311(3)価値観
311直後の話について、書いてきた。
311とは何だったのか。
たぶん、関西の方であれば117だろうし、
各地域の方々、それぞれにあると思う。
地震が起きるたびに、
耐震基準は高くなり、
想定しうる地震では、
クリティカルな破壊は起こらない
(注)壊れない、ではない。
壊れても、
原型をとどめないほどの
大崩壊をせず、
どう考えても復旧不能、
というほどの崩壊はしない。
しかし、その一方で設計は複雑化し、
もはや紙計算では、設計は不可能となり、
実際の施工でも、難度は上がった。
コンクリートを流すにも、
鉄筋が多すぎて、流すすき間もなく、
思うように流せない。
それを解決するために、
高流動コンクリートも増えた。
そういう意味のテクノロジーは必要だと思う。
施工できなければ、
設計など、ただの紙に書いた餅にすぎない。
また、やられたときに、
被害を最小化する技術は必要。
そのために
やたら頑丈な構造物を作る、
のが一つの方策。
ただし、
やたらと頑丈に作るのが
いいわけではない。
コストの壁もある。
また、施工する難度が上がり、
施工できる人がいない。
ここで、いくつか考え方がある。
一つの事実として、
戦前のコンクリートは
異様に頑丈にできている。
戦後の高度成長期のコンクリートの一部は、
施工管理の不備などにより
俗に「シャブコン」と呼ばれるような
結果的に強度が低すぎるものが多かった、
それとはまったく対照的である。
当時は、設計上の安全率が異様に高い
(=施工でへまをする可能性を高く見積もる)
ため、
結果的に、強度が極端に高い
コンクリートが出来上がっており、
経済性の議論を無視すれば、
何百年でも持ちそうな
構造物となっている例も多々ある。
311の翌日、312があった。
311に隠れて、
あまり大きく扱われなかったが、
これも大地震だった。
震源地に近い、
長野・新潟県境の村。
豪雪地帯でもあるため、
住宅等の構造物は
雪荷重など、
それなりに配慮されている。
都会の構造物よりは頑丈なつくり、である。
しかし耐震強度があるわけでもない
(一般的には強い、が)
なので、古い住宅がばたばた壊れた。
古い木造住宅だから、
壊れてもしょうがない?
いやいや。
同じ時代に作られたものでも、
(いい方はよくないが)
「普通に」作ったものと、
「丁寧に」作った構造物では
壊れ方にも違いがある。
壊れたものばかり、話のネタになり、
壊れなかったものは
話題にすらならないが
この観点はもう少し考えても良い。
コンクリートが壊れなくて、
木造が壊れる、という議論ではない。
木造のほうが壊れやすい
(在来工法なら特に)のは事実だが、
材料によって、
向き不向きがあるにしろ、
施工の精度は無視できない。
また、歴史に学ぶ必要がある。
三陸では何度も大津波に見舞われている。
「ここより下に家を建てるな」
災害は繰り返さない。
人の一生のスパンでは、
そう言える側面はある。
それゆえに、
利便性の高い場所に住む。
当たり前の話である。
過去の災害では
ここまで水が来ている。
しかし、その下に
構造物、つまり住宅を
作ってしまうのが人間である。
これを愚かだと、
高みから言うことも可能。
しかし、
他に住むところがない、
との判断ならば
それは個人の判断、
何も言えることは無い。
災害を発生させない。
これがベストなのは言うまでもない。
しかし、できるのか?
ならば、
災害に強いものを作る、
そもそも、
危ないところに住まない、
こういった自衛を
ある程度考える必要がある。
地震で叩き起こされたから、
言うわけではない。
