AIに任せられることが増えても、監督の仕事は軽くならなかった|メタバースドラマ制作で考えたこと
どうも、久我レイジです。
最近の動画生成AIを見たあとに、メタバースドラマ『クロスロード』の映像を見返すことがあります。
そのたびに、少し苦しくなります。
光の入り方も、カメラの動きも、人物の表情も、数年前とは比べものにならないほど自然になりました。以前なら大きな予算や専門的な技術が必要だった映像が、今は個人でも作れるようになっています。
純粋にすごいと思います。
僕自身、AIを日常的に使っていますし、創作の可能性を広げてくれる存在だと感じています。だから、AIを否定したいわけではありません。
ただ、『クロスロード』と並べて見たとき、映像として見劣りする部分があることも否定できない。
アバターの表情には限界があります。人間なら自然にできる動きが、メタバース空間ではうまく表現できないこともある。カメラを置きたい場所に置けず、別の見せ方を探したことも何度もありました。
メタバースだから仕方がない。
そう言ってしまえば楽なのかもしれません。
でも、制作側の事情まで含めて作品を見てもらえるわけではないんですよね。
AIがここまで映像を作れる時代に、僕がメタバースドラマを作り続ける意味はどこにあるのか。
以前よりも、考えるようになりました。
一度作った作品を、同じようには作り直せなかった

Project Aliveでは、声優、アバター操作、エキストラを含め、61人で『クロスロード』を制作しました。
企画を立てて、脚本を書き、撮影して、公開する。
言葉にすると、それだけです。
でも、実際はそんなにきれいには進みませんでした。
一度完成に近づいた作品を、そのまま公開できなくなった時期があります。そこから時間が経ち、もう一度作り直すことになりました。
最初に制作したものを、そのまま再現すれば早かったと思います。
ただ、時間が経つと、自分の考えも変わっています。
以前は良いと思っていた演出に違和感が出てくる。台本を読み返して、この場面は本当に必要だったのかと迷う。もう一度撮るなら、違う見せ方があるのではないかと考えてしまう。
作り直すというより、過去の自分が選んだものを、一つずつ見直していく感覚に近かったです。
それなりの時間をかけて完成させても、公開すれば多くの人に見てもらえるわけではありません。
clusterのイベントでは、多くの方に作品を見てもらうことができました。
けれど、YouTubeへ場所を移せば、またほとんどゼロから始まる。
同じ作品なのに、置く場所が変わるだけで届き方は大きく変わりました。
良い作品を作れば、いつか誰かが見つけてくれる。僕も以前は、どこかでそう思っていたんです。
今は少し違います。
知られなければ、存在していないのと近い。だから、作品を作るだけではなく、発信や集客、公開したあとの届け方まで考えなければならない。
作るだけでも難しいのに、届けるところまで自分の仕事になる。
そして今は、そこにもAIが入ってきています。
選択肢が増えるほど、簡単には決められなくなった

AIを使うようになって、作業はかなり速くなりました。
企画を整理するとき。文章を見直すとき。アイデアが止まったとき。ゲーム開発や仕組みづくりの設計を考えるとき。
以前なら何時間も調べていたことを、短い時間で進められる場面が増えています。
最初は、AIを使えば自分の仕事が減ると思っていました。
作業量だけを見れば、実際に減っています。
ただ、監督としての仕事が軽くなったかというと、あまりそんな感じはしません。
むしろ、決めることが増えました。
AIに相談すれば、面白そうな案はいくつも出てきます。もっと刺激の強い展開も、映像として映えそうな演出も、反応を得やすそうなタイトルも提案してくれる。
どれも、それなりに筋が通っています。
だから迷うんです。
数字が伸びそうなら、作品の形を変えるのか。反応が弱くても、自分が残したいものを優先するのか。考え始めると、簡単には決められません。
『クロスロード』をゲームという別の形にしようと考えたときも、同じような迷いがありました。
ゲームとして面白くするなら、原作にはなかった展開を増やした方がいいのかもしれない。選択肢や分岐を強くすれば、作品として遊びやすくなる可能性もあります。
でも、変えすぎれば『クロスロード』ではなくなってしまう。原作を守るだけなら、ゲームにする意味が薄くなる。
ゲームとして面白くすることを優先すれば、これまで作ってきた物語から離れてしまうかもしれない。
AIは、その間にある案をいくつも出してくれます。
どこまで変えるべきかという判断の候補や、その根拠まで示してくれる。
正確に言えば、AIは決められないのではありません。
決めるための材料は、かなりのところまで出してくれます。
ただ、どの案を選ぶのか、その結果をどう受け止めるのかまでは引き受けてくれない。
そこは、僕の仕事として残りました。
効率だけを考えていたら、残らなかったもの

『クロスロード』の撮影では、台本の中では数行しかない場面に、想像以上の時間がかかることがありました。
声が入る前は成立しているように思えたセリフも、実際に演じてもらうと印象が変わります。
強く言う場面だと思っていたのに、抑えた声の方が感情が伝わることがある。セリフを聞かせたいと思っていたのに、アバターを動かさず、相手の言葉を受けている時間を見せた方が良いと感じることもありました。
カメラの位置を少し変えただけで、誰の感情を中心に見せる場面なのかも変わってしまいます。
撮影して、見返して、何かが違うと感じて、また調整する。
もっと早く終わらせる方法は、たぶんあったと思います。
人が関われば予定もずれます。意図がうまく伝わらないこともあるし、自分だけで作った方が楽だと感じたこともありました。
それでも、一人で最初に考えたものを、そのまま出力していたら、今の『クロスロード』にはなっていません。
声優の解釈によって、台本を書いたときとは違う感情が生まれた。
思いどおりに動かなかったことで、別の演出を考えた。
一度止まった作品を、関わった人たちともう一度作り直した。完成した映像だけを見ても、そうした時間は分かりません。
AIなら、もっと短い時間で美しい映像を作れるようになると思います。
もしかすると、僕たちが何日も悩んだ場面を、数分で作る日も来るのかもしれない。
それでも、あの時間が無駄だったとは思えないんです。
いや、全部に意味があったと美しく言い切るのも、少し違う気がします。
遠回りしたこともあります。もっと早く気づけたこともあったし、必要以上に悩んでいた部分もあったと思います。
ただ、その失敗が次の演出や判断を変えた。
そこは、確かに残っています。
最後に残ったのは、作業ではなかった

以前は、人間にしか書けない脚本や、人間だから生み出せる感情や演出が、最後まで残るのだと思っていました。
でも、そうやって境界線を引いても、その線はすぐに動いてしまいます。
今はできないことも、数年後には普通にできるようになるかもしれない。
だから最近は、AIに何ができないかより、自分は何を選ぶのかを考えるようになりました。
誰に届けるための作品なのか。数字を取りにいくなら、どこまで形を変えていいのか。関わった人たちの時間を使ってまで、なぜこの作品を続けるのか。
作品が届かなかったとき、もっと違う方法があったのではないかと、公開後に気づくこともあります。
それでも、最終的に選んだのは僕です。
人間に残るものは、特別な才能ではなく、選んだ結果を自分のものとして受け止めることなのかもしれません。
それを仕事と呼ぶのか、責任と呼ぶのかは、まだよく分かりません。
『クロスロード』をゲームとして育てることも、メタバースドラマを続けることも、正しい選択なのかはまだ分からない。
それでも数年後、AIより優れた作品を作れたかではなく、なぜこの形を残そうとしたのかを覚えていたい。
その理由まで、僕は忘れずにいられるのでしょうか。
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