重度の算数障害
はじめに
2024年にWAIS-lV検査を受けました。
結果は「言語理解100」「知覚推理98」「ワーキングメモリー81」「処理速度90」総合IQ92でした。
その後のヒアリングで、幼少期から数の理解に困難があったことを伝えました。「限局性学習症で重度の算数障害がある」と医師から指摘を受けました。
私自身、「他の人と同じようにできない」ということが多く、学校での勉強には非常に苦しんで来た経験があります。
現在、やっと「限局性学習症」というものが世の中に認知され始めた頃ですが、まだまだ「算数障害」については一般的では無いため、私は自分の経験を通して、「周りと同じようにできず苦しい思いをしている子ども」たちとその家族がこの障害について知ってくれたらと思い、経験を共有をします。
幼稚園年長クラス
私は私立の幼稚園へ通園していました。
幼稚園の年長クラスに入ると、小学校入学を見据えて数字の勉強をすることがありました。しかし、数字も数を数えたり、数の大小(例えばどちらが多い、少ない)ということの理解ができず、困っていました。数字が上手く理解できず、何度やっても10まで数えることができませんでした。
小学生のころ
小学1年生のころから、他の科目は周囲と変わらない習熟度を見せていたが、算数だけは全くできず、簡単な足し算や引き算の理解が困難でした。 自宅で通信教育(進研ゼミ)や計算ドリルを何度も解いて足し算や引き算、数の大小の理解が追い付いたのは入学してから半年後の秋ごろでした。 例えば、数を数える(1~10)まで。ができない、算数用のブロックを使っても分からない状態でした。その後も(●+2=5)みたいなことをやりましたが常にちんぷんかんぷんでした。
小学2年生のころ、算数は時計の針や目盛りが読めませんでした。定規の使い方も分からず、四捨五入の意味も理解できていません。
九九はクラスでも一番最後に覚えました。休みの日には朝から晩まで自宅の2階で泣きながら暗証の練習をしていたことを覚えています。理解というよりも「そういうものだ」と、割りきり、無理やり暗記していました。 テストも他の科目は90~100点でしたが、算数だけは20~30点台をうろついている感じでした。
「配慮がされない時代」だった。
小学校の教師もあまり配慮してくれず、「算数の課題が正解するまで帰らせない」ということがよくありました。
当然、算数が全くできなかったため、クラスで最後まで居残りをさせられ、日が暮れても教室に1人だけ居残ることもよくありました。
このころから算数が非常に嫌いでした。問題が解けないとパニックを起こしたり、教科書をグシャグシャにしたりプリントを破いたりするなど、授業中にひどい癇癪を起すようになりました。
今考えると、他者ができているにもかかわらず、自分だけできないことに対する恐怖と不安と苛立ちからそうした行動に出ていたように思います。
算数の時間はいつも癇癪を起こしたり、周りが問題を正解していく様子がまるで「自分だけ置いてきぼりにされている」ように感じてしまい、涙でプリントがグシャグシャになることがよくありました。 ある時、「もう算数なんかしたくない!なんでいつも自分ばかりできないんだ!」と叫んで癇癪がいつも以上に酷かったことがありました。先生も困惑しながら私を廊下に一度連れ出して「できないのはみんな一緒だよ。分からないからみんな勉強するんだよ。あなたもがんばればできるようになるから落ち着いて」と言われたのを覚えています。しかし、私の心には全く響きませんでした。
卒業まで改善はされず
弟がちょうど入学した年、私は小学3年生でしたが、分数や小数がなかなか理解できませんでした。 一方で弟は当然のように足し算引き算を覚えて最初の算数テストも満点を取って帰ってきました。ここでも私は「違い」を突き付けられます。
3年生の私は、定規や分度器が使えず、図形の理解や展開図が書けませんでした。
一方で、他の科目は良い点数を取れていたのですが。算数はまったくだめでした。
父親・母親から「他の科目はよくできているのになぜ算数だけできないのか?」「努力不足だ」「甘えている」「得意科目ばかり勉強するのはよくない」「苦手なことから逃げるな」と言われていたため、すごくストレスを感じていました。 自宅でも算数の宿題や練習問題をさせられてきたが、何度やっても上手く理解できず、癇癪を起すだけで点数は一向に伸びませんでした。この状況は卒業まで続きました。
中学生の頃
中学に入ると数学の困難さがよりひどくなりました。また、 定期考査前には自宅でも算数の宿題や練習問題をさせられてきましたが、何度やっても上手く理解できず、癇癪を起すだけで点数は一向に伸びませんでした。
「意地でも勉強なんかしたくない」と半ば諦めに似た感情を持っていました。 中学でも学習面での困難が如実に現れていました。数学は時間をかけても全く理解できませんでした。(一次関数や二次関数、平方根の計算や理解が非常に困難でした。証明問題も全くできず、すでにあきらめていました。)
数学以外にも、理科でも数字を扱う単元が出てくるため、それも大変でした。 定期考査前には自宅でも算数の宿題や練習問題をさせられてきましたが、何度やっても上手く理解できず、癇癪を起すだけで点数は一向に伸びませんでした。
他の科目は点数が取れていたので、なんとか卒業に漕ぎ着けました。
高校生の頃
2007年には無事に公立高校へ合格、普通科へ通うことになります。しかし、数学ばかりか科学までもが計算式ばかりになったこともあり、相変わらず絶望していました。 化学は知識だけでなんとか点数を取っていました。しかし、高校2年生の物理は壊滅的に出来ませんでした。(8割が計算問題だったため)
また、受験後の疲れから「燃え尽き症候群」のような状況に陥り、疲れがひどく、この頃から勉強に向き合うことが困難になりました。定期考査では、最低限しか勉強せず、それでもだいたい赤点回避を遂げていましたが、数学は常に赤点を連発していました。塾も通信教育も受けていたが、数学ばかりいつも補講や追加の課題をさせられました。
届かなかった「SOS」
高校になったことで学ぶ領域も高度になり、さすがに「もう限界だ」とを感じるようになりました。
教師も両親も、「なぜ数学ばかり赤点を取るのか?」「補講を受けて追試を受けても赤点で、課題も出しているし、他の人は追試で何とか点数が取れているのになぜ数学だけ全くできないのか」と頭を抱えていたのもこのころでした。 私は自分が他者と比べて非常に劣った存在だと感じ、高校二年生の秋ごろから半ば適応障害のような状態となり、保健室登校を繰り返し、数学の授業はすべて寝ていました。そのため、数学の試験結果はいつも、0~5点ばかりでした。
両親にも事あるごとに(特に学年が変わる時)は、「しんどい、もう高校へ行きたくない、鬱かもしれないから、病院に行かせてほしい」と伝えてきましたが、「気のせいだ」とか、「考えすぎだ」などと一蹴され、まともに取り合ってくれませんでした。その後、高校生三年生の卒業まで数学の時間だけ保健室に行くか、たまに出席点を取るためだけに授業に出席していました。
「交渉」で勝ち取った「卒業」
2009年にはいよいよ高校3年生になりました。1年からの数学の点数が悪すぎるため、高校卒業に必要な単位が認定されず、「このままでは卒業できない」という問題に直面しました。 また、当時は高卒で働くことを考えていた時期でもありました。しかし、自分の特性がどういった職業に適しているのかが、分からなかった両親から「とりあえず四年制大学へ行きなさい」と言われます。 また、私の困難さは大学入試が控えていたことから対応を先送りしていた両親にも知られるところとなります。 「このままだと卒業すら危うい」と両親も危機感を持つようになりました。 さすがに黙っていられなくなったため、私は自分が持つ特性と困難さを伝えました。 両親はこれまでの無理解を謝罪してくれ、教育委員会や校長、数学の担当教師や学年主任などと何度も相談をしました。 まだ「限局性学習症(算数障害)」は一般的に知られていなかったころですが、「他の科目は真面目に受講しており、テストの成績も良いが、本当に数学だけはできない」ということを理解してもらいました。 交渉の結果、補講を全日出席し、出された課題(四則演算のみの簡単なもの)を毎日解いてくるということで単位は認定できないが、卒業を認めてもらえました。「やっと数学に悩まされなくなるんだ」ということと、つくづく算数障害である自分が嫌になる出来事でもありました。
