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【雨季の宿】第二章🦎目が覚めたとき、部屋に満ちていた濃密な夜は、すでにその輪郭を失っていた。

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【雨季の宿】第二章🦎目が覚めたとき、部屋に満ちていた濃密な夜は、すでにその輪郭を失っていた。

眠りが深かったのか、それとも単に意識が泥の中に沈んでいただけなのか、判別はつかない。

だが、身体の底にべったりと沈殿していた重みは、確かにいくぶんか削ぎ落とされていた。

枕に残る安っぽい香水の匂いも、財布から紙幣が数枚抜き取られていたことに対する微かな違和も、すでにどうでもいいこととして遠くへ押しやられている。

壁のトッケーは、すでに姿を消していた。

用を済ませて闇へ帰ったのか、あるいは視界に入らない隙間に潜んで、いまもこちらを窺っているだけなのかもしれない。

きしむベッドからゆっくりと起き上がり、共同の水浴び場へ向かう。

朝の空気は相変わらず湿り気を帯びているが、夜のねっとりとしたそれとは異なり、肺の奥まで吸い込める程度の軽さがあった。

頭上の錆びついたパイプから、生ぬるい水を被る。

赤土の匂いのする水が頭から流れ落ち、背中を伝い、ひび割れたタイルへと吸い込まれていく。

その無機質な流れが、脳の襞にこびりついた夜の残滓を洗い流す。

感傷も後悔も、ここではただ物理的な刺激として処理され、排水溝へと消えていく。

それで充分であった。

薄暗いフロントへ戻ると、ランニングシャツ姿の主がすでに起きていた。

彼はプラスチックの椅子に深く腰掛けたまま、何も言わず、ただ値踏みするような目でこちらを見据えている。

わたしは片言のタイ語と英語を継ぎ接ぎして、朝食を頼んだ。

正確に伝わったかどうかは怪しいが、主は短く顎をしゃくった。

テーブルで煙草をふかしていると、奥から粥(ジョーク)が運ばれてきた。

盆を持っていたのは、昨夜の女であった。

彼女は何事もなかったかのような、ひどく無表情な顔で、わたしの前に器をドンと置いた。

視線が一瞬だけ交差するが、そこには親愛の情も、金をくすねたことへの罪悪感も、微塵も見当たらない。

彼女にとって、夜の行為も、手癖の悪さも、そしていま粥を運んでいることも、すべては生活というベルトコンベアの上を流れる同一の作業に過ぎないのだろう。

わたしも、それ以上の意味を彼女に求める気はなかった。

粥は舌を焼くほど熱く、そのくせ味はほとんどなかった。

ナンプラーを回しかけ、ただ黙々と胃の腑へ流し込む。

その味気ない単純さが、かえってひどく落ち着いた。

身体がゆっくりと、この土地の現実へと接続されていく。

ここから先の目的地、カブトムシの棲む森、へ向かうには、足が必要であった。

そして何より、狂った葉脈のようなこの地の道を知る者が。

わたしは主に尋ねた。

目的地への行き方と、ガイドの必要性を。

言葉は途切れ途切れであり、要求が正確に伝わっているかは定かではない。

それでも、主はすべてを悟ったかのように立ち上がり、店の奥へ向かって怒鳴り声を上げた。

やがて、寝ぐせをつけたひとりの若者が気怠そうに現れた。

細い目に、浅黒い肌。

さきほどの女と、どこか骨格の似た顔立ちをしている。

主は親指で彼を指し示し、短く言った。

「ブラザー」

それが実の弟なのか、ただの同郷の若い衆を指すスラングなのか、それ以上の説明は一切なかった。

だが、それで充分であった。

彼に連れられ、表へ出る。

朝の容赦ない光の中で見るこの町は、昨夜とはまったく異なる顔を晒していた。

闇の中で不気味な輪郭だけを主張していたものが、いまは白日の下に貧しい細部までを露わにしている。

しかしすべてが見えすぎる分だけ、風景はかえって現実感を欠き、書き割りのように平坦に見えた。

アスファルトの舗装など、とうの昔に途切れている。

地面は乾いた赤土と、昨夜の雨が残した粘つく泥だまりで構成されていた。

木造の家々は不自然なほど低く、内と外との境界は曖昧であり、人と、犬と、家畜とが、何の区別もなく同じ淀んだ空間を共有している。

ブラザーはぬかるみを迷わず進み、一台の年季の入ったオフロードバイクの前で足を止めた。

泥にまみれ、本来の色すらわからない代物だ。

報酬に関する交渉らしいやりとりは、ほとんどなかった。

短い単語と、冷めた視線の交換。

ただそれだけで、この日のわたしの命は彼に預けられた。

わたしは黙って後部シートにまたがる。

免許もヘルメットも、この場所では一切の意味を持たない。

キックスターターが蹴り下ろされ、耳をつんざくようなエンジンの破裂音が響く。

暴力的な振動が股ぐらを伝い、背骨を貫く。

そして、バイクは唐突に前へと弾け飛んだ。

道は、道と呼ぶにはあまりにも凶暴であった。

赤土の上に、雨季にえぐられた無数の深い轍(わだち)が硬く固まっている。

それらが複雑に交差し、重なり合い、どこが正しい経路であるのかを完全に狂わせている。

ブロックタイヤはその不規則な起伏を強引になぞり、ぬかるみで大きく滑り、岩の隆起で跳ね上がった。

わたしはブラザーの汗ばんだ背中にしがみつく。

振り落とされれば、ただでは済まない。

生き残るために、ひたすらグリップを保つことだけに集中する。

身体は上下左右に容赦なく揺さぶられ、胃や腸といった内臓が、わずかに遅れて肉の檻の中でぶつかり合う。

その物理的なズレが、奇妙な眩暈と浮遊感を生み出していく。

視界は断続的に明滅し、流れる風景はもはや連続した像を結ばない。

それでも、わたしたちがどこかへ向かって猛烈に「進んでいる」ことだけは確かであった。

やがて、荒れ狂う地面の質感が変わった。

泥の粘りが減り、道はわずかに平坦さを取り戻す。

視界が開け、道の両側に、鏡のように水を張った広大な湿地帯が現れた。

そこに、数頭の水牛が立っていた。

岩のように巨大で黒い身体を泥水に半ば沈め、彼らは微動だにしない。

ただ、虫を払うためにゆっくりと尾を振り、大きな耳をパタパタと揺らすだけだ。

その動きは極端に遅く、まるで彼らの周囲だけが、粘度の高い別の時間に支配されているかのように見えた。

水の縁には、日に焼けた子どもがひとり立っていた。

裸足のまま、土にまみれた顔で、ただこちらを見つめている。

その瞳には笑いも、驚きも、好奇心すらない。

ただ「通り過ぎる無害な騒音」として、風景の一部として、わたしたちを受け流しているだけである。

バイクはその脇を容赦なく通り抜ける。

跳ね上がった泥水が、わたしの足首を濡らす。

その不快な冷たさが一瞬だけ意識を現実へと引き戻すが、すぐにまた圧倒的なエンジンの振動に上書きされていく。

遠くの森の切れ間から、白い煙が細く立ち上っている。

誰かの生活の気配が、ゆっくりと重い空へ溶けていく。

ブラザーは一切、速度を緩めない。

この絵画のように穏やかな風景に対して、敬意を払う理由など存在しないかのように、スロットルを開けたまま突き進む。

果てしない静寂と、暴力的な速度。

緩やかな時間と、制御不能な振動。

相反するそれらは互いに干渉することなく、この奇妙な空間に同時に並び立っていた。

どれほどの時間を走ったのか、すでに感覚は麻痺していた。

時間は細かく砕け散り、距離という概念もまた熱気の中で蒸発していた。

やがて、バイクは不意に減速し、土煙を上げて止まった。

ブラザーがエンジンを切ると、爆音が消え去り、耳鳴りとともに世界が急に軽さを取り戻す。

そこは、森に半ば飲み込まれかけたような小さな集落であった。

高床式の粗末な家々が、赤土の地面に溶け込むように点在し、細く煙が立ち上っている。

ここでもまた、家と外、人と森との境界は極めて曖昧であり、自然の浸食を拒む意志すらないように見えた。

ブラザーは何も言わずにシートから降りる。

わたしも強張った足をなだめるようにして、それに倣う。

どこからともなく老人が近づいてきて、ブラザーと短く頷き合う。

それだけで、必要な情報の伝達はすべて完了したらしい。

しばらくすると、欠けた湯呑みで茶が運ばれてきた。

土の匂いのする湯気を立てるそれは、これといった味を持たない。

ただ温かい液体として、埃にまみれた喉を洗い流すように落ちていく。

気がつくと、集落の子どもたちがわらわらと集まってきていた。

ひとり、ふたりと無言のまま増え、適度な距離を保ちながらわたしの周囲をぐるりと取り囲む。

ファランという異物は、彼らにとっては格好の見世物なのだろう。

やがて、その中のひとりが少しだけ前へ出た。

小さな両手で、大切そうに何かを持っている。

そして、それをわたしに見せつけるように、誇らしげに差し出した。

赤錆と土にまみれ、黒く変色した重々しい金属。

原形を半分失いかけたそれは、かつて確実に弾体、砲弾や爆弾、であったものの残骸である。

すると、もうひとりの子どもが、競うように別のものを持ってきた。

円盤状の、無骨で腐食した塊。地雷であったもの。

あるいは、地雷であったものの名残。

中の火薬が完全に抜かれ、無力化されているのかどうか、素人のわたしには外見から判断する術がない。

だが子どもは、そんなわたしの緊張をよそに、泥だらけの指でその金属の表面をコンコンと軽く叩いてみせた。

中身が空洞であることを示す、乾いた音が鳴る。

その不釣り合いなほどの軽さが、かえって背筋が冷えるほど不自然に思えた。

煙草をふかしていたブラザーが、横から低く濁った声で言う。

「オールド……ボム」

彼は大げさに肩をすくめ、吐き捨てるように付け加えた。

「キッズ……ピック。セール」

子どもたちは森の中でこれらを拾い、稀にやってくる物好きな余所者に売るのだという。土産物として。

わたしは、子どもたちの手の中にある金属の塊をあらためて見つめた。

かつては人肉を引き裂き、すべてを破壊するためだけに存在したものが、いまはこうして、無邪気な商売の道具として扱われている。

殺意という本来の目的はとうの昔に消え失せ、無惨な形だけが残る。

そして、それに群がる子どもたちによって、まったく別の歪んだ意味が与えられている。

子どもたちは、拾い集めた死の欠片を誇らしげに掲げている。

それがかつてどれほど危険であったかは、彼らにとって何の問題でもない。

それが「そこにある」、そして「金になる」という事実だけが、この集落における唯一の真実なのだ。

わたしは冷めかけた茶を一息に飲み干した。

振り返ると、ブラザーはすでにバイクにまたがり、エンジンをかける準備をしていた。

子どもたちは、買わないとわかった後も、まだこちらをじっと見つめている。

その視線には、戦争への恐れも、貧しさへの悲壮感もない。

ただ、日常に対する強烈な慣れと、わずかな興味だけが張り付いている。

わたしは何も言わず、彼らに背を向け、再びバイクのシートにまたがった。

咆哮とともにエンジンが目覚め、暴力的な振動がわたしの身体に戻ってくる。

集落は、子どもたちも、老人も、死の残骸も、そのままそこに取り残されていく。

すべては昨日と同じように、変わらず存在し続けるのだろう。

ただ、わたしという異物だけがそこから切り離され、再び無軌道な進行の中へと力ずくで引き戻される。

ブラザーは一度も振り返ることなく、スロットルを捻った。

バイクが泥を跳ね上げて動き出す。

その瞬間、束の間の静けさは後方へと一気に押し流され、血の巡りを狂わせるような振動だけが、再びわたしの世界のすべてとなった。

第三章へ続く

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