及川眠子 生誕60年記念イベント(2020)
仕事場の記憶 Vol.9─作詞家の言葉が舞台になる夜─
このシリーズは、私が長年立ち続けてきた“現場”の記憶です。
変化の激しい時代の中で、自分がこれまでどんな現場に立ち、どんな熱狂を作ってきた人間なのか。その足跡を具体的に残すために、この「仕事場の記憶」を綴っています。
光と音の温度、人の表情、空気の重さ――言葉では残らないものを記録しています。
及川眠子生誕60周年(2020年2月)
この回は、正確に言えば「仕事」というよりも「お手伝い案件」だった。
『新世紀エヴァンゲリオン』の主題歌
「残酷な天使のテーゼ」の作詞家、及川眠子さん。
彼女とは、シンガーソングライターの黒住憲五さんを通じて知り合った。
最初にお会いしたとき、実は私はアニメにはあまり興味がなく、
「残酷な天使のテーゼ」の作詞家というより、
やしきたかじんさんの「東京」の作詞家として及川さんを認識していた。
「東京」は私のカラオケ定番曲のひとつで、
20年以上も歌い続けているうちに、
モニターに映る作詞・作曲者名を自然と覚えてしまっていた。

黒住さんが岡山在住ということもあり、
東京にいる私と及川さんは、
飲みに行ったり、ご飯を食べたり、
出版記念パーティを手伝ったりと、
ゆるやかに10年ほどの付き合いを続けていた。
彼女が苦手とするIT周りをサポートしたこともある。
そんなある日、
「60歳の誕生日を迎えるから、生誕祭を東京會舘でやりたいの。
手伝ってくれる?」
と連絡をもらった。
もちろん即答で「やります」と返した。
企画と準備
及川さんはミュージカルのプロデュースも手がけているだけあって、
すでに全体の構成やプログラムはおおよそできあがっていた。
私の役割は、そのイメージを実際の形にして着地させること。
会場の東京會舘の総料理長も彼女の知人、
出演者やゲストもほとんどが彼女の人脈によるものだった。
当時、彼女は
新宿2丁目ユニット「八方不美人」をプロデュースし始めた頃。

その関係もあり、
出演者の多くが2丁目で活躍するパフォーマーたちだった。
①Kaya/歌「及川眠子メドレー」
②バブリーナ+ナナ・ビクトリア/ショー「淋しい熱帯魚」
③アルピーナ/ショー「松田聖子」
④バビ江ノビッチ/ショー
⑤ミッツ・マングローブ/歌「原始、女は太陽だった」
⑥レイチェル・ダムール/ショー
⑦オナン・スペルマーメイド/ショー
⑧HOSSY/ショー
⑨エスムラルダ/歌「魔法時間」
2丁目と縁のなかった私は、出演者の名前を聞いてもピンとこない。
それでも、「一つひとつが演目だ」と思えば、
やることはいつもと同じ。
会場を下見し、照明・音響スタッフと打ち合わせを重ね、
進行表とレイアウトを詰めていった。
リハーサルの嵐
当日は18時半受付開始。
会場入りが15時なので、
わずか2時間ほどで約10組のリハーサルをこなさなければならなかった。
2丁目の出演者たちは、一組あたり10分ずつのリハ時間。
照明のきっかけ、立ち位置のバミリ、音出し、
すべてが分刻みで進んでいく。
開演前のざわめき
受付が始まると、会場は一気に華やいだ。
及川さんがこれまでに楽曲を提供してきた相田翔子さん、
高橋洋子さん、石井明美さんなど、
名だたるアーティストや作曲家、
レコード会社関係者が次々と来場する。
この日の主役は、
特別に誂えたドレスでそのひとりひとりを笑顔で迎えていた。

私は進行役を務め、サポートには大学生の女性アシスタントがついた。
彼女の任務はステージの進行管理。
出演のタイミングを伝え、
控室からスムーズにステージへ誘導することだ。
イベント経験ゼロの学生だったが、
驚くほどの冷静さと気配りで役割を完璧にこなしてくれた。
これまでの経験から、
こうした現場では男性より女性のほうが
マルチタスク能力に長けていると感じる。
古代から続く「家事と育児の両立」という
本能的な構造が関係しているのかもしれない。
本番、そして混乱
控室は会場から少し離れた場所にあり、
出番のたびに声をかけに行く必要があった。

ところが問題が起きる。
リハーサルではみんな普段着だったが、
本番では別人のような衣装とメイク。
つまり――誰が誰かわからない。
アシスタントが困惑して戻ってきたので、私も控室へ向かった。
扉を開けた瞬間、思わず息をのむ。
「……これは無理だ。」
仕方なく、出演名を読み上げて
「〇〇さん、どちらにいらっしゃいますか?」
と声をかけることにした。
すると、それぞれが手を挙げて笑顔で応じてくれる。
その光景すらも、どこか舞台のワンシーンのように美しかった。
非日常の夜

ちなみに、このフロアは貸切ではなかった。
私たちの使う2部屋のほか、
同じ階では結婚披露宴が3組も行われていた。
共有の廊下を、タキシード姿の新郎新婦のゲストたちと、
華やかな衣装の2丁目パフォーマーたちがすれ違う
――そんな不思議で平和な光景が広がっていた。
日常と非日常、現実と幻想。
その境界線が溶け合う夜だった。
ステージは笑顔と拍手に包まれ、
パーティは大成功のうちに幕を閉じた。
来場者は満足げに帰り、
私もまた、忘れがたい一夜の記憶を胸に刻んだ。
現場では、常に新しい発見がある。
東京會舘という伝統的な空間で、
2丁目カルチャーと音楽界の人々が同じ空気を共有する
その瞬間に立ち会えたことが、何より貴重な経験となった。
2020年2月10日、
得体の知れない中国からのウィルスが日本にも広がろうとしていた頃の事。おそらくもう1ヶ月遅ければ開催中止になった可能性もあった。
無事開催できたのも「運」なのでしょうか。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
光と音の交差点で生まれた、
小さな“現場の記憶”を残しています。
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次の現場へ灯りをつないでください。
✒筆者関連シリーズ
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