木工の飛行機①
あの小さな飛行機はどこへ行ったのだろう。
もちろん本物ではない。
大事にしていたはずなのに、見つからなかった。
小学校六年生の最後の冬休みが明け、三学期が始まる。
担任のT先生は、机の上で木工を始めた。
図工の教師ではない。
専門は理科。
もともとは中学の先生で小学校へと転身した40代後半のT先生。
野口英世に少し似ていて、天然パーマで後ろの髪の毛がいつも跳ねていた。
ひとつ仕上げては、また新たに削り始める。
授業を実習にして作っていることもあった。
時折、騒ぐ生徒を見ながら笑みを浮かべ、また手元へ視線を移して、ナイフで削り始める。
体育の時間、校庭で駆けているとき、教室の中にひとり先生の姿があった。
その姿勢で、飛行機を作っているのがわかった。
出来上がった木工の飛行機は、数が増えていくと、ひとつひとつ違いがあった。
多くなると、段ボールを足もとに置き、そこへ丁寧に入れていき、職員室へもっていった。
三学期はあっという間に終わり、T先生との最後の挨拶。
ひとりひとりにその飛行機は渡された。
角ばって少し大きなもの、丸みのある小さなものもあった。
手作りだから、ひとつひとつ形や大きさが違う。
ただ、それも先生の思いと感じた。
最後の生徒が受け取り、ひとつ余った飛行機が教壇の上に乗っていた。
自分のためのものでないことを、だれもが知っていた。
六年生の一学期、体の小さなFが授業中に手を挙げた。
「頭が痛いので、保健室へ行っていいですか?」
「大丈夫か?ひとりで行けるか?」
先生の問いに、少し笑みを浮かべて、教室を出ていった。
僕らの時代の男子小学生は、ほとんど野球帽をかぶっていた。
とくに人気が高かったのは、ワッペンでマークがついたものではなく、刺しゅうされたプロ野球選手と同じ形のものだ。
ジャイアンツが多く、たまにタイガース。
ただ僕とFはスワローズの野球帽をかぶっていた。
二駅先のスポーツショップで一緒に買ったもので、クラスだけでなく学年でもかぶっているのは僕とFだけだった。
保健室へ行くだけのつもりのFの机には、かばんと一緒にスワローズの野球帽が掛けられていた。
しばらくすると、保健の先生がT先生を呼びに来た。
廊下で少し話をすると、戻っては来なかった。
そしてサイレンを鳴らした救急車の音。
校庭に入ってきた救急車は、校舎の近くまできた。
窓からのぞくと、ストレッチャーに乗せられたFが運ばれていった。
Fの姿が見えなくなり、保健の先生が乗り込むと、またサイレンを鳴らして救急車は走り去っていった。
「心配するな、何でもないから」
戻ってきたT先生は、教科書を開いて授業を続けた。
目が真っ赤だった理由はわからなかった。
それから三日が経った朝のホームルーム。
先生はうつむいて教室へ静かに入ってきた。
そして大きく息を吐くと、
「F君が昨日の夜、亡くなりました」
そう言い切れないまま、T先生は腰を曲げながら号泣した。
静まり返った教室の中で、T先生の嗚咽だけが響いていた。
祖父母が生まれる前に亡くなっていて、親戚も少ない僕にとって初めての葬式への参列はFのものだった。
生まれつき、脳に腫瘍があり、それが血管を破ったことによる死だった。
小さな工務店の裏、自宅スペースに作られた祭壇。
遺影の中で、スワローズの帽子をかぶったFが笑っていた。
卒業式の日に教壇の上に残った飛行機は、Fへのものだとみんなわかっていた。
「みんな元気で、元気でいるんだぞ」
T先生は絞り出すように言って、ひとりひとりと握手して、教室から送り出した。
見送りは教室からで、校門を出るときに振り返ると、窓からこちらを見ているT先生の姿があった。
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