このたび、書く部を卒業しました。泣
卒業って寂しいものなのに。わたしは、卒業を自分で決めた。大人になると、終わりを自分で決めない限り、ずっとその場所にいることができる。
それは、自由だ。
居心地がよければよいほど、安心して、わたしは、そこに居座って、甘えてしまう気がする。もうそろそろ、ここから動かなきゃ。
書く部は、とても落ち着ける大切な場所。
最も信頼できる場所。
あたたかくて、やさしくて、
書けない日も、書けた日も、
わたしの居場所がそこにあった。
だからこそ、
卒業を決めるのが、
とてもむずかしかった。
書くとすぐ読んでくれる仲間。
やさしいコメントをくれる仲間。
いっしょによろこんでくれる仲間。
あたりまえのようにそこにいてくれる。
この場所を離れることはこわかった。
スキも減るだろう。
でもきっと、
それが純粋な反応なのかもしれない。
わたしは、それを見てみたかった。
実際に書く部をやめてから、
スキの数が減ったし、
偶然だけどフォロワーの数もガクッと減った。
定期的に来ていた通知が、
音を立てない時間ばかりになった。
減っていく通知と反比例して、
わたしの不安は増えていく。
この判断は正しかったのだろうか。
わたしは、大切な場所を失ってまで、
何をしたかったのだろうか。
まいにち考えた。
それなのに、書けない時間が増えた。
書く部をやめて、失ったものはたくさんある。スキや通知、いつでも書く仲間に会える場所。ひとりになった気がした。
書くって、やっぱり孤独なんだ。
書く部があったから、わたしは365日連続で書くことができたし、1年4ヶ月もnoteを続けることができている。
どう書けばいいか、
なにを書けばいいか、
なんにもわからなかった。
書く部に入って、
たのしく書くを覚えた。
そして、書くと結婚した。
書くが好きな仲間ができた。
書けない日もまいにち書いた。
それは、ぜんぶ、書く部のおかげ。
書き続けても、書き続けても、スキもフォロワーも仲間も、ぜんぜん増えなかったら。ポキっと心が折れているだろう。
ああ、この感じわかる。note始めたばかりで右も左もわからないとき、こんな感じで不安ばかりだったな。そんな気持ちを思い出せた。
静けさの中で、自分の声が、少しだけ大きく聞こえるような気がする。「どう思われるか」よりも先に、「わたしはどう書きたいんだろう」が浮かぶようになった。
反応がないのは、こわい。
でも、反応がないからこそ、
わたしはごまかせなかった。
書くことを誰かのやさしさに預けないで、
自分の足で立ってみたかったのかもしれない。
卒業って、寂しい。
でもきっとこれは、
わたしが変わりたいと思った証拠でもある。
居心地のよさを手放すのは、痛い。
だけど、その痛みの奥に。
次のわたしが手招きをしている。
ここまで、おいで。
また、挑んでみよう。
何のこと言ってるのか
わからないけれど、
とにかく次に行かないといけない気がして。
理由もわからず、
書く部を飛び出した。
きっと、また、
つらくなったら帰るのだろう。
みなさんにギュッとしてもらいに、
甘えに、戻ってしまうだろう。
でも、いまは、
そのやさしさに甘えちゃいけない気がして、
ひとりで歩いてみたくて。
さようならも言わずに、去ってしまった。
大好きな場所ほど、
離れるのがいちばんむずかしい。
こんな形でごめんなさい。
わたし、書く部を卒業しました。泣
ことばとさん、みなさん、
ありがとうございました。
これからも、仲良くしてもらえるとうれしいです。
