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台風の気配と、お盆の静けさの中で‐1年生のレポートから見えてきた「学びの始まり」


台風が次々にやってきて、落ち着かない天候が続いている。

今日は窓の外の風の音を聞きながら、一日レポート課題や前期試験の評価を進めていた。

世の中はお盆。

帰省する人もいれば、旅行に出かける人もいるだろう。

私は毎年、この時期になると少し立ち止まり、前期を振り返る時間を持つようにしている。

そして今年もまた、1年生たちのレポートを読みながら、多くの気づきをもらっている。

そこには単なる「課題提出」ではなく、大学での学びを通して少しずつ広がり始めた視野や、新たに芽生えた問いがあった。

今日は、その“1年生のまなざし”を少し紹介してみたい。


ワードの使い方から始まる「大学生としての基礎」

ヘッダーやフッターの設定。

ページ番号の挿入。

参考文献の表記。

一見すると単なるパソコン操作のように見えるかもしれない。

しかし学生たちのレポートを読むと、それらは単なる技術ではなく、「大学生として学ぶための作法」を身につける過程であったことが伝わってくる。

自分の文章を整えること。

相手が読みやすい形にすること。

実はそれは、自分の思考を整理することにもつながっている。


「調べること」の難しさと面白さ

新聞検索や文献検索に苦戦したという記述は少なくなかった。

検索語を変えるだけで出てくる情報が変わる。

AND検索やOR検索の意味がわかる。

欲しい情報がなかなか見つからない。

だからこそ見つかった時の喜びがある。

学生たちは「情報を探した」と書いているが、私はそれ以上に、「自分の問いを探していた」のだと思う。

何を知りたいのか。

なぜ知りたいのか。

その問いが少しずつ明確になっていく過程が見えてきた。


ビブリオバトルが教えてくれた「伝える力」

自分が面白いと思った本を、他者にも面白いと思ってもらうにはどうしたらよいか。

どこを切り取るか。

どんな言葉で語るか。

学生たちが選んだテーマは実に多彩だった。

インクルーシブ保育。

ヤングケアラー。

虐待。

ソーシャルワークの倫理。

その多様さは、そのまま学生たちの関心の多様さを表していた。

同じ学科に所属していても、見ている世界は一人ひとり違う。

その違いを知ることもまた学びなのだと思う。


ピアレビューが教えてくれる「他者の視点」

印象的だったのは、

「自分にはなかった視点をもらえた」

という感想だった。

自分では十分だと思っていた文章に改善点が見つかる。

逆に、自分では気づかなかった強みを他者に教えてもらう。

ピアレビューは単なる添削ではない。

他者との対話を通して、自分自身の考えを再構築する機会である。

社会福祉の専門職に必要な「協働」の力は、こうした経験の中で育っていくのだろう。


KJ法とブレインストーミングが育てる多角的な視点

1年生たちは、自分の考えを付箋に書き出し、分類し、他者の意見と結びつける経験をした。

その中で、

「自分の考え方には偏りがある」

「他の見方もある」

と気づいた学生が少なくなかった。

私はこの気づきこそ、とても大切だと思う。

自分の考えに自信を持つことは大切である。

しかし同時に、自分の考えだけでは見えない世界があることを知ることも大切である。


社会の痛みに向き合い始めた1年生たち

ヤングケアラー。

児童虐待。

インクルーシブ保育。

学生たちはさまざまな社会課題をテーマとして選んでいた。

そのレポートには、

「かわいそうだった」

という感想だけではなく、

「なぜ起きるのだろう」

「どのような支援が必要なのだろう」

という問いが見え始めていた。

社会福祉を学ぶということは、答えを覚えることではない。

社会の複雑さと向き合いながら、問い続けることである。

1年生たちはその入口に立ち始めているのだと思う。


「大学で学ぶ」ということの始まり

レポートを読みながら感じたのは、

学生たちが少しずつ「支援者としての芽」を育て始めているということだった。

自分の偏りに気づく。

他者の視点を受け入れる。

情報を吟味する。

根拠に基づいて考える。

そして、自分なりの問いを立てる。

これらはすべて、ソーシャルワーカーとして必要な力であり、大学で学ぶことの本質でもある。

知識を増やすことも大切だが、それ以上に、物事を多面的に捉え、自ら問いを立てる姿勢を身につけることが重要なのだろう。


おわりに

台風の気配と、お盆の静けさの中で。

レポートを読みながら、私は今年もたくさんの「学びの始まり」に立ち会っていた。

学生たちはまだ1年生である。

知識も経験もこれからだ。

しかし、一人ひとりの文章からは、

社会をより深く理解したい。

人をより理解したい。

そんな小さな芽生えが確かに感じられた。

大学での学びとは、正解を増やすことではなく、自分自身の問いを育てることなのかもしれない。

この夏に芽生えたその問いが、後期の学びへ、そして将来の専門職としての成長へとつながっていくことを願いながら、私は今日も静かにレポートを読み続けている。

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