サイケデロス・サーガ 第9話 「白い悪魔」【創作大賞2026|ライトノベル|ファンタジー小説】
朝。
目を覚ますと頭が少し重い。
昨夜、あまり眠れなかったせいだろう。
枕元に置いてあったタバコの箱を手探りで探る。
箱を開ける中は空っぽだった。
ベットから出て、タバコがまとめて置いてある袋に手を入れ一本取り出す。
「……こいつで我慢するか」
元の世界で吸っていたワイルドセブンはもう無い。
だからこの世界で流通しているタバコを吸うしかない。
俺は口に咥え、火を付けゆっくり煙を吸う。
こっちの世界のタバコはフィルターが無い溜め、勢いよく吸うとむせるのだ。
煙をゆっくり深く吸い、吐き出す。
「ふぅ……意外にイケるな。」
俺はライターをロウソクにつけ、その火を巻きにつけ火を起こす。
火の上に水が入った鉄の容器を乗せ温める。
タバコを吸いながら、コップを一つ取り出す。
その中に先日アインからもらったコーヒーの粉をコップに入れる。
数分後、タバコがちょうど吸い終わるタイミングで沸騰したお湯をコップに注ぐ。
湯気が立ち上がり、コーヒーの香りが部屋に広がる。
「これこれ……いい匂いだ」
湯気がゆっくり天井へ昇り、その香りが昔の署の休憩室を思い出させる。
一口飲むと、苦味が先に来て、後からじんわり広がるコクが喉を温めた。
「……くそ、うまいじゃねぇか」

残りを一気に飲み干す。
「ふぅ……この世界でもコーヒーが飲めるだけマシだな」
そして昨日のことが胸の奥で再び蠢く。
赤ん坊の泣き声。
王の舌に絡め取られた小さな体。
骨が砕ける、生々しい音。
どれも脳裏にこびりつき、沈殿したまま消えてくれない。
昨日の出来事はあまりにも大きい。
だが、いつまでも引きずってはいけない。
元の世界で刑事をしていた頃も、殺人事件の翌日はメンタルが削られた。
だからこそ自分でリセットする必要がある。
深く息を吐き、ゆっくり立ち上がる。
気分を整えるために、まずはシーツのしわを手で伸ばした。
そして一度頭を振り、気分を切り替えるように外へ出る準備を始める。
今日、この街を出て知らない土地へ向かうことになる。
元の世界なら、移動の前には説明や資料が用意されていたが
この世界にそんなものを求めても無駄だろう。
すべて口頭、時間もアバウト。そういう世界だ。
だから、街を去る前にもう一度この街を見ておこう。
腰のホルスターに警棒を装着し、服を着替えて外へ出る。
外は晴れていて、冷たい朝の空気が肺に入り、少しだけ頭が冴えた。
この時間の広場は人気が少ないが、ちらほらと人影がある。
俺は伸びをし、体をほぐし始める。
肩を回し、腰をひねり、膝を曲げ伸ばす。
刑事時代、仕事前には必ずやっていた動作だ。
歳をとると体は固くなるが、俺は普段から体を動かしていた方だ。
同年代に比べれば、まだ柔軟な方だろう。
この世界に来ても毎日この動作をしているのは、体が勝手に覚えているからだ。
腰の警棒を抜き、スナップを効かせて伸ばす。
構えて、上から下へ思い切り振る。
ブゥン。風を切る音が響く。
心を無にし、邪念を払うように軽く素振りを繰り返す。
昨日の王の笑顔が頭に浮かぶ。
檻の中で泣いていた赤ん坊。
止められなかった自分。
それでも、今こうして生きているという事実。
邪念を払うように、もう一度素振りをする。
そして頭の中で繰り返す。
次は止める。
次は止める。
次は止める。
その言葉を心の奥で反芻しながら素振りを続けると、少しだけ胸のざわつきが落ち着いた。
「……ふぅ」
頭をリセットできた。警棒を仕舞い、ホルスターに戻す。
************
タバコを取り出し、口に咥えて火をつける。
大きく煙を吸い込み、溜めてからゆっくり吐き出す。
こっちのタバコにも少し慣れてきた……が、吸い過ぎは危ないと本能が告げている。
タバコを咥えたまま、街を歩いてみることにした。
しばらく歩くと、通りが少し賑やかになってきた。
魚を売る店、焼きたてのパンの匂い、見たこともない香辛料の山。
朝の市は活気づいている。
パンの甘い香りで砂糖を使っているのが分かる。
だが反対に、この街では塩をほとんど使わない理由が気になる。
考えても答えは出ないだろう。
周りを見渡し、ぼんやりと光景を眺めながら実感する。
隷区があると言っていたが、ここには確かに日常がある。
あんな王がいる国でも、子供達は笑い、パンが焼かれている。
衣食住があって、子供が笑える。
それだけで、この街は良い国に見えてしまう。
少しずつ受け入れていこう。
少しずつ慣れていこう。
タバコがちょうどなくなりそうだったので、手に持っていた木製の板で火を消す。
吸い殻をポケットに入れ、そのまま散歩を続ける。
歩いていると、ヤギの亭主が店を開ける準備をしているのが見えた。
俺はその店へ向かう。
「亭主さん、おはよう。良い朝だな」
「おお!お客さん早いね。ちょうど今準備が終わったところだよ。見てってくれ」
しばらくこの街に戻れないから、タバコを買えるだけ買っておくか。
「昨日買ったこれなんだけど」
ポケットから吸い殻を取り出して見せる。
「ああ、それ気に入ったんだね。ただもう残ってないよ。代わりに別の物を仕入れてる」
「そうなのか?なら見せてくれると助かる。」
「ちょっと待ってな。今朝届いた品で……どこだっけ」
亭主は足元を探り、
「あったあった」
足元の袋から革袋を取り出し、テーブルに置いた。
「今あるのは前と仕入れ先が違ってね。人間の国から流れてきた物だ」
革袋を開けると、ふわっと良い香りが広がる。
俺の好みの匂いだ。
よく見ると、タバコの葉ではなく白い紙で巻かれた紙タバコだった。
「触ってみていいか?」
「ああ、お客さんどうせ買うんだろ」
一本取り出す。
固い白い紙が何重にも巻かれ、フィルター代わりになって吸いやすそうだ。
サイズは不揃いだが、出来は良い。二百本ほど入っている。
「俺、しばらくこの国に戻れないから、これ全部もらうよ」
「そうかい?それは残念だね。どこへ行くんだい?」
ラゼムは東のアジトと言っていたが、アジトのことは黙っておこう。
「分からない。ここから東としか聞いてない」
「ふむ、東と言えば人間の国の方だな。
そういえば最近、東の国境がモンスターに襲われたって聞いたぜ」
「ああ、たぶんそこに行くんだと思う」
「そうか。あそこら辺は治安が悪い。
盗賊やゴロツキも多いから、気をつけるんだぞ」
「それ聞いたら行きたくなくなるな。
モンスターだけじゃなく盗賊まで出るのか」
「国境や道中で商人がよく襲われてる。
物を奪うし、命まで取る連中だ」
「商人を襲う盗賊か。
でも商人って護衛を雇うんだろ?」
「ああ、最低でも兵を三人は雇う。
モンスターも出るからな」
「その兵ごと襲うってことは、盗賊は単独じゃなくグループだな」
「まぁ噂では東の人間の国が襲わせてるって話もあるしな。
先日シュラ王が出てただろ?」
「ああ、昨日帰ってきたな」
「そう。行き先は教会で、各国の長を集めて大きな会議をしたらしい」
「そうなのか。どんな話し合いが?」
「さすがにそこまでは分からないさ。
それより、お客さんしばらく来れないなら他にも買っていきなよ」
店主は小さな引き出しから赤い乾燥したものを取り出した。
「これも今朝仕入れた。魔族の領から取れた物だ」
乾燥した赤いそれを手に取る。
唐辛子だ。
「トウガラシか。どうして魔族の領から?」
「あっちの街から買い付けた物で、ピリ辛で人気なんだ。どうだい?」
「分かった。いくつか袋に包んでくれ。それと……」
店の商品を見渡すと、塩と胡椒があったので、それも頼む。
「こんなもんかな。いくらだ?」
「こんなに?助かるよ。じゃあサービスして銅貨五枚でいいよ」
店主は塩・胡椒・唐辛子の袋、そしてタバコの袋をまとめて渡してくれた。
「悪いな。戻ったらまた買いに来るよ」
買い物を終え、店を出た。
************
ふと脇道に入ると、アクアの家が見えた。
もうこの街を離れるから、挨拶くらいはしておこうと思い向かう。
扉をノックする……が返事はない。
アインやツヴァイにも世話になったから挨拶したかったが、仕方ない。
「まぁ、戻って来たらまた会えるか」
アクアの家を離れ、少し歩くと街の出口付近で亜人の子供たちが駆け回っているのが見えた。
その笑い声に、ほんの少しだけ救われる。
だが脳裏では、昨日食われた赤ん坊の泣き声がまだ響いている。
胸の奥で、何かが燻り続けていた。
広場から宿舎へ戻る途中、背後から声がした。
「いたいた、イサムーーー!」
振り返ると、ユウとカジが走ってくる。
ユウはいつも通り元気だが、カジの顔はどこか曇っている。
「お、おまえら」
手を振る。
「家にいないから探したぜ」
ユウが笑う。
「探し?何かあったのか?」
「見送りに来たんだよ。俺達、今日の昼から初任務だからさ」
「そうか……ありがとうな」
驚いたが、どこか嬉しかった。
ユウは俺の荷物を見て言う。
「出発前の買い物か。相変わらず準備がいい男だね」
カジがポケットからマルチツールを取り出し、差し出す。
「イサムさん、これ……俺の、持っててください」
「これお前の大事なやつだろ。いいのか?」
「なんか、これからの任務で使うことなさそうなので……イサムが持ってた方が役に立つでしょ」
「……分かった。ありがたく使わせてもらうよ」
思っていた以上に重い。革袋にしまう。
「それで準備は終わったのか?」
「ああ。もういつでも出発できる」
「さすがイサム。それとは別で、お土産があるんだわ」
ユウが細長い包みを取り出す。
「じゃーん、亜人の手巻きタバコ。昨日、宿の兵からもらったんだよ」
「ありがとう、実はな……」
革袋を開いて見せる。
「なーんだ!驚かせようとしたのによ!」
「とりあえず三十本ぐらい入ってるから渡しとくわ」
ユウが袋を手渡す。
「サンキュ。じゃあ一本吸うか」
火をつける。
次の瞬間
「げほっ……!!な、なんだこれ……!」
濃くてキツイ。肺が焼けるようだ。
ユウが爆笑する。
「やっぱりキツイんだな、それ」
「ああ……濃すぎる……」
「こんなの吸ってたらすぐあの世行きだな」
カジは笑っているが、瞳はまだ沈んでいる。
「それで、カジの方はどうなんだ?」
肩を叩いて尋ねる。
「俺とユウさんは、能力がまだ安定しないってことで……
しばらく訓練と軽い任務らしいっす」
「そうか。まぁユウが無茶しないように見てやれ」
「おいおい、カジの面倒見るのは俺なんだが」
ユウが慌てる。
「任してくださいイサムさん」
「ねぇ話聞いてる?」
三人で笑い、安堵の時間が流れる。
優しい風が吹き、タバコの灰が舞う。
煙を吐きながら、遠くの空を見る。
カジが真剣な顔で言う。
「イサムさん……絶対死なないでくださいね」
いきなり真剣な顔で言うから、少し笑ってしまった。
首を横に振る。
「お前らこそ、俺がいなかったら無鉄砲の突進馬鹿コンビなんだから無茶すんなよ」
ユウが拳を突き出す。
「じゃあ、これで約束な」
「……なんだそれ。某海賊アニメかよ」
茶化しながら拳を合わせる。
カジも泣きそうな顔で拳を出す。
三人で拳を軽くぶつける。

ドッ。
硬い鈍い音。
だが胸の奥魂にまで響く音だった。
「じゃ、俺は行ってくる。お前らもしっかり生きろよ!」
手を振り、二人と別れる。
あのまま一緒にいたら、別れが辛くなる。
家の入口に戻ると、黒いフードの人影が一人。
マントの下から黒い尻尾。背格好からしてアインだ。
脅かそうと忍び足で近づくが
「イサム、居た」
先に声をかけられた。
「あっ!気配消したつもりだったのに、よく分かったな?」
「気配消す?」
「ああ、足音立てずに近寄ったんだけどな」
「イサム、あの人と同じ。すぐ気付く」
「あの人と同じ?なんだそれ」
「それよりイサム、これっ」
アインは鞘に入った小さなナイフを差し出す。
「ん?ナイフか?」
取り出すと、綺麗に研がれた刃が光る。
刃渡りは短いが、妙に手に馴染む。
「アクア言ってた。イサム遠く行く。
だから、しばらく会えない」
「ああ、ちょっと街を出るからな」
「うん。だから、そのナイフ持ってる」
「いいのか?これ、大事な物だろ?」
「おまもり。それ、何でも切れる。折れない。すごい。
だからイサムが持ってて」
尻尾がぶんぶん揺れている。
「分かった。大事にするよ。ありがとう」
鞘に戻し、警棒ホルスターの横の穴に挟む。
アインは顔を赤くして下を向く。
尻尾はさらに揺れている。
「ん?アイン?」
声をかける。
「またね、イサム」
顔を赤くしたまま走り去る。
口に咥えたタバコをふかしながら呟く。
「なんだあいつ……」
凄い速さで立ち去るアインを見送り、俺は家に戻った。
************
家で身支度をし、もういつでも出られる準備は整った。
物が多く入る背負い袋に、調味料やタバコ類を詰め込む。
「ふぅ、こんなもんか。疲れたし、一服するか」
タバコを一本取り出し、火をつけながら外へ出る。
数メートル先からフードを被った二人が近づいてくる。
昨日来たライコとゴマだ。
タバコを吸いながら手を上げると、二人は目の前で止まった。
「二人とも、今日からよろしく頼む」
挨拶すると、ライコがにやりと笑う。
「おう、イサムさん。準備できてるか?できてるならすぐ出発するよ」
ライコの後ろに立つゴマは無言のままじっと見てくる。
視線が刺さるようで、どこか落ち着かない。
「分かった。荷物取ってくる。少し待っててくれ」
そう言って部屋に戻る。
テーブルの警棒を手に取り、腰のホルスターに装着する。
アインからもらったナイフも挟む。
口に咥えたタバコを木の灰皿に押しつけて火を消す。
この家には当分戻らない。忘れ物はない。
部屋を見渡し、深呼吸をして背負い袋を肩にかける。
外へ出ると、二人はそのまま待っていた。
ゴマは無表情だが、さっきより視線がわずかに柔らかい。
「よし、なら行こっか」
ライコが立ち上がり、ゴマの方へ近寄る。
「ほらゴマちゃん、もう行くよ。立って」
肩を貸して立たせる。
よく見ると、ゴマの顔色が悪い。
「顔色悪いけど、大丈夫か?」
「平気。ただの二日酔い。昨日泣いて深酒したからね」
「そうか。これ飲むといい」
背負い袋から水筒を取り出して渡す。
ライコが水筒を受け取り、ゴマの口を指で開いて無理やり水を流し込む。
ゴマは目を見開き、もういいと腕でジェスチャーする。
「イサムさんありがとう。これ返すよ」
「いいって。旅は道連れ、世は情けってな」
雲ひとつない快晴の空を見上げながら歩き出す。
そして
今日が長い一日になることを、直感していた。
************
家を出ると、ひんやりとした空気が肌を刺した。
朝からぼーっとしていたせいか、ちょうどいい目覚めになる。
前を歩くのは、無言の獣耳の女と角の青年ゴマとライコ。
ラゼムの子供で、副隊長と補佐を務める二人だ。
「これから馬車を取りに行く」
ゴマが不意に口を開く。低く、感情の読めない声だった。
振り向いたゴマが言う。
「おっさん、馬は乗れるか?」
「おっさんって……いや、一度も乗ったことはないな」
「ゴマちゃん、それなら馬車で行こう」
ライコが軽く提案する。
てっきりライコが指揮を取ると思っていたが、立場はゴマが上らしい。
「イサムさん、乗り心地悪いから酔うなよ」
ライコは俺の肩を軽く叩き、ニッコリ笑う。
二人とも若いはずなのに、足取りに無駄がない。
すり足でもないのに足音が全くしない。
気配の消し方が異常にうまい。
ただの若者じゃない刑事時代の勘がそう告げていた。
数分歩くと開けた場所に出る。街の端だろう。
遠くには馬が数頭。あそこで馬を借りるらしい。
ゴマがフードを外した。
銀髪が朝日に光り、耳がピクリと動く。
本当に永瀬麗子に似ている。
ただし、今の彼女の表情は無愛想そのものだ。
「ちょっと馬に荷台借りてくるから、
ゴマちゃんはイサムさんと仲良くしててね」
ライコが軽口を叩きながら馬小屋へ向かう。
取り残された二人。
沈黙が重い。
普段なら刑事時代の経験で、知らない相手と打ち解けるのは簡単だ。
だが相手が麗子に瓜二つとなれば、変な緊張が走る。
俺はポケットからタバコを取り出し、火をつける。
シュボッ小さな炎が灯る瞬間、ゴマの耳がピクリと動いた。
「……お前、無能力って聞いたけど、発火能力持ちか?」
ゴマはフードをかぶり鋭い目でこちらを見る。
「ん?」
ライターの火のことだろう。
この世界にはライターやマッチがないらしい。
「これは能力じゃない。俺の国で作られた、火を点ける魔法の道具だ」
煙を吐きながら答える。
「はぁ?そんな便利なもんあるのかよ!」
ゴマが一歩近づき、俺のタバコ袋から一本奪い取る。
そしてライターを手に取るが、当然火は点かない。
「……貸せ」
俺はライターを取り返し、カチリと火を点ける。
ゴマのタバコに火を移すと、ゴマはふっと笑った。
胸の奥がドキッとした。
恋をしたわけじゃない。
ただ仕草も表情も、あまりにも麗子に似すぎている。
ゴマは勢いよくタバコを吸い、笑顔で言う。
「へへっ、お前いいやつだな」

昨日までただの無愛想な女だと思っていたが、
笑うと年相応に見える。
「おー、仲良くなってるじゃん」
馬車を引きながら、ライコがにやけた顔で戻ってくる。
「………………はぁ?うるせぇ」
ゴマが煙を吐き捨てながら、ライコの頭を軽くはたいた。
ライコは馬の首をさすり、馬車の前部に座って手綱を引く。
手慣れた動きで馬を誘導し、馬車を滑らかに動かしていく。
俺とゴマも荷台に乗り込む。
思っていた以上に広く、揺れも少ない。
馬車は街道を進み、街の入口へ向かう。
「さて、ここから東のアジトまでは馬車で二日くらいだ」
ライコが手綱を操りながら説明する。
しばらくして街の入口に着く。
ライコが兵士に声をかけ、簡素な門を開けてもらう。
この街に来て数日もう出ることになるとは思わなかった。
だが、ここで生きていくためには成果を上げて戻るしかない。
ユウやカジ、アインたちとまた会うためにも。
俺は自分の手を見つめ、強く握った。
向かいに座るゴマはタバコを咥え、俺が渡したライターで火をつける。
もう使いこなしている。器用な子だ。
顔は麗子にそっくりだが、性格は真逆。
口は悪いが裏表がなく、信用できるタイプなのだろう。
俺もタバコ袋から一本取り出し、口に咥える。
ゴマが無言でライターを差し出してくる。
俺はそれを受け取り、火をつけた。
************
街を出てしばらくすると、空は快晴で鳥が飛び交い、
後ろを振り返れば街はもう見えなくなっていた。
道は思ったより整っている。
石は少なく、馬車が走りやすいように整備されている。
「思っていた以上に綺麗な道なんだな」
「イサムさん、どんな道を想像してたのさ?」
ライコが笑いながら聞く。
「もっとデコボコかと思ったが、意外と綺麗だ」
「あぁ、これは俺達一番隊が昔から岩を割ったりして整備してるからな」
「なるほど、道の整備も仕事の内か」
「父さんが商人を呼びやすくするために始めたんだよ。
それ以来、道の整備は俺達の役目だ」
ライコの誇らしげな顔を見る限り、
ラゼムは本当に慕われているのだろう。
「その口ぶりだと、ライコ君は父さんのこと好きなんだな」
「そそ。俺もゴマちゃんも拾われた身だけど、
父さんのためなら何でもする。
現にイサムさんのお守りだって、父さんの頼みじゃなきゃやってないよ」
トゲのある言い方だが、当然だ。
副隊長と補佐が俺みたいなジジイの護衛を命じられたら、不満が出るのも当然だ。
ため息が漏れた。
************
馬車に揺られて数十分。
深い森に入り、日陰で少し涼しくなる。
揺れにも慣れてきた頃、遠くで何かが走る影が見えた。
ただ、ここからではよく見えない。
その瞬間。
ドンッ!
馬車が大きく揺れた。
何かがぶつかった衝撃だ。
俺は後部から外を見渡す。
森が広がり、何かがぶつかったのは確かだが見えない。
次の瞬間、茂みを突き破って黒い影が飛び出す。
巨大なイノシシのようなモンスターが数体、道を塞いでいた。
体長は牛ほどもあり、毛は針金のように硬そうだ。
赤い目、荒い鼻息。今にも襲ってきそうだ。
「なーんだ、ボウボウか。起きて損した」
ゴマが寝起きのまま馬車から飛び降りる。
「五体……いや六体か」
俺は警棒を抜き構える。
だがゴマが俺の腕を掴み、片手で馬車の入口まで押し戻した。
「おっさん、とりあえず邪魔」
なんて力だ。大の大人を片手で押し返すとは。
ゴマはフードを脱ぎ捨てる。
銀髪が陽に反射し光り、獣の耳と尾が揺れる。
へそ出しシャツ、ホットパンツ、腰の二本のショートソード。
戦闘に向いてないラフな格好だ。
「待て、そんな装備で大丈夫か?」
俺が叫ぶと、隣に立つライコが制した。
「大丈夫だ。問題ない」
ライコは余裕の顔で代わりに答える。
「いや、しかし相手の数が多すぎるだろ」
ライコは目を丸くし、そして笑い出す。
「あははは!イサムさんから見たらそう見えるのか。
ゴマちゃんは一人で平気だよ。
ああ見えて、戦いだけなら王国最強の父さんより強い」
ゴマはタバコを咥え、俺のライターで火をつける。
これから戦うのに余裕すぎる。
ボウボウは煙を嫌がり、鼻を鳴らす。
次の瞬間。
ゴマの姿が消えた。
ドシュッ!

一瞬の出来事だった、音が先に聞こえ
一匹目の首筋に回し蹴りが炸裂。
巨体が横転する。
「いーち!」
残りが咆哮し突進してくる。
ゴマは跳躍し、空中で体をひねり二本の剣を抜く。
十字の斬撃が二匹目の頭部を切り裂く。
「にい!」
三匹目の突進を尻尾でバランスを取りながら跳び越え、
落下と同時に背骨を断ち切る。
「さーん!」
血しぶきが舞い、土煙が上がる。
ゴマはタバコを咥えたまま笑う。
「ははは、気分乗ってきたぜ。おらぁ、かかってこいよ!」
完全にハイになっている。
四匹目、五匹目も一瞬で斬り伏せられる。
最後の一匹が逃げようとする。
「いいぜぇ。逃げれたら見逃してやるよ」
ゴマは低く構え、地面を蹴る。
また目には追えない速さだった。
音が遅れて聞こえるほどの速度で背後に回り込み、
ボウボウの喉元を一閃。
ボウボウは崩れ落ちた。
「……はやっ」
呆然とつぶやく。
ゴマは剣を回して血を払い、腰に収める。
尾を揺らし、満足そうに鼻を鳴らした。
「ゴマちゃんお疲れ様。じゃあ晩飯はこれで決まりだな」
ライコが笑う。
「え、これ食べれるのか?」
「ああ、今日はご馳走だぞ」
モンスターは食べる物じゃない。という認識が崩れる。
俺のゲーム認識ではモンスターは食べる物じゃなく倒す物。
しかしこの世界は食べる動物も普通に襲ってくる世界なのだろう。
これは俺の認識を変えないといけないだろう。
ゴマは牙を覗かせ尻尾を振りながら笑う。
「あはは、こいつらの肉は街じゃそんな出回らない高級品なんだぞ。
だから今夜は贅沢できるな!」
馬車の緊張が解けていく。
「ライコ、早く解体して飯にしよっ!」
「はいはい。じゃあ川辺まで運ぶからみんな手伝ってね」
二人が慣れた手つきでボウボウを荷台に放り込む。
「……お前ら、完全に狩り慣れしてるな」
ゴマはタバコを咥えたまま肩をすくめる。
「この程度どうってことねーよ。それよりおっさん手を動かせよっ」
俺は巨大なボウボウを馬車に乗せようとするが一人じゃ持てなかった。
ライコが空気を察したのか、手伝ってくれ一緒にボウボウを乗せた。
そしてライコは馬車を操り、川辺へ向かった。
************
馬車の車輪がきしみながら進む。
しばらく黙っていたが、ずっと気になっていたことを口にする。
「なあ、こいつってどうして高級品なんだ?」
俺は荷台に転がるボウボウを見ながら問いかける。
ゴマが肩をすくめる。
「そりゃお前、凶暴なモンスターだからだ」
ゴマの吐くタバコの煙がゆらりと揺れ、獣臭と混じる。
「ゴマちゃん、それじゃ伝わらないよ」
ライコがやれやれといった顔で続ける。
「ボウボウはそもそも人前にほとんど姿を見せない。
だから流通が少ないし、強い部類のモンスターだから、
一般人が出会ったら逃げるしかないレベルなんだよ」
俺は眉をひそめる。
「そんなに危険なのか?」
「そうだね。さっきのボウボウくらいなら、
兵士数人がかりでようやく勝てるレベル。
一人で挑んだらまず勝てないだろうね」
なるほど。
俺の世界で言うなら、熊と同じ扱いか……いや、それ以上かもしれない。
「ていうか、あれを一人で倒したお前は……」
俺はゴマを見つめながら言う。
ライコが肩をすくめる。
「ゴマちゃんはゴリラだからね。比べるだけゴリラに失礼だよ」
「誰がゴリラだコラ!」
ゴマが即座に蹴りを入れる。
馬車がガタンと揺れた。
ゴリラという単語が出たということは、この世界にもゴリラがいるのか。
それとも亜人の種族名なのかそんなことを考えていると、
ライコの声が少し真面目になった。
「王国は強いやつを強制的に兵士にする。だから戦える奴はみんな軍に入る」
「ボウボウは人の多い街には近づかない。
兵士も国境付近に張り付いてるから、ボウボウみたいな大物を狩るには遠征する必要がある」
俺は納得しながらうなずく。
「なるほどな……。じゃあ、狩りをギルドに頼んだりはできないのか?」
「ギルド?」
ライコが首をかしげる。
ギルドという単語が伝わらない。
「いや、俺のいた国では、人から依頼を受けて魔物を狩ったり護衛したりする
ギルドっていうのがあって、腕利きに依頼を頼める施設があるんだ」
まあ、これは俺の世界のフィクション知識なんだが。
ライコは興味深そうに眉を上げる。
「へえ、兵士でもない腕利きが依頼を受けるのか。面白い仕組みだね」
少し考え込んだあと、肩をすくめた。
「でも、この国にはないな。
狩りはだいたい王の側近の師団がやってる。
あいつらは狩った肉を商人に高値で売りつけてるんだ」
「側近の師団?」
謁見の時に王の近くにいたフードの男が脳裏に浮かぶ。
ライコが続ける。
「そう。正確には二番隊って部隊だけど、王の弟が指揮してて、正直やりたい放題さ」
「なるほどな。二番隊でも王の親族だから、
実質的には一番隊よりワガママが通るってことか」
ライコは苦笑する。
「ワガママなんて可愛い言葉で片づけられないくらい酷いよ。
あいつらが好き勝手やるから商人が売る物は高値になる。
高値になると食料を買えない人が増える」
「なるほど……俺が寝泊まりしてた辺りじゃ分からなかったが、
貧富の差があるんだな」
「ああ。あそこは貧民街から離れた区画だからな。
貧民街や奴隷区では食糧難がよく起きてる。
うちの隊はこっそり食料を回したりしてるけど、限界はある」
「思っていた以上に根が深い話だな……どこの国でも食糧難はあるよな。
しかし王の弟か。謁見の時に王の横でフード被ってた奴だろ?」
ゴマが煙を吐きながら会話に入る。
「ああそいつだ。実力は大したことねーけど、口と頭はオヤジ以上にキレる」
「ならラゼムさんと弟の間で派閥争いとかはあるんじゃないか?」
ライコが答える。
「当然あるさ。王の弟が一方的に父さんに絡んでるけどな。
父さんは奴隷区と貧民街の連中から支持されてるけど、
王の弟の派閥は権力者ばかりなんだ」
俺は指をあごに当てて考える。
「つまり王の弟は奴隷と貧民からは支持がまったくないんだな。
なるほど、それなら王の弟がラゼムさんを恨むのは分かる」
ライコが首をかしげる。
「ん?どうして分かるって言い切れるんだ?」
「いや、その弟の立場になって考えればなんとなく想像できる。
まず兄は王で絶対権力者。
だけどラゼムさんがいるから、弟は完全なる二番手になれない」
ゴマが呆れた目で言う。
「いや、それは私でも分かる事だぞ」
「問題はそこじゃなくて、その弟さんの環境だろうな。
王の弟という絶対的に強い立場がある。支持もされる。
しかし」
「しかし……?」
ゴマとライコが同時に身を乗り出す。
「王の弟という立場は支持されるけど、弟本人は支持されていない。
しかも支持してくれるのは権力者ばかりで、そいつらはすり寄っては来るが賞賛はしない」
ライコが小さくうなずく。
「ああ、確かにそうだな」
「弟が一番ほしいのは賞賛と敬われる気持ちだ。
でも権力者達はその二つを絶対に与えない」
「言われてみればそうだな」
「賞賛と敬意は権力者からは生まれない。
この国でそれをくれるのは」
ゴマの耳がピクリと動く。
「あ!分かった!奴隷と貧民街の人って事だな」
「そういう事だ。どこの国でも弱い立場の人達は助けてくれるヒーローを求める。
そしてシュラ国で弱きを助けるヒーローがラゼムさんなら、
弟が本当に欲しい賞賛を全部取られて面白くないと思ってるだろうな」
二人は黙り込み、しばらく沈黙が落ちる。
次の瞬間、ゴマが勢いよく肩を叩く。
「おっさん凄いな!説明すげー上手じゃん!
なんか納得しちまったよ!」
はたかれただけなのに殴られたように痛い。
だが、この子のここまでの笑顔を見るのは初めてだ。
馬を操るライコも嬉しそうに言う。
「イサムさんの洞察力すごいね。説明も上手いし、リーダー向きだよ」
俺は苦笑しながら続ける。
「しかし食糧難があると住民の反発はすごそうだな」
ライコが頷く。
「最初、奴隷と貧民街の管理は二番隊だったんだよ。
でも反発が何度もあって、その後大きな暴動も起きたんだ」
ゴマが思い出したように言う。
「あぁ、そういえばあったな!うちらがまだ小さい時に大きな争いが」
ライコが続ける。
「父さんが暴動を抑えて、権利は二番隊のままだけど、
管理は一番隊がやるってことで話が落ち着いた。
今もその体制が続いてる」
「なるほど。管理が一番隊なら食料を配ってもバレないってことか。
でも、その食料はどうやって手に入れてるんだ?」
「今みたいに狩りをするのさ」
「でも、さっき狩りは二番隊がやるって言ってなかったか?」
「そう。だから俺達は街外警備って名目で狩りに出てる」
ゴマが煙を吐きながら笑う。
「まあ、うちらは狩りに行くのが一番楽しいけどな」
「だからあんなに狩り慣れてるんだな……」
この国は豊かに見えて、実は格差が激しい国だったんだな。
川の音が大きくなる。
もうすぐ目的地だ。
************
一方その頃
シュラ国・宰相室。
王の寝室から三部屋離れた場所にある、広めの執務室。
宰相は椅子に座り、静かに書き物をしていた。
日が暮れ始め、宰相はロウソクに火を灯す。
王が外出しているため、城内はいつもより静かだ。
風の音、遠くの兵士の足音だけが響く。
その時
出窓の方からノック音。
ドアではない。
出窓からのノックは合図だ。
宰相は席を立ち、部屋の入口の鍵を閉める。
「少し待て」
衣装を整え、短く息を吐く。
「入っていいぞ」
ガチャ
ドアが開いた瞬間、風が室内に流れ込み、ロウソクの火が消えた。
出窓から黒いフードの人物が静かに降り立つ。
宰相は動かず、ただその影を見つめる。
「こんな時間に……なんの用だ?」
黒フードの人物は指を鳴らした。
パチン
その音と同時に、机のロウソクに再び火が灯る。
黒いフードの奥から銀髪が揺れ、ゆっくりと口が開く。
「宰相。話が違うようだが」
「……その件か」
宰相はバツの悪い表情を浮かべる。
「仕方ないだろう。方向は違うが、お望み通りこの国からは出したはずだ」
「まあいい。しかし次はない」
黒フードの人物は手紙を投げる。
風に乗ったそれは、宰相の目の前でぴたりと止まった。
「これは?」
宰相は手紙を取る。
「中を見ろ。次にやってもらう事だ」
宰相は封を切り、内容を見た瞬間、声を漏らす。
「……本気か?」
黒フードの人物は淡々と告げる。
「八魔将を数人、監視として置く。
任務が失敗しそうなら介入する」
宰相は紙を床に叩きつけた。
「利害の一致で情報を共有しているだけだ。
魔王軍の犬ごときに指図される筋合いはないぞ」
黒フードの人物は失笑する。
「ハハハ……聞き捨てようと思ったが
どうやら能天気な勘違いをしているようだ。
躾(しつけ)が必要だな」
次の瞬間、強烈な殺気が室内を満たす。
フードの奥から金色の目が宰相を射抜いた。
ガタン
宰相は膝から崩れ落ちる。
黒フードの人物は顎を上げ、静かに告げる。
「我々四天王、そして八魔将は下部組織ではない。
魔王軍そのものだ」
「昔はどうか知らないが
今の魔王軍は歴史一、
そして魔王様は唯一無二。
最高であり……最強である」
「だからあまり私の魔王様をなめるなよ?
ヌメ公」

その言葉を残し、黒フードの人物は姿を消した。
宰相は壁に背を預け、頭を抱えたままその場に座り込んだ。
第10話へ続く。
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