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桜のセカンドベース

#創作大賞2026

#エッセイ部門

桜の切り株に、初老の男性が座っていた。まるで誰かを待っているように、広場を見つめている。
かつて、そこは私にとっての「セカンドベース」だった。

自宅が歩いて10分ほどの距離。
そこに巨大団地があった。
建設されたのは昭和30年代。
車が余裕で2車線通れる道路が団地の真ん中を通り、道沿いには木が整然と並んでいる贅沢な造り。
広い団地であるため、公園も3カ所あった。
私が7歳で引っ越してきたときからその団地はあり、同級生の多くが住んでいた。

小学校時代の私の遊びはこの中で完結していた。
団地内の公園に出かければ、友達の誰かが見つけられたからだ。

学校が終わると、自転車のハンドルにグローブをはめた。
タイヤには軟球が挟んである。
道具はそれだけで十分だった。
その中心となったのが、団地の奥まった場所にある「桜広場」。
実際の正式名称は知らないが、そう呼んでいた。

名前の通りに、桜の木が何本も植えられている広場だ。
道を挟んで、遊具のある公園があることと、子供が野球をするにはほど良い内野と呼べるスペースに、桜がなかったため、私たちのホームグラウンドになった。

まだ広場で軟球を使い、バットで打っても、禁止になるような時代ではなかった。
強い当たりを打っても、桜の木が邪魔をして団地に住む人のところまで、飛ぶことがなかったからなのかもしれない。

そこへ行けば、誰かが野球を始めていて、グローブをもった友達が集まり加わっていく。
同級生だけでなく、下級生が仲間に入ることもあった。
野球ができればそれでよかった。ある程度の人数が集まると、自然と仕切る友達がいて、いつの間にか試合が始まる。

ときには広場の端にあるベンチに、野球好きの観客な姿があった。
もちろん1人か2人ぐらいだが、声援が飛ぶと、頬が緩んだ。
気分はまるでプロ野球選手だ。ベンチに観客がいないときには、僕らにとってのダグアウト。
すぐにバッターボックスがあるのに、選手の真似をしながら、屋根も囲いもないダグアウトから打席や守備に向かう。

1塁、2塁、3塁のベースは、だいたいそこにある桜の木。
切り株の桜は、セカンドベースだった。寄りかかることができたぐらい頼もしい木。
ホームベースだけは、自分たちで土を削って作り、スコアボードも地面に書いた。
日が暮れて、ボールが見えなくなるまで試合をした。

中学生になると、さらに学校が遠くなり、団地へ行く回数は減った。
外で遊ぶにしても、すでに野球ではなく、せいぜいキャッチボールをするぐらいになっていた。
そしてなぜか、私たちの世代が小学校を卒業すると、そこで野球をしている少年たちの姿は見なくなった。

やがて、「バットやボールを使っての遊びは禁止」という立て札が建てられた。

それからは、春は桜の花見、夏は桜の枝にできた陰で休む人の姿が目立つようになった。
野球の消えた広場のベンチは、冬になると枯れ葉が積もり、ペンキの禿げた部分を隠した。

そんな団地が、建て直されるというのを聞いたのは数年前だ。
駅へ行ったり、買い物をしたりする道は他にあり、団地からは足が遠のいていた。
壊されると聞いたときには、その古さからは、「仕方がない」と感じるだけだった。

先日、久しぶりに団地の中を通った。買い物ついでに、壊される前に行ってみようと、自転車を走らせた。

思った以上に寂れた団地は、夕方のせいもあり寂しく感じられた。
歩いているのは老人だけで、塗り替えで保たれていた白い壁は剥がれた箇所が目立った。
ただ階段を照らす灯りだけが全棟でついていた。

家から近い砂場がある公園は、ビー玉遊びなどで低学年の子供たちでにぎわった場所だった。
ちょうど小学生の帰宅時間だったが、その姿はない。
この日いたのは母と子供がバスケットボールでキャッチボールをしていただけ。
誰もいない砂場にかかった屋根は、穴が開いたまま補修されていなかった。

桜広場を見ると、私たちが野球をしていたころには、もっとも大きな桜の木だった「セカンドベース」が切り株になっていた。

その切り株に初老の男性が腰かけていた。
視線の先は、私たちのホームグラウンド。
そこに、ツルツルの軟球が転がっていた。
彼は私と一緒に、ここで野球をしていたひとりなのかもしれない。

記憶というのは曖昧なもので、以前あった家や店を数年後には思い出せなくなることが多い。
友達の家でさえ棟を間違えてしまうほどの広い団地。
誰がどこに住んでいたかは、もう思い出せない。
ただ、小学生のとき、毎日のように遊んだこの団地のいくつかの場所には、はっきりと自分の姿が感じ取れた。

転校してきて初めて、野球の仲間に入れてもらった。
雨を防げる砂場で、ビー玉をぶつける山を作り、自分たちのルールで遊んだ。
公園に穴を掘り、バットとボールでゴルフの真似事をしたこともあった。
動いていたはずの時間は、やがて写真のように止まり、折り重なっていく。

切り株になった桜の前に、ツルツルの軟球が転がっていた。
だれにも投げられることもなく、拾われることもなく。




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