【第14話/全24話】一瞬のピーク 一直線に並んだ天空の星たち
転職するほどでもない。
でも、このままでもない。
そんな人のために書いています。
東京での営業部長を経て、 次に下された辞令は、
「西日本営業本部長として大阪に赴任せよ」というものでした。
福岡で一年、東京で一年。
異なる環境でマネジメント職を経験し、 組織で仕事をする面白さが ようやく見え始めた頃でした。
西日本営業本部は、 それまでとは桁が違う規模でした。
東は静岡から、西は沖縄まで。
大阪、名古屋、福岡を中心に、 神戸、京都、広島、沖縄、豊橋といった拠点を含む、それはそれは 広大なエリアです。
営業チームは三つの営業部で構成され、 営業チームだけでも人数は四十名を超えていました。
それでも当時の私は、 不思議と不安よりも 「何とかなるだろう」という気持ちの方が強かったのを覚えています。
信頼できる部下と、尊敬できる上司。
直属の部下である三人の営業部長は、 それぞれのチームから厚い信頼を得ており、 現場をよく理解して結果にもこだわるメンバーでした。
大阪の下町育ちで、コテコテの関西弁で一瞬で人心を掌握し、常にその場の環境を冷静に判断して迅速な動きができるM氏。関西地区担当。彼のチームのミーティングは、いつも漫才を聞いているようでケラケラ笑いながら参加していました。そんなミーティング後には、メンバー各自がやることを明確に理解し動き出すという、独特のチームワークの土壌ができていました。
アメリカ仕込みの流ちょうな英語をあやつり、持ち前の明るさでどんな苦しい状況でも前向きに周りをリードできるMK氏。中部東海地区担当。彼の斬新なアイデアは、時としてチームメンバーには驚きとして受け止められることはあった。しかし、実は常に各メンバーの長所を引き出すために知恵を絞っていました。
マジメで学者肌、きっと違うキャリアを歩んでいたら、高校の先生にもなれるだろう指導力に加え、地元愛が強く、抜けきらない広島弁で部下の指導に当たるKK氏。中国九州地区担当。地元メンバーが多い広島や福岡の営業所で交わされるキツめの広島弁や博多弁の会話には、何度もつられて中途半端なエセ広島弁やエセ博多弁になったのを覚えています。
3人とも、着任したばかりの私にとっては、とても頼れる存在でした。
そしてなにより、上司は頭脳明晰、語学にも堪能、判断も速い。同い年なのに上司・部下の関係を素直に受け入れられる魅力的なリーダー。
彼の周りには、気が付くと自然に人が集まってくる…そんなカリスマ性が強い上司でした。
そんな環境の中で、 仕事はとても充実していました。

そんなある日、 大きな出来事が起きます。
二〇〇二年、 アメリカ西海岸で港湾ストライキが発生しました。
ロサンゼルスやロングビーチといった主要港が機能停止となり、 サプライチェーンが完全に止まります。

飛行機のチャーターってできるんですか?
最初に「これは大変なことになる」と感じたのは、 ある営業マンからの一報でした。
大手メーカーを担当するその営業マンから、 突然大量の貨物出荷の依頼が入ってきた、という知らせです。
最初は何が起きているのか分からなかった。
とにかく、飛行機のスペースの確保に奔走しました。
チームに確認させると、 あちこちから同様の動きが報告されてきました。
船で運ぶはずだった貨物を、 緊急で航空輸送に切り替えたい。
そういう依頼が、 業界全体に一気に押し寄せていました。
船の貨物を飛行機で運ぶ—— 前代未聞のドタバタが始まりました。
本来は海上輸送で運ばれるはずの貨物が、 一斉に航空輸送へと流れ込みます。
これまで見たことのない量の貨物。
鳴りやまない電話。
空港の倉庫には、 次々と荷物が運び込まれてきました。

そこで必要になるのが、 チャーター機です。
飛行機は、 機体の重さ、燃料の重さ、 そして貨物の重さのバランスで飛ぶものです。
限られたスペースと重量制限のある航空機において、たとえば「鉄」のように重いがスペースを取らないものと、 「綿」のように軽いがスペースを取るものを うまく組み合わせるのが理想で、 その計算をWeight&Balanceの専門チームが出発する航空機の 一機一機について行います。そのチームのメンバーにも本当に助けられました。プロの仕事ってこういうことなんだ、とつくづく感じたものです。
「貨物搭載率」の最大効率化をチャーター機は一機まるごと預かるわけで、 そのプレッシャーは通常の比ではありません。
積み荷の効率が悪そうなら「そっちの空港の積み高ではこっちに回す」
そんな判断だってされかねない世界です。
機体の確保と貨物の確保が 同時進行で進む二週間——
まさにドタバタの連続でした。

信頼の絆
そこには、 二つの力が必要でした。
現場のコミットメント。
そして、上層部の交渉力です。
本社に対して、 この日に何機必要かを伝える。
その飛行機を確実に満載にできると、約束する。
その責任を、現場が引き受ける。
部下たちは、 迷うことなくコミットしました。
「やれます」
私はその言葉を信じて、 上司に伝えました。
「大丈夫です」
上司はそれを受けて、 本社と交渉しました。
この信頼のチェーンが、 見事にはまりました。
二週間で、 十機を超えるチャーター便を運航しました。
関西空港が成田空港を抜いた?!
そしてある日の会議で、 思いがけない事実が発表されました。
その期間中、 関西空港の取扱量が 成田空港を上回っていた、と。
会場が、 驚きに包まれました。
一瞬だけですが、 それは大変歴史的な出来事でした。
その事実を、 すぐに営業チームに共有しました。
みんなで賞賛し、 みんなで喜びました。
あのときの感情を、 一言で表すとしたら、
「不可能を可能にするのは楽しい!」
言葉にはしがたい、 大きな達成感がありました。

不可能を可能にするのは、ホント楽しい!
ただそれ以上に強く残っているのは、 別の感覚です。
人がつながったとき、 ここまでのことが起きるのか。
部下がコミットし、 それを信じ、 上司が動く。
いくつかの星が、 天空で一直線につながる。
そんな瞬間でした。

たまたま巡り合った上司・部下。
その奇跡の出会いが、思いもかけぬ軌跡を残す
一人ではできないことも、 チームであれば実現できる。
それは、 これまでの経験の中で、 最も強く実感した瞬間でした。
チームで一つのことをやり切ったときの達成感。
それは、一人で何かをやり切ったときの達成感とはまた違う、
奇跡が奇跡をよぶ偶然の出来事だから特別な瞬間なのかもしれません。
そんな私に、またもや変化の時がやってきます。
この続きは第15話で!
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