④『「100分de名著」ブックス ニーチェ ツァラトゥストラ』西研(2012・NHK)/ 第3章 永遠回帰とは何か
もしある日またはある夜、デーモンがあなたの最もさびしい孤独の中にまで忍び寄り、こういったらどうだろうか。『おまえは、おまえが現に生き、これまで生きてきた人生をもう一度、さらに無限に繰り返し生きねばならないだろう。そこには何一つ新しいものはなく、あらゆる苦痛と快楽、あらゆる思念とため息、おまえの人生のありとあらゆるものが細大洩らさず、しかもそのままの順序で戻ってくる。ーーこの蜘蛛も、木々の間から洩れる月光も、そしてこの今の瞬間も、このおれ自身も』。(中略)この思想があなたを支配するとしたら、それはこれまでのあなたを変貌させ、しょっとしたら打ち砕くかもしれない。何ごとにつけても、『おまえはこのことをもう一度、さらに無限に繰り返して、欲するか』という問いが、最大の重しとなってあなたの行動のうえにのしかかるだろう! あるいは、この最終的な永遠の確認と封印より以上に何物も欲しないためには、どれほどあなたは自分自身と人生とを愛さねばならないだろうか?」
↑ これがニーチェ先生の原文で、西先生の解説がこう。↓
人生のあらゆるものが永遠にそっくりそのまま戻ってくることが「永遠回帰」なのすが、その思想をあなたは「打ち砕く」かもしれない、とニーチェはいいます。なぜなら、自分が忘れてしまいたい最悪の過去も戻ってくるからです。きわめて貧困で劣悪な家庭環境に育ち、だからこそ、豊かで幸せな家族を夢見てがんばってきた人がいるとしましょう。しかしその人がいくらがんばっても、幼いときの貧困で劣悪な家庭環境はふたたびめぐってきてしまう。つまり、永遠回帰がもし真実であるとすれば「こんな過去はなかったことにしたい」という思いで必死に頑張っている人は絶望してしまうかもしれません。
先生、この絶望は人によりませんかっ?
来世でも、今と全く同じ人生が巡ってきたとして。今世が辛くて不幸でアンラッキーだった人は来世でもまた同じように絶望するのやもしれません。
が、その絶望。全てとは言いませんが半分以上はガチャの当たり外れのようにしか思えない(遺伝と環境の)。
私はおそらく虐待育ちなのですがーーー
ーーーちょっと話逸れますが、今から十数年前のことです。祖母にこう言われたことがある。
「一家の経済(母)を守るためには(おまえが父にボコされることは)仕方がなかった。アレ(日常的な父の激昂と怒鳴りちらし)がお母さんに向いてたらどうなっていたか考えてみろ!(鬱、破綻、離婚)。だからアレはアレでよかったの。アレがあんたの仕事だったの!」と。(父が幼き孫=うちの長女をイジメ始めた時に激怒した私が実家にのりこんで父母祖母と大喧嘩をした折のことです)。
こんな家庭環境だったわりに、私自身が元気で頑丈トラウマ後遺症の類なども特になかったので、果たしてあれを「虐待」などと呼んでいいものかどうかと随分長いこと分類すべきカテゴリを保留にしておったのですが、この祖母の証言により、己が「あえての人身御供」「生贄」であったというウラがとれたため、これ以降は「虐待サバイバー」のカテゴリに自分を入れてもいいんじゃないか・・・という判断に至っておりますーーー
話戻って、私は虐待育ちなのですが、再び、そっくりそのままあの幼少期を繰り返したとしても、私は来世でも今世と同じように「うまいことサバイブできるに違いない」と思っている。だってそっくり同じことが繰り返されるんでしょ? ならばそっくり同じように地獄抜けができるはずだし、となれば絶望などする理由がないのである。
自信があるのです。アレをくぐりぬけてきたという自負もあいまって、余計に自信がついてしまってる。
でもね、この自信はリピートし続ける人生を生きる自分自身が前とそっくり同じ自分であるという想定の下での自信にすぎません。
以下は私個人の感覚・感想・印象ですが、これもまた人によって何が怖いかが違うハズ。
ニーチェ先生の永遠回帰よりも一段怖いのはロールズ先生の「無知のベール」
私的にはこっちのほうがよっぽど怖い。
我ら現代を生きる日本人は「現代の」「日本」を引き当てられた環境ガチャを謳歌しているハズです。これが1990年代のルワンダだったらどうだろう(震)
絶対に二度と同じ人生なんか繰り返したくないと思うんじゃないでしょうか。
更にもう一段怖いのは自分自身の”配合”が変わること
来世の自分が今の自分とは違う自分であること。
私はこれが一番怖い。
来世を生きるのが「今の自分と同じ自分」だからこそ「何度同じ虐待環境をリピートしようが大丈夫。また同じようにやったるわい!」と自信満々思えるわけです。だけど、これが「今と違う自分」なら?
たとえばサバイブに不向きな認知や思考のクセを備えた遺伝子配合の人物にチェンジしてしまってたらどうなるのか。
あのクソ父に「このクズが!」「できそこないが!」と罵られる言葉をそのまま素直に受け取って「そうか、私が悪いんだ。お父さんお母さんこんな私でごめんなさい」と自分を責め、全てを背負い込んでしまうような優しい性格に生まれついてしまっていたら、きっと今の私とは全く違う人生を歩むことになるんじゃないだろうかと思うのです。
私は何よりこれが怖い。自分が自分でなくなることが。
今の自分をとても気に入っているから、来世も変わらず今の自分のままでいたい。
というわけで個人的に私が一番怖いと思うのは無知のベールが環境だけでなく遺伝子配列にまで及ぶこと。
やっぱりこれが一番怖い。
んでもこれって、まるで人類の歴史そのもののように思えます。
