わたしのペラペラエッセイ、とその感触
─まえがき─
#ペラペラエッセイ があついです。この暑いのに? 暑いからか。
ただ、ここに書かれたものは、ご期待のペラペラエッセイとは異なる可能性があります。ご注意ください。(←?)
ちょろすさんのおっしゃるペラペラエッセイのことばかりを、考えてしまう。以前からちょろすさんの書く文章が大好きなのだ。そのちょろすさんが、数日前に「ペラペラエッセイ」を生み落とした。
それからペラペラエッセイに夢中なのだ。すぐに反応記事を書いた。ペラペラエッセイにならなかった。ちょろすさんがコメントをくれ、ヒントをくれた。みなさんのペラペラも読んだ。
そして、わたしなりの、現時点での、結論めいたものがある。しかし、それを書いたらペラペラエッセイでなくなってしまうから、書きたいようで書きたくない。どちらも本音だ。
でも、このスピード感。考えたままをそのまま文字にすること、これはとても気持ちが良い。
わたしは喋るのと、読むのがほとんど同じ速さ。読むのが遅い。音読が好きで。本当なら、何かを読むときは、いつでも音読をしたいくらいだ。そういえば、小・中学生の頃だったか、新聞を音読していたような気がする。他に音読するものがなかったことが、その理由だ。
そしてnoteは、手書きではないから続いている。
スピード感が同じなのだ。
喋るのと読むのと、書くのと。
その最たるものがペラペラエッセイで、頭に出てきたものをそのまま書いていく感覚がたまらない。
一般に、思いついたことをそのまま書くことに、抵抗を感じるのも想像がつく。「そんなものオモテに出していいの?」という奥ゆかしさもあるかもしれない。書く力のある人は、技術力で読ませる快感をお持ちなのかもしれない。
その点、技術力の低いわたしは書くことのハードルも低い。今までも、まじめ顔のアホ、アホ気取りなアホ、人生讃歌のアホばかりを書いてきた気がする。それを書くしかなかったのだ。だからいまさら、頭の中がアホだとnoteに書くことに、後ろめたさも、気恥ずかしさも、ない。
あ、うそうそ。ちょっとある。
若い頃には素人演劇をしていた(これは、初だしだ)。人前でアホなことをできる種類の人間だと思う。演劇とかエンタメ系って、そういうの大事。大真面目にヘンなことやるって、なかなか壁が高いと思うのだ。
演劇の基礎訓練などでは、初心者はどうしても照れてしまう。人前で大きな声を出したり、おかしな動きをしたり。日常にはないことばかりだ。
それを、みんなの視線を浴びながらやるのだ。そりゃ、恥ずかしいに決まっている。
しかし、幸い、さいわい? わたしのアホ開示は始めから全開であった。“エチュード”という台本のない即興の演技練習では、普段の自分では言わないことを口走る。おかしな体勢で居る。これは、その場では必然で、恥ずかしいことなど何もないのだ。初めてのときから、恥ずかしさを感じなかったわたしは、真性のアホなのかもしれない。アホ上等!
駄菓子菓子。このアホ開示性質は、発動される場面が極狭なのだ。「わたし個人」が注目されない場合のみ、なのである。そんな場面あるだろうか。日常にはほとんどない。だが、演劇の稽古や舞台では「わたし」を切り捨てることができる。だから、わたしが注目されている感覚が、あまりない。
…………。「なんかわかる!」と誰かに言ってほしい。
日常生活のほぼ100%、わたしがわたしで存在している。ということで、アホは鋼鉄の仮面を被ってしまう。アホのままでは、やっていけない。
演劇とペラペラエッセイは、そんな「わたし」から解放されて、アホ開示性質が発揮できる場所なのだ。そして、わたしは演劇が大好きであったし、ペラペラエッセイがすでに大好きだ。
断じていうが、これはわたしのペラペラエッセイの感触であって、決してペラペラエッセイではない。
ペラペラエッセイを書きたいあまり、ペラペラエッセイになれなかったひとり言として、また、ここに置いておこう。
#なんのはなしですか
#ペラペラエッセイ
#だからどうしたのですか
#なにがいいたいのですか
【ちょろすさんが産み落としたペラペラエッセイ】
ちょろすさんがペラペラエッセイと言ってくれた
わたしのペラペラ
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