【小説】ガトーショコラに地獄 修二編④
あの蜘蛛の波事件の後、警察の人が来て調べてくれた。来て、という言い方はあまり正しくない。実際は既にこの場に、元ではあるが、警察官がいた。バスに乗り込むときに目が合った、大柄な金髪の男。彼が元警察官だった。
彼は「全員落ち着くように! 今しがた警察を呼んだ!」と、パニックになる参列者たちを威圧感と低い声で、押さえつけるように落ち着かせた。
「元茨城県警の芦田(あしだ)だ。全員、参考人として旅館に待機してくれ。この中に今回のことに関係する者がいる可能性があるんでね。あとは俺の知り合いの、信頼できる警官たちが引き受ける。慈郎田さんは俺に同行してくれ」
「は、はい……」
無表情に淡々と続ける芦田とは正反対に、水之助の顔は真っ青で、背中が力なく丸まっていた。風が吹けばすぐにでも倒れそうだった。修二は芦田とともに去っていく、彼の青白い顔を見送る。唐突のことに、よほどショックを受けているようだ。
その後の進行は、村の大人たちが主に行い、老人ばかりのこの村の人たちだけでは大変だからと、冬也も手伝うことになった。ロビーで村の人たちと打ち合わせする冬也に修二は声をかける。
「冬也、俺も何か手伝うよ。指示さえもらえればどんどんやるし」
「そうっすね。じゃあ、他の人たちをバスに乗せて、旅館に着いてからも誰一人出かけないよう、見張りとかお願いします。今回のイタズラの犯人逃したりしたら、あの怖い金髪警官に大目玉喰らいそうっすからね」
「それだけでいいのか?」
「えぇ。大事なことでしょ?」
冬也の声は珍しく平坦だった。張り詰めた糸のような緊張感で、2人の間の空気がちりちり揺れる。あの蜘蛛の一件以降、冬也の様子がおかしい。いつもの軽薄な、緊張感とは無縁な雰囲気がない。こんなアクシデントがあったから、彼なりに自分がこの式を支えないと、と動いてくれているのか。修二は一瞬そう思ったものの、彼の瞳孔が開いた、飲み込まれそうなほど深い瞳を見ると、なんだか不安感がじわじわと、体の奥から迫り上がってくるのだ。
明里にも冬也について話したかったが、明里はロビーのソファで俯き、己の肩を抱いて震えるばかり。
やがて、バスが来た。がたがたと怯える明里の背を支えながら、バスに乗り込んだ。窓の外はもうすっかり曇天だった。
ベルは本当に、この村に来てほしかったのだろうか。最期に、修二を含めたここにいる人たちと、お別れをしたかったのだろうか。
腐食された古木のようにぐらぐらと、根が揺らいでいる。いつ倒れるかもわからないこの不安定な空間の中、修二は夢の中のベルの声を、縋るように思い返していた。同時に、願っていた。
____頼むからこれ以上、ベルを偲ぶこの場で、何事も起きませんように。
*
時刻は15時20分。こんな中途半端な時間に、葬儀後の食事会、精進落としを行うことはなかなか無いだろう。当初の予定通り、この小親村一番の旅館に、参列者たちは集められた。予定通りなんて言葉が皮肉に聞こえるくらい、空気は妙な淀みを漂わせているが。
旅館に着いてすぐ、40代から60代くらいの女性従業員たちが、大広間に案内してくれた。予定外のことに、彼女らに「帰りたいです」「どうなってるんだ」と詰め寄る人もちらほらいた。けれど結局「警察の指示です。わたくし共が警察の方に怒られてしまいますので……」としおらしく女性たちが言うものだから、みな不服そうに大広間で、予定時間を過ぎた精進落としをすることになった。
『____それでは、献杯』
献杯の声はなく、みな静かなままだった。献杯の烏龍茶を口に含む。虫歯でもないのに、冷たさがやけに歯に染みた。
やがてちらほら食事が始まると、ざわめきが少しずつ場に湧き始めた。料理が豪勢だというのもあり、参加者たちは次第に緊張をほぐし、舌鼓を打つようになっていく。
隣に座る明里も、ちまちまと艷やかな豆の煮物を口に入れている。
「明里。お前の好きな湯葉、あげる」
「……ふふ、ごめんね、気ぃ使わせて」
「いいよ。そんなに暗い顔するなって。久々に会えたんだし、いつものように綺麗に笑ってよ」
「綺麗、ね。ありがと、しゅうくん。ご飯食べたら少し、元気出たかも」
「よかった。俺は優しいから、この借りは今度飲みに付き合ってくれたらそれでチャラだよ」
「あらそう。じゃあとびきりいいホテルのディナーでも取ってあげるわ」
数時間ぶりに見た明里の笑顔だった。
それにしても改めて、美味しい料理ばかりだ。蕎麦に刺し身にローストビーフ、地鶏の煮物に天ぷらに、修二の好きな茶碗蒸し。蕎麦や牛肉、地鶏などはおそらく、この茨城で有名なブランドのものを使っているのだろう。
「あーあ、トーヤにも食べさせてあげたかったな」
「また食べに来ような。今度は旅行とかでさ」
「そうね」
本当は、ベルにも食べさせてあげたかった、と言いそうだったが、寸でのところで口が止まってくれた。せっかく明里が笑顔を見せたのに、また思い出させるようなことはしたくはなかった。
ベルの亡骸は結局、セレモニーホールのどこを探しても見つからなかった。火葬はおろか出棺もできず、今も棺はあの式場にあるまま。
修二は、冬也や水之助、特に芦田と合流したら、伝えたいことがあった。
あのとき見た、棺の中。そこで一瞬、美しい花たちに埋もれる糸が、真っ白な糸が見えた。糸はするりと生き物のように、円を描いた。え、と思い指を伸ばそうとしたとき、芦田に「触るな! 危ない!」と怒鳴られてしまった。
あの糸、なんだか妙な感じがした。何より、芦田の「危ない」という言葉。罰当たりだから棺に触るな、というなら分かる。だが一体、何が危なかったのだろうか。芦田はもしかして、あの糸について何か知っているのではないか。
修二は鈍感であったが、馬鹿ではない。薄々気がついている。この村には、この葬式には、何か嫌なものが隠されている。そしてもしかしなくとも、ベルに関しても、何か秘密があるはずだ。
透き通る鯛を箸でつまむ。無意識のうちに、指に力を込めていた。
わあわあと場が賑わっていく。みなそれぞれの席を離れ、歓談していた。酒も入ったことで、先程までの張り詰めた空気が嘘のように、賑わいがもっと湧いてきた。
賑わいの中で、バキッ! と、木が折れるような音がした。隣の明里の方からだ。どうした、と声をかけようとして、身体が固まった。
明里の手元の箸が、真っ二つに折れている。どうやら彼女が握りしめて折った、とは信じがたいが、そうにしか見えない。修二は信じたくないものの、粉々になった赤い木のくずを見て、明らかに握り壊した証拠に唾を飲み込んだ。
「どうした? 手から血が出てる。あ、箸が不良品だったとか?」
軽くおどけて言ってみても、明里は何も言わない。代わりに、真っ直ぐに指を指した。指の先では、ベルの悪口を言っていた元後輩、セレモニーホールに行く前、明里と楽しそうに話していた女子たち4人がいた。
す、と綺麗に伸びた細い指を動かし、今度は五十代くらいの男性と六十代くらいの男性の、2人が酒を注ぎあう方を指さした。確か、ベルが中学生だったときの元担任と、学年主任だと言っていた。
「あい、つら」
「あの人達が? 何?」
「からだ、とっておこうと、おもった。ちょうどあのくらいの、ねんれいのちが、のみたかった。でも、もうきいてられない」
「……明里?」
明里が勢いよく立ち上がる。修二の背に、冷たい炎が這う。不気味で、煮えたぎる冷徹な炎。不安でいっぱいの気持ちをさらに掻き立てる炎。
彼女の目が赤い。明らかに様子がおかしい。人間じゃない異形な生き物にさえ見えるほど、禍々しい気配がひしひしと肌を刺す。そんなわけないのに。そんなはずないのに。
そうだと信じたいのに。
「_____あぁ憎い、憎いことこの上ない。酒が入ったからってべらべらと喋りやがって。『べるちゃん』の悪口を言う奴らは、あいつらはもう、『わたしたち』にはいらない」
急に饒舌になった彼女は首をわずかに傾ける。修二が手を伸ばす前に、明里は目にも止まらぬ速さで駆け出していた。
がしゃん! とけたたましく膳が倒れる。明里はベルの元後輩のうち1人の首を、目一杯開いた白い手で絞めていた。先ほどの箸同様、粉々に折ってしまいそうなほどに力強く。
「きゃあああああ!」
「ぐえっ、やめ、て、ぐぐぐぐぐぐうううう」
「かすみちゃん! かすみちゃん!」
「三毛門さん!? ちょっと何するんですか!?」
明里はかすみ、と呼ばれた女性に跨り、首を絞め続ける。明里はぎりぎりと強く歯ぎしりしていて、リップが塗ってある艷やかな口元から、赤黒い血が一筋こぼれた。
修二は急いで駆け寄り、明里の肩を掴んで引き剥がそうとする。
「明里! もうやめてくれ! どうしたってんだよ!?」
「こいつらがべるちゃんのこと侮辱した。何度も何度も何度も。だから殺す」
「明里! 落ち着け!」
「うるさい触るな! 餌の分際でうっとおしい! おい! 見ているお前らも! 順番に殺してやるからそこに直れ!」
子供が泣き叫ぶような声とともに、腕を振り払われる。身体がよろけて尻もちをついた。振り払われた腕の痛みが、身体中にどくどく響いて痛い。尋常じゃない力の強さ。
信じたくはない、信じたくはないけれど。もう、この明里は、明里じゃない。
ようやく女性から離れた明里が、ゆらりと真っ直ぐに立ち上がる。女性は「ごほっ!」と咳をしていて、どうやら息はあるようだ。
明里の背は真っ直ぐで、無言のままその場で仁王立ちしている。
「どうして……なぁ、返事しろよ」
かくん、と首を傾げる明里が、こちらを見下している。鮮やかな赤い瞳で。ぐわっ、と寒気が全身を走った。この感覚に覚えがある。朝のバスでの金縛り、この村の写真を撮ろうとしたとき。間違いない。あの赤い目の女の、気配。
修二は、目を逸らすな、と己に言い聞かせた。畳に爪を立てる。逃げてはいけない、目を逸らしてはいけない。これ以上、ベルの弔いで波風は立たせない。
周囲の人がみな動けずに固まっている。静寂の中、修二は明里を、明里の姿をした何かをずっと睨み続けた。
「ふふ、あはははははははははははははははは!」
びりびりと禍々しい笑い声が響く。静寂を裂いたそいつの声は、聞き馴染みのある明里の声なのに、明里じゃない。彼女の声にたくさんの狂気をぐるぐると回し入れ、煮詰めて混ぜたような、異質な声。
ふらり、ふらり、とそいつは歩いていく。この場にいる全員が、ただ背を見送ることしかできない。
「あぁ、頑張ったらお腹が減った。この身体は重くて鈍くて、疲れる。べるちゃんに褒めてもらわなきゃ。べるちゃん、べるちゃん、べるちゃん……」
うわ言を呟いて、そいつは去っていく。修二は、ぐっと身体に力を込め、駆け出した。この明里を放置してはいけないと、考えるよりも早く身体が動いていた。
「ラサ、頑張ったよ……」
その言葉が最後だった。そいつの身体がぐらりと床に倒れる。焦げ茶色のフローリングに倒れる横顔は、真っ青だった。修二は明里の身体を恐る恐る揺らした。
「明里、おい、明里? 明里で、いいんだよな?」
頼むから元の、我儘で明るくて華々しい、あの明里であってくれ。願いながら、意識のない体を揺らす。
『あたしは、しゅうくんだけには、幸せになってほしい。だから言うよ。この葬式、あんまり、いい感じがしない』
紛れもない目の前の彼女に、そう忠告してもらったはずなのに。修二の中の予測が、確固たるものに変わる。
この村には、何かがいる。禍々しくて、得体のしれない何かが。
*
スマートフォンをつけてようやく、もう20時30分になっていたことに気がつく。ずっと芦田の取り調べを受けていたから、スマートフォンを弄る時間もなかったし、腕時計もしていないから分からなかった。
修二は旅館の廊下を歩いていた。目指す先は1階、この旅館で一番ランクの高い和室だった。
『とにかく、今日は休め。あんたも友達があんなことになって大変だろうが、今は身体と頭を休めることが優先だ。あとは俺たち警察の仕事だからな』
元、警察官だと言っていたが、話を聞くところによると、芦田もこの村出身だそうで、現場の指揮はほぼ芦田が取っていた。やってきた警察官たちが素直に指示に従っていたのを見ると、どうやら彼は相当なベテランのようだ。
明里は今も目を覚まさない。今は水之助や冬也が様子を見てくれている。また暴れだすのでは、と修二は気が気ではなかった。けれど水之助が「わたくし共の村に関係があることかもしれません。責任を持って看病いたします」と、真っ直ぐに言った。だから、心配は残りつつも、彼を信じることにした。水之助も動揺は残っているようだが、何か彼なりに思うところがあるらしい。
『明日の朝、全てをお話しましょう。安心して眠れる状況ではないのは重々承知しております。我々村の者は交代で起きておりますので、必要なことがあればなんなりとお申し付けください』
水之助の目には力強い覇気があった。それに名前をつけるならば、覚悟、といったところだろうか。
昼間に明里と話した、喫煙所の前に来たときだ。ぼう、と外の喫煙スペースに、オレンジ色の灯火が着いていた。
「冬也、また煙草か」
「あ、お疲れーす。煙草吸わなきゃやってらんないっしょ、人生なんて」
「そんな壮大な話かよ」
「シュージさんも1本吸います?」
「じゃあ、久々に」
ライターで火をつける。久々に吸ったメビウスは、心なしか紙の味が強い気がした。
「冬也は夕飯食った? ここのご飯、美味しいな」
「あー、最近ハラ減らねーんですよ、オレ」
「えっ、マジか。大丈夫?」
「大丈夫大丈夫。むしろ酒でしばらく腹出てたし、オレ太りやすいから。逆にラッキー的な?」
「無理するなよ」
「あざっす」
春の夜風はまだ冷たくて、鳥肌が立つ。今にも雨が振りそうな夜空の闇に背を押され、修二は口を開いた。
「……冬也は知ってたのか」
「何を?」
「この村に、何かあるっていうか、何かいるっていうか、そういうこと」
冬也はふっと、鼻で笑う。
「知ってても言わないでしょ。だって、こんな風になることが分かってたら来ました? ここに」
「来るよ」
修二と冬也の目が合う。修二の瞳は痛いほどに強く、冬也を見据えていた。
「ベルのためなら来るよ。今も一番、俺が好きな女の子はベルだけだ」
大学生の頃、照れくさくて本人には言えなかった言葉が、闇に流れる。もうその言葉を一番に届けたい人は、この世にはいないのに。
修二はまだまだ残っている煙草を、ぐじゅりと銀の灰皿に押し当てた。
「先に教えてくれ。この村には何がいるんだ?」
「シュージさん疲れてるんすよ」
取り繕ったような軽薄さだ。珍しく、今夜の冬也は嘘が下手だった。修二は拳を握り、眉間に皺を寄せる。
「真面目に答えろ。さっき明里が暴れたとき、ラサ、頑張ったよ、って明里が言ってた」
冬也の煙草を掴む指が、修二でもわかるくらいにぎしりと固まる。
修二の記憶の中で「ラサ」という単語に、微かな覚えがあった。大学3年の頃、よくタロット占いとか手相占いとかが流行っていて、そういうのが好きな友人に聞いたことがあった。
____「ラサ様」って神様の祠が、悪い縁とか悪い運を、消してくれるんだって。
「ラサって確か昔、水戸の路地のとこにあった、祠にいる神様の名前だよな? 確かベルも、行ったことがあるって言ってた。もしかしてその神様が、何かこの村とベルに関係してるのか?」
今度は冬也が、短くなった煙草を灰皿に入れて押しつぶす。はぁ、と煙草臭いため息を吐いて、冬也は下を向いた。
「さっきも言いましたよね。知ってても言わない。オレは何も言わないし、言えないです。明日、慈郎田さんたちから聞いてください」
「俺は真面目に」
「はは、やめてくださいよ。シュージさんには関係ないっす」
「お前、あの蜘蛛の事件から様子おかしいよ。力になりたいんだよ、ベルのためだけじゃなく、明里やお前のためにも」
冬也は俯いたまま、何も言わない。彼のピンク色の髪が、 力なく風に揺れる。
「俺もついてる、だから」
「……るっせぇな」
地を這うような、低い声だった。冬也はゆっくり顔を上げる。ぐしゃっと髪を掻き上げ、嘲るように笑った。
「あぁもう! 死ぬまで言わないでおこうって決めてたのになぁ!」
冬也が一歩踏み出す。彼は腕に筋を立てて、修二の胸ぐらを掴んでいた。
「あんたのそういうとこすっげー嫌い。自分が知りたいって思ったら教えてもらえると思ってて、自分が好きだから相手も自分のこと好きだと思ってる。鈍感な上に自分勝手ですよね、あんた」
冬也の腕の力が強まる。
「逆に聞きますけど、ラサ様が関係してるならなんです? というかそもそも、なんでそんなにベルさ__ベルちゃんに執着してるんです? 思いません? 本当に想い合っているのなら、なんで死ぬまでに連絡一つなかったんだって。このスマホが普及した時代でですよ?」
「それは」
「自分の前から連絡もなしに消えた理由が、本当に母親の介護だけだと思いますか? あんたの一番がベルちゃんのように、ベルちゃんの一番があんただって自信はどっから湧いてくるんですか?」
何も言えない。心の奥深くの、無意識に閉じ込めていた秘密の感情を、素手で殴られているかのようで。
冬也がそっと胸ぐらから手を離す。そのまま、今度は己のシャツの胸元を、心臓を握りつぶすかのようにぐしゃりと握った。
「オレだったらこんなことにはならなかった。オレが、あんただったら。ベルちゃんの彼氏だったら。もう1年だけ早く大学に入ってればって、オレの方が先にベルちゃんに告白してればって、何度思ったか知れないのに」
修二は「そんな」と、驚きの声を零す。だっていつも冬也は、自分たちカップルのことを応援してくれていたのに。
「お前、ベルのことはただの幼馴染のお姉ちゃんって」
「あーあ、うっぜ。ほんっと、あんたのことは嫌いなんだよなぁ、これだから。自分がいかに恵まれているか、まるで気がついてない。一瞬の間でもベルちゃんにとっての一番になれたのは、あんたに不相応なほどの幸福だったのにな」
つらつらと流れていく言葉の弾丸に、修二は何も返せない。
冬也は頭をがしがしと掻き、修二を睨む。それはそれは、憎しみの篭った視線で。
「あの子が消えた後、なんであんた、死ぬ気でベルちゃんのこと探さなかったんですか?」
「冬也も言われただろ。もう自分のことは探さないでほしいって、大学の事務室から伝言で」
「オレは探しましたよ。文字通り、死ぬ気で」
修二は唇を噛む。
修二だって、彼女を探そうと思っていた、本当は。大学に止められようがなんだろうが。でも、できなかった。彼女が消えたのは、本当は、自分の所為なんじゃないかと思いたくなくて。
「……喧嘩中だったんだ。俺が一方的に、悪い」
心の底に閉じ込めていた、本当の理由。それを搾り出すように口にした。誰にも言えなかった。言ってしまったら、彼女が退学して連絡がつかなくなったのは、お前の所為だと責められてしまうような気がして。
ぽつん、と場に似合わぬ軽やかな音がした。雨が降ってきたようで、大きな雨粒が屋根に降り注ぎ始めた。
沈黙が続く。静寂の中で、次第にざあざあと本降りになってきた。
「チョコレート」
修二は、はっ、と息を短く吸った。子供でもわかるような菓子の単語に、額に汗が滲む。
「あんた、ベルちゃんの手作りチョコ捨てて、大学で彼女の悪口言ってましたもんね。ねぇ?」
冬也が修二の胸に、人差し指をつん、と立てる。ちょうど心臓があるところを、的確に。
違う。違う違う。違うんだ。声にならない弁明が頭の中で鳴り続ける。
「それが引き金だったとも知らずにさ。この裏切り者が」
続
5話
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