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「自分−写真=??」写真を引いた時に残るもの。

アイデンティティってどこにありますか?


アイデンティティ…
『自分は自分である』という自己同一性のこと。
自分らしさ・個性、そんな風にも言えるらしい。



自分は何者なんだろう。

何者でもない自分は、何者かになりたくて、何かを探し続けている。

この現代の情報社会を生きていて、何者かになっている人達を見るSNSが人気を博していて、自分の劣等感が目につくこの世の中。そう思わない方が無理なのかもしれない。

そんな時にふと気がついてしまう。

自分−写真=??

そんな図式が成り立ってしまうことに。

逆に言えば、それだけの物事に一生のうちに出会えた事は幸せなのだろうと思う。いや、間違いなく幸せなのだ。

気づけば人生の半分、写真を撮って生きている。

まだスマホがない時代から、コンパクトデジタルカメラで日々の記録を残していた。その写真達をどうするわけでもなく、ただ撮ることが好きで、撮っている自分が好きで、ずっとカメラを持っている。

自分からカメラを取り上げたら、何が残るのだろうか。

自堕落な生活になって、何をやろうと悩む毎日になって、仕事どうしようかなって転々とフラフラして。

そんな生活が目に浮かぶ。

写真を撮る事が自分を真っ当な人間にしてくれているんじゃないかと、社会と唯一繋がれるツールがカメラであり写真なんじゃないかと思う。

写真をずっと撮っているから、「こうたにはカメラあるじゃん!いいじゃん!」と言われる。

たしかに。と思いつつも、それしかない。と不安で寂しくなる日もある。

もっとたくさんいろんな事が出来て、いろんな経験をして、お金も稼いで、真っ当に日本社会で生きている人たちはたくさんいる。

隣の芝はいつだって青い。そんな事は分かりきっているのに、比較という現代社会の闇に身を落とす。

そんな暗い自分を救ってくれるのも、カメラであり写真だったりする。なんだか皮肉なものだ。

自分からカメラを引いたら、何になる?

引きたくないから写真を撮っているんじゃないか。
自分が自分であるために、社会から必要とされる人間であるためにだけ、写真を撮っているんじゃないか。

だとしたら自分のアイデンティティはカメラにある。
自分を自分たらしめるもの。

一心同体。

だからこそ向き合わなくちゃならない。
逃げてはならない。

生きる喜びが、目の前にあるんだから。


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中澤紘大 ||写真家 サポートありがとうございます。今後の写真活動の資金にしていきたいと思っております。写真を通して”幸せを目に見える形に”していきます。

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