【番外編】家計講座を終えて─マダムの知恵はどこから来るのか
家計講座が終わった日の夕方だった。
椅子を片付けながら、メイがふと首をかしげる。
「ねえ、マダムって……なんでそんなに詳しいんですか?」
声に気付いてマダムは振り返る。
家計のことだけじゃない。
生活の工夫も、スマホのアプリの話も。
森ではあまり聞かない話が当たり前みたいに出てくる。
「森ではスマホ持ってる人、少ないじゃないですか。なのに、やたら詳しいし」
少し考えてから、メイは首をかしげた。
「あれっ……?そういえばマダム、スマホ使ってるとこ見たことないかも」
マダムは、ほんの少しだけ窓の外に視線をやった。
「詳しい人ほど、表には出さないものざます」
メイは「ふーん?」と首をかしげたまま帰っていった。
◆
その日の夕方。
「かあさーん。いるー?」
ノックもそこそこに、マダムの家の扉が開く。
「今日発売だったのよ、朝から並んじゃった。」
バッグから取り出したのは、新しいスマホだった。
「見てこれ。今度のは二つ折りなの」
「……最近はそういう形ざますか」
「コンパクトでしょ?でもね、それだけじゃないのよ。今回のはね、初心者でも迷わないように作ってあるの。設定もすごく簡単だったわ」
マダムは静かに聞いている。
娘はお茶を飲みながら続けた。
「最近って、性能より『迷わせない設計』が評価されるのよ」
「考えなくても直感で使えるからいいわよ。かあさんも持てば?」
マダムは湯のみを持ったまま、小さくうなずいた。
「今のままで十分ざます」
「ふうん。そう」
一通り話し終えると、娘は満足したように息をついた。
「ところでかあさん、講座ってひと段落したの?みんなの反応どうだった? 」
マダムは、湯のみを持ちながら答える。
「そうざますね……。
余計な所で迷わなくなっていれば十分ざます」
娘は一瞬きょとんとしてから、くすっと笑う。
「……なにそれ。まるでこのスマホじゃない」
「似ているざますね。道具も、家計の仕組みも。迷いが減れば、それだけで扱いやすくなるざます」
「なるほどね。やることを増やすんじゃなくて、考えなくて済む家計簿ってことね」
娘はスマホをバッグに滑り込ませながら続ける。
「ま、何かあったら言って。テンプレくらいならすぐ作るわよ」
「……仕事の方は、忙しくないざますか?」
娘は一瞬、肩をすくめる。
「別に、そのくらい手間じゃないわ。かあさんが慣れないものに時間使う方が無駄よ」
娘は立ち上がりコートを手に取った。
「じゃ、また来るわ」
そう言うと、マダムの家を後にした。
「……相変わらず、慌ただしいざますね」
◆
数日後。森の広場で司書のアキラがぽつりと言った。
「最近、新しいスマホが出たらしい。気になっているんだけど……、僕に使いこなせるかどうか」
するとメイが、あっけらかんと笑った。
「えー、アキラさん大丈夫だって。使ってれば慣れるよ」
「ならいいんだけど……」と、アキラは苦笑いしている。
「いやいや、私でも使えてるし。楽しいよー?スマホ。」
そう言って、メイはスマホを持つ手をひらひらと振った。
その背後から、静かな声が差し込む。
「今回のものは初心者向けざます」
二人が振り返る。
「迷う場面を減らす設計になっているざます」
「迷う場面が、減る……」
アキラはごくりと息を飲む。
「道具は、人を賢く見せるものではないざます」
マダムは静かに笑う。
「人を迷わせないものほど、良い道具ざます」
アキラは少し考えたあと、小さくうなずいた。
「……それなら、僕にも使えそうだ」
マダムは静かに微笑むと、森の奥へ歩いていった。
メイが小さくつぶやく。
「……マダム、何者?」
◆
森の教室には、静かに話を聞き、必要な言葉だけを渡す人がいる。

けれどその知恵の裏には、もう一つの視点があることを、まだ誰も知らない。
この話の関連話👇
家計簿の苦手を克服する7日間講座
