銭湯とねこ

それほど頻繁に銭湯に行くわけではないんですが、銭湯という存在が好きで、老後、銭湯の運営に関わりたいなんてほんの少し思ったりしています。いや、もちろん街の銭湯が次々廃業に追い込まれ、残る銭湯も厳しい経営を強いられているというのはよく見聞きしているし、単なる妄想ではあるんですが。

「ドキュメント72時間」という、72時間定点観測をするNHKの番組があって、たまに見るのですが、先日の舞台は大阪の銭湯でした。家事と仕事に追いやられながらも、ほんのひとときの自分ひとりの時間が欲しくてやってくる主婦だったり、出勤前のひとときにやって来る工場勤務のサラリーマンだったり、友だちとお泊まり会をするという小学生の女の子だったりが次々やって来る。

銭湯では、手頃な値段で、老若男女、刺青を入れた怖そうな人も、普通の人も、どんな人も裸になってフーッと一息ついて、ほんのひと時、ペルソナを外して、また日常に戻っていくんですね。「スタバでホッとする」のとはまた質が違う(僕もスタバに行くのは好きな方なので、スタバ批判してるわけではないです)。そういう場所が人間にとってやっぱり大事というか、必要じゃないかと思うのです。

これまたねこもそうで、なんで人はねこに癒されるか、というと、彼(彼女)らは、その人がどんな人かって関係ないわけですね。年収がどうであれ、どんな職業だろうが、どんな肩書だろうが、どんな過去を背負っていようが、全く関係ない。彼(女)らにとっては、ご飯をくれて、世話してくれて、一緒に遊んでくれるかが全てなわけで、だから、人はペルソナを脱ぎ捨ててかかわれることで癒されるのではないか。

僕の好きな哲学者の西研さんが、「実存からの冒険」という本のあとがきの中で、「何者かであらねばならない」という強迫観念にかつて悩んだ、と書いていたことを記憶しているんですが、まさに、銭湯という場所も、ねこも「何者でなくても受け入れてくれる」んですよね。
いわば、「色」に悩む人間が「空」になれる場所、ねこは「空」にしてくれる存在といえばいいでしょうか。
般若心経の「色即是空、空即是色」はそういうことなんじゃないかと勝手に理解しています。

そんなわけで銭湯もねこも僕は好きなのです。(犬も好きですが、これまで接してきた犬は、僕がおやつを持っているときしか言うことを聞いてくれなかったので、ねこより「空」感が薄い気がしております笑)

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