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癇癪の理由は、たったひとことだった。その一言が言いたくて

癇癪が止まらなくなった3歳児のある事件【実録】

当時もうすぐ4歳を迎えるぐらいの3歳の娘。
ご飯を食べてお店を出た瞬間、いきなり泣きはじめ、そして癇癪に変わった。
そこから1時間の癇癪との格闘劇。

泣いていた娘が、癇癪に変わる。

妻と娘と3人で食事を終え、お店を出て、扉を閉めた瞬間、娘がいきなり泣き出した。
お店の扉の前から一歩も進もうとせず、娘は泣きはじめた。
何事が起きたのか?と私たちは必死で考えた。
そのお店は繁盛店でお客さんもひっきりなしにはいるお店のため、とにかくお店の入り口から退くようにと妻に促し、そして娘を連れて場所を移動させた。
その瞬間、娘の泣きは、癇癪へと変わった。

そこからは、泣きじゃくる「やだー!」 の一点張り。
妻「泣きたいことあったんだね」
妻「何か嫌なことがあったの?」
娘「いやだー」
妻「そっか、嫌なことあったのね」
こうなってしまっては、何を言っても話にもならないし、全てがイヤイヤ状態に突入してしまう。


実家も近かったため、無理やり暴れる娘を抱っこしながら、実家の駐車場まで移動。抱っこ中も大暴れ、「いやだー」と大声で泣きじゃくる娘。
そして、ようやく実家の駐車場につくと、いきなり娘が走り出した。

癇癪中にいきなり走り出す娘

普段からいきなり道路で走り出すことなど全くしない娘。
そんな娘がいきなり道路を走り出した。
私たちはただびっくりして、急いで追いかけた。
こんなに早いの?
っていうぐらいの速さで走る娘。
娘が癇癪で気が動転して、娘がわけがわからなくなり、ただわけもなく走り始めた。どこへ行くかわからない!と心配になり、とにかく必死で追いかけた。
そして、娘が向かった先は、先ほどのご飯屋さんだった。

娘は一直線にそこへ走っていた。
一体、何があったんだ?
普通にご飯を食べて、普通に美味しかったね!と3人で楽しい食事を終えたはずだった。
何か理由があるはずだと、必死で理由を探るがわからない。
わかるはずもない。
こんな状態の娘に何を聞いても「いやだー」のみ。
とにかく娘を落ち着かせる妻。

娘の泣き声が商店街中に響きわたる。
どうしてもお店の前から離れようとしない娘。
お店から離れようとすると余計にひどくなる。
それでも、お店には迷惑かけられないので、お店から遠ざける。

そして、手がつけられない状態になって1時間ほど。

妻「嫌なことがあったのね。嫌だったね。」
妻「ちゃんとお話し聞くから、大丈夫。」
と、ただただ声をかけるだけの時間が過ぎた。

泣きはじめた原因は。

ようやく娘が落ち着きはじめた。
大好きなバァバのいる実家のお店に連れて行くと、ようやく話ができる状態になった。 ゆっくりと娘に事情を聞いてみた。

妻「何が嫌だったの?」
娘「ごちそうさまが、、ふにゃふにゃ、、、」
妻「ん?」
妻「あっ!昨日読んだ本のこと?!」
娘「そう」
妻「本の中のおねぇちゃんが、ご飯屋さんでごちそうさまをお店の人に言って、ありがとう。ってお店の人に言われているのを真似したかったの?」
娘「そう。ごちそうさまが言えなかった」
妻「お店に戻って、ごちそうさまを言いに行きたかったの?」
娘「そう」

娘の一連の全ての行動が、腑に落ちた。

よくよく思い返してみると、お会計の際に私が仲良く店員さんと話をし挨拶をした。
私&妻「ごちそうさまでした」
店員さん「ありがとうございました」
その姿を娘はしっかり見ていたのを覚えている。
その時、娘が何かモジモジしている感じはあったことも覚えてる。
でも、はじめてのお店の人で、ただ、興味でじっと見ているだけかなと思っていた。

娘は本が大好きで、おねーちゃんが出てくる本を見ると、とにかくおねーちゃんを真似して、おねーちゃんになりたいらしい。
そのおかげで、自分でお着替えをしようとしたり、自分のものは自分で支度をしたり、ご飯の後片付けをしたり、とても良い影響を受けています。
本の力って改めてすごいなと感じました。
本の力というか、第三者の影響って言った方がいいのかな?
それがたまたま、本の中のおねーちゃんだった。
大人もそうだと思いますが、親の言うことは聞けないけど、好きな人やお友達や先生の言うことは素直に聞けるんですよね。

ちなみに読んだ絵本
4歳のえほん百科(講談社)
その中の、レストランにいったときという場面での何気な一部に描かれていたものです。

親としての葛藤

それがわかった時にはご飯屋さんはお昼休みに入ってしまっていて、ご飯屋さんに戻って「ごちそうさま」を言えない時間になってしまっていた。
娘は「ごちそうさま」を言えないまま、実家を後にすることになりました。
帰りの車、実家を出発した瞬間に娘は熟睡し、家に着く2時間半おきることはなかった。

娘の気持ちをわかってあげたい。
ちゃんと寄り添ってあげたい。
とは思うものの、1時間もの間、よくわからない状態で、しかも商店街の真ん中での出来事。

近所の人やまわりのお店に迷惑もかけられない。

でも、娘の事も向き合いたい。

夫婦で葛藤した出来事でした。

わかっていても気持ちがついていかない瞬間がある。
癇癪にはいる前になんとか落ち着かせる方法はないものかと、再度考えさせらました。
この事件をきっかけに、癇癪との向き合い方をさらに真剣に夫婦で考えることになりました。

その後の娘の変化

翌日、娘と話をしました。

私「昨日、ごちそうさま言えなかったね。」
娘「うん」(しょんぼり)
私「これからは、ご飯屋さんに行ったら、ごちそうさましよう!〇〇ちゃんが忘れてたら、教えてあげるよ」
娘「うん。そうする」

それ以来、ご飯やさんにいくと、ご飯が終わった時や、お会計などのタイミングで、自分からごちそうさまをいうようになりました。まだまだ3歳の子供なのに、娘は娘なりに何か熱い想いを持って、生きているんだなとつくづく感じさせられた事件でした。

4歳になった今では、店員さんの顔をしっかり見て、笑顔でごちそうさま!と言っています。
そのきっかけも本当に些細なことでした。
娘が、はじめて?店員さんの目をしっかりと見て、ごちそうさま!といったんです。そのときに、そこの店員さんが、顔を真っ赤にして、娘の顔を見て「ありがとう〜」って恥ずかしそうに返答してくれたんです。
それを見て、娘はすごく嬉しそうな顔をして満面の笑みで喜んでいました。

ちなみに、大戸屋さんでした笑

失敗した時や、うまくできなかったとき、逆にうまくやれた時や嬉しかった時も、何かを一番感じているのは本人なんだろうなと思いました。
本人が一番わかっている。ということを前提として理解してあげて、向き合っていきます。

娘も経験、私も経験。様々な経験から次の自分が作られていくんですね。

▼こうした経験が、私たち夫婦ができる限り見守ってあげる子育につながっています。

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