空の覇権をめぐる17年(4)—いよいよ空が開く!
第6章|1998年、空は開いた—しかし地上はまだ閉ざされたまま…
98MOUの合意は、現場の営業マンにとってどんな変化をもたらしたのか。
正直に言えば、福岡に戻った直後、「これが98MOUの恩恵だ」と実感できる場面は、それほど多くありませんでした。
ただ、確かに変わったことがありました。
それまで「70ポンド以下」という壁に阻まれ、顧客の物流の一部しか担えなかったフェデックスが、ようやく重量制限なく荷物を扱えるようになる。
顧客の「本丸の貨物」に、正面から向き合えるようになるはずでした。
しかし現実は、もう一つの壁を見せてくれました。
貨物は自分で歩きません。
工場から空港まで、あるいは空港から届け先まで、地上はトラックが運ぶ。
「ドア・トゥ・ドア」を完結させるためには、航空ネットワークだけでなく、地上輸送のインフラが整っていなければならない。
当時、地方のフェデックスの営業所の中には、自前の大型トラックが一台しかないところも少なくありませんでした。

空の権利は手に入った。しかし地上はまだ、その権利に追いついていなかった。
「自由に空を飛べる」ようになっても、地面の上の仕事は、地道に一つひとつ積み上げていくしかない——そのことを、福岡の現場は静かに教えてくれました。
第7章|その後の7年間—変化の果実と、現場の本音
帰国後の私のキャリアは、大きく三つの時期に分かれます。
1998年から1999年は福岡を拠点とした西日本地区の営業部長、2000年は東京へ戻り、2001年から2005年の退職まで大阪を拠点とした西日本全体の統括——という流れです。
この期間を通じて、営業現場で最も大きく変わったことを一言で言えば、「大きな貨物を取ってこれるやつが評価される」という空気が生まれ始めたことでした。
98MOUによって重量制限が事実上撤廃され、フェデックスは大型貨物も扱えるようになりました。
当然、組織としてその方向に力を入れていきます。
その結果として、営業マンの評価軸も少しずつ変化していきました。
重量という数字は、わかりやすい。
何トン取ってきたか、前月比でどう動いたか——そういった指標が幅をきかせるようになっていきました。
ただ、現場の本音を言えば、話はそう単純ではありません。
大型貨物は確かにインパクトがある。しかし比較的単価が安い。
一方、小口のスモールパッケージは重量こそ小さいが、収益率が高い。
本来であれば、この両方をバランスよく獲得できる営業マンこそが、会社にとって最も価値がある存在のはずです。
しかし組織は、わかりやすいものを好みます。
重量という数字は誰の目にも明らかで、比較しやすい。
収益率やポートフォリオのバランスという、やや複雑な指標よりも、シンプルな重量が評価の中心に据えられていく——そんな傾向を、現場にいた人間として感じていました。
さらに、もう一つの現実がありました。
大型貨物が増えるにつれ、現場では新たな矛盾が日常的に顔を出すようになりました。
もらってきた貨物が大きすぎて、自社の車両では運べないというケースです。その都度、外部のトラックをチャーターすることになる。
しかしそのコストが、ドア・トゥ・ドアの運賃の中で採算が取れているのかどうか、現場レベルでは知る由もありませんでした。
陸上輸送費、人件費、通関費——これらがそれぞれどれだけのコストを占めているのか、数字は上の方にしか見えていない。ただ、外部業者を使うたびにお金が出ていくという事実だけは明らかで、その都度、なんとも言えない罪悪感を感じていました。
極めつけは、こんな理不尽でした。
「大きな貨物を取ってこい」と言われて、大きな貨物を取ってくると、今度は「なんでこんな貨物を取ってきたんだ」と怒られる。
獲って来いと言われて、獲って来たら怒られる——現場の営業マンとしては、何を基準に動けばいいのか、途方に暮れることもありました。
これは、フェデックスが「スモールパッケージの会社」から「なんでも運べるインテグレーター」へと変わろうとしていた時期特有のジレンマでした。
ビジョンは変わった。
しかしインフラも、評価軸も、コスト構造の透明性も、まだ追いついていなかった。
その狭間で、現場の営業マンは日々、正解のない問いと格闘していたのです。

代理店と直販—二つのキャリアを貫いたテーマ
また、この時期に学んだことで、後のキャリアにも深く影響を与えたものがあります。
それは「代理店販売(間接販売)」と「直接販売(直販)」のバランスという問題です。
フェデックスの大型貨物の場合、多くはフォワーダー、つまり代理店経由で入ってきます。
毎日飛んでいく飛行機のスペースの大半を埋めるのは、こうした代理店が集めてきてくれたベースの貨物です。その上に、直販で取ってきた収益率の高い貨物が載ってバランスを取る——それが毎日の営みでした。
会社の大きなビジョンとしては、できれば飛行機全部を収益率の高い直販貨物で埋めたい。しかし現実はそうはいきません。
代理店というパートナーが積み上げてくれるベースがあってこそ、飛行機は飛び続けられる。そのバランスを認め合いながら、組織もビジネスも変容していった——それがこの時代の本質だったと思います。
実はこのテーマは、後のディズニーでのキャリアとも深く重なります。
ディズニーに採用された大きな理由の一つが、それまでライセンシー(代理店)経由が主流だったビジネスモデルを、Direct To Retail(DTR)——小売業者への直接販売モデル——へと切り替えていくという大命題でした。
構造はフェデックス時代と驚くほど似ていました。
ベースを支える既存の代理店網を大切にしながら、いかに直販の比率と収益性を高めていくか。
まったく異なる業界でありながら、同じ問いに向き合うことになる——そのことに気づいたとき、自分のキャリアに不思議な一本の糸が通っているような感覚を覚えました。
偶然ではあるものの、人の経験はどこかで繋がっているものだと思います。
エピローグ|空の覇権は、現場の一人ひとりの仕事で動いていた
振り返ると、私の17年間は、日米航空交渉というドラマの「観客席」にいたような時間でした。
交渉の主役は、外交官であり、航空当局の官僚であり、業界団体のロビイストたちでした。
私は営業現場で、顧客の荷物のことを考え、競合他社との差を埋めることを考え、毎日を過ごしていました。
でも、今にして思えば、その「現場」こそが交渉を動かす力の源だったのかもしれません。

航空貨物の需要が伸びるから交渉が必要になる。
交渉が進むから路線が開く。
路線が開くから荷物が動く。
荷物が動くから顧客のビジネスが広がる
——この連鎖の中で、私たち現場の営業マンは、ただの歯車ではなく、その連鎖を実際に動かしている存在でした。
98MOUがなければ、フェデックスのアジアネットワークは今とは別の姿をしていたでしょう。
そしてその交渉を後押ししたのは、日々の現場で積み上げられた「この権益が必要だ」という切実な需要の声でもあったはずです。
大きな歴史は、無数の小さな現場でできている。
あの時代を生きた一人として、そのことを書き記しておきたいと思いました。
その話は、note連載「選び続けた35年」の第4章以降で綴っています。
フェデックスで積み上げた17年間が、ディズニーでどう生きたのか——よろしければ、本編もお読みいただけると嬉しいです。
→「選び続けた35年」はこちら
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