から第一のモデルを積極的に立証することは困難である。土蜘蛛が自己認識として共有した名称であったことを示す同時代史料もなく、共通言語、共通墓制、共通物質文化などによって全国の土蜘蛛を一つの考古学的集団へ統合する根拠も確認されていない。
したがって、少なくとも分析上は、「土蜘蛛」を一つの民族名として前提化するより、王権的あるいは地域的歴史叙述において他者を分類するために使用されたカテゴリーとして扱う方が方法論的に安全である。
ただし、「土蜘蛛=反ヤマト勢力」という単一の説明へ還元することも避ける必要がある。各風土記の記事は成立事情も伝承内容も異なっており、個々の史料を地域的文脈から切り離せば、土蜘蛛という名称がもっていた意味の多様性そのものを見失うことになる。
6.土蜘蛛は民族名だったのか カテゴリーとしての再検討
以上から、「土蜘蛛」を歴史的実体として論じる場合には、少なくとも三つの水準を分離する必要がある。
第一は、史料中に「土蜘蛛」「土雲」という名称が実際に存在するというテクスト上の事実である。第二は、その記述の背後に、王権に容易に統合されなかった地域集団や首長勢力の記憶が存在した可能性である。第三は、それら複数の集団が民族的・遺伝的に同一の「土蜘蛛族」を構成していたという仮説である。
第一は史料によって確認できる。第二は十分検討に値する歴史的仮説である。しかし第三を支持する直接的証拠は、現時点では認め難い。
この区別を行うことによって、「土蜘蛛はどこへ消えたのか」という問いも再構成できる。もし土蜘蛛が固定的民族名ではなく、王権との特定の政治的関係を示す他称的カテゴリーであったならば、服属や政治的再編によってその関係が解消された時点で、「土蜘蛛」という名称もまた社会的意味を失いうる。
すなわち、人々が物理的に絶滅しなくても、「土蜘蛛」は歴史上から消滅できるのである。
この点は、古代国家形成を理解するうえでも重要である。政治的統合とは、必ずしも外部集団の殲滅ではなく、その分類体系そのものの変更を伴うからである。
7.古代の政治的他者から中世の怪異へ
中世において、土蜘蛛の意味は大きく変化する。源頼光とその郎党による退治譚のなかで、土蜘蛛は超自然的な怪異として再構成され、『土蜘蛛草紙』や後世の能などを通じて、蜘蛛の妖怪としてのイメージを強めていく。
この変化について、本多(2017)は、記紀において朝廷に服属しない地方勢力として語られた土蜘蛛が、中世のお伽草子の武家物の文脈において妖怪退治譚として再構築されたことを指摘している。この理解は、古代の土蜘蛛と中世の蜘蛛妖怪を同一の実体が連続的に変化したものとして捉えるのではなく、同じ名称および他者性の記憶が異なる文化的文脈のなかで再意味化されたものとして理解する必要性を示している。
したがって、「征服された先住民が妖怪にされた」という命題は、魅力的である一方、そのままでは歴史学的説明として単純すぎる。古代の土蜘蛛記事と中世の怪異譚との間には数世紀の時間的隔たりがあり、その間に武家社会、軍記文学、仏教的怪異観、漢文学、説話伝承など複数の文化要素が介在するからである。
むしろ注目すべきは、古代から中世へ保持されたものが実体としての「土蜘蛛族」ではなく、「秩序の外側から現れる、征討されるべき異質な存在」という表象的機能であった可能性である。
この観点からみれば、中世の怪物化は古代の土蜘蛛の直接的な「進化」ではない。それは、古代王権が形成した他者表象を、中世社会が自らの政治的・文学的環境に適合させて再利用した結果と考えるべきである。
8.古代ゲノム研究は「土蜘蛛」を検証できるか
近年の古代DNA研究は、日本列島の人口史について従来よりはるかに高い解像度を提供しつつある。弥生時代および古墳時代のゲノム研究によって、縄文系祖先成分と大陸由来祖先成分との混合、地域差、時期差について具体的な分析が可能になった。
例えば、Kim et al.(2025)は土井ヶ浜遺跡の弥生人の全核ゲノムを解析し、縄文関連祖先成分と朝鮮半島に近縁な祖先成分との混合を検討している。また、Kim et al.(2026)は北西九州の複数の弥生人を解析し、ほぼ縄文系祖先を保持する個体と大陸系との混合を示す個体が同時期・同地域に存在したことを示した。こうした結果は、弥生時代の人口構造自体が地域的にも個体間でも複雑であったことを示している。
この知見は、「土蜘蛛DNA」という概念を設定することをむしろ困難にする。
その理由は二重である。第一に、文献上の土蜘蛛を特定の考古学的人骨に対応させる独立した証拠が存在しない。第二に、仮に「土蜘蛛」と記述された複数の地域勢力が実在したとしても、それらが同一の遺伝的集団であった保証はない。
したがって、「土蜘蛛の墓からDNAを採取して土蜘蛛の子孫を探す」という研究デザインは、歴史学上のカテゴリーを遺伝学的カテゴリーへ無媒介に変換するという方法論上の問題を抱える。
一方で、より限定された研究課題は成立しうる。例えば、土蜘蛛伝承が記録された地域について、縄文末期から弥生・古墳期にかけての古人骨を対象としてゲノム解析を行い、人口流入、在地集団との混合、地域的遺伝構造の変化を検討することは可能である。その結果を墓制、集落構造、物質文化、古地理および文献伝承と比較することで、王権形成期に生じた人口学的変化を議論できる。
ここで検証されるのは「土蜘蛛の遺伝子」ではなく、土蜘蛛伝承が形成された地域社会の人口史である。
9.考察 「異形化」という政治的記憶
古代文献から中世文芸までを通観すると、土蜘蛛表象には一つの特徴的な現象を認めることができる。それは、政治的な外部性が次第に身体的・怪異的な外部性へ変換されていくことである。
ただし、この変化を一直線に描くことはできない。『古事記』の「尾生る土雲」や『日本書紀』の身体的異形描写をみれば、異形化そのものはすでに古代史料の段階で存在している。一方、中世の土蜘蛛はそれを単純に継承するだけではなく、源頼光説話や武家文化のなかで新たな意味を獲得している。
したがって、より適切なのは「人間が妖怪になった」という生物学的・実体的変化ではなく、人間集団をめぐる政治的記憶が、時代ごとに異なる他者表象へ翻訳されたと理解することであろう。
国家形成期の王権的叙述においては、その翻訳は「服属しない異形の人々」という形式をとった。中世武家社会においては、「英雄によって討伐される怪異」という形式をとった。そして近世以降、蜘蛛の妖怪という視覚的イメージがさらに強化され、現在一般に理解される土蜘蛛像が成立していった。
このように考えるならば、土蜘蛛研究の中心的問題は、「土蜘蛛という民族が本当にいたか」という二者択一的な問いではない。むしろ、ある時代に現実に存在した政治的・地域的対立が、どのような言語によって記憶され、その記憶が後世においていかに変形されたのかを問うことにある。
10.結論
本稿では、『古事記』『日本書紀』および風土記にみえる土蜘蛛・土雲記事を、中世以降の妖怪像からいったん切り離し、古代国家形成をめぐる他者表象として再検討した。
第一に、『古事記』の忍坂における「土雲」および『日本書紀』の「土蜘蛛」は、後世の巨大蜘蛛の妖怪とは異なり、特定地域に存在し、王権との政治的関係のなかで語られる集団として描かれている。しかし、これを特定の「土蜘蛛民族」の直接的記録とみなす根拠は十分ではない。
第二に、土蜘蛛伝承が複数地域に分布していることから、その名称を単一民族の自称とするよりも、異なる地域の集団を王権側から分類した他称的カテゴリーであった可能性を検討する必要がある。ただし、すべての土蜘蛛記事を一律に「反ヤマト勢力」として説明することも避けるべきであり、各地域伝承の個別分析が必要である。
第三に、中世に成立する怪異的土蜘蛛像は、古代の政治的敵対者がそのまま妖怪へ変化したものと説明することはできない。古代に形成された「秩序の外部に存在する異質な者」という表象が、中世の武家文化、説話、怪異観および文学的伝統によって再構成されたと考える方が妥当である。
第四に、古代ゲノム研究によって「土蜘蛛DNA」を直接同定することは、現時点では方法論的に成立しない。文献上の名称と遺伝的集団との対応関係が確立していないためである。しかし、伝承地域における人口動態を古代DNA、考古学、歴史地理学によって検討する学際研究は十分可能であり、土蜘蛛伝承の社会的背景を理解する新たな方法となりうる。
以上から、土蜘蛛の歴史的重要性は、未知の「先住民族」を発見することにあるのではない。それはむしろ、古代日本における国家形成の過程で、政治秩序の外側にいた人々がどのように分類され、異形化され、その記憶が数百年後に怪異として再構成されたのかを検討するための重要な事例を提供する点にある。
「土蜘蛛」は、妖怪の名称である以前に、誰を「われわれ」に含め、誰をその外側へ置くのかという、古代社会の境界形成を映し出す言葉だった可能性がある。今後の研究では、この仮説を所与の結論とするのではなく、個々の史料、考古資料、地域史および古代ゲノム資料の相互独立性を維持しながら検証していく必要がある。
注
本稿では「土蜘蛛」「土雲」を特定の民族集団の存在を前提とする用語として使用せず、原則として古代文献中に現れる表象・呼称を指す分析概念として用いる。
『古事記』『日本書紀』における神武東征記事は、その叙述対象となる時代の同時代史料ではない。本稿では神武東征の歴史的実在性そのものを論証対象とせず、8世紀の王権的歴史叙述における他者表象を分析対象とする。
「他称的カテゴリー」という表現は、土蜘蛛と呼ばれた各集団が共通する自己認識を有していなかったことを証明するものではなく、少なくとも現在利用可能な史料からそのような自己認識を確認できないという史料上の制約を示す。
本稿でいう「異形化」は、生物学的身体形質を意味するものではなく、政治的・文化的他者が通常とは異なる身体として記述される表象上の操作を指す。
忍坂の「土雲」と後世の忍者との系譜的関係を立証する史料は確認されていない。両者を結びつける議論は歴史学的仮説ではなく、現状では伝奇的想像の領域に属する。
同様に、「土蜘蛛」を縄文系集団その他の特定の遺伝的集団と同定することも、現在の考古ゲノム資料からはできない。
参考文献
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研究上の限界
本稿には三つの主要な限界がある。第一に、古代文献における「土蜘蛛」がどの程度実在集団についての記憶を保持しているかを、本稿の文献分析のみから決定することはできない。第二に、各地の土蜘蛛記事について地域考古学との詳細な照合を行っておらず、「土蜘蛛」という語が地域ごとに同じ機能を有したかについては今後の個別研究を要する。第三に、古代ゲノム研究は急速に進展しているものの、現時点のサンプル数と地域分布には偏りがあり、特定地域の政治的・文化的カテゴリーを遺伝的集団へ対応させるには不十分である。
したがって、本稿の結論は「土蜘蛛の実体」を確定するものではなく、土蜘蛛を単一民族あるいは単純な妖怪起源論として扱うことの問題点を示し、文献史学、考古学、表象史および考古ゲノミクスを接続するための方法論的枠組みを提示するものとして位置づけられる。
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