瞑想と人間性、創造性(クリエイティビティ)
瞑想は「人間性」や「創造性(クリエイティビティ)」に影響を与えると言えるのかもしれません。
瞑想にはどのような効果があるのかについては、いろんなことが言われています。
個人的にも心身の健康に良いだろうというのは十分にあり得ると思います。免疫機能などのフィジカルな状態にも良いだろうし、瞑想との相性が良ければ、うつ不安の改善にも非常に良いとも思います。
瞑想の実践を続けてきて、思うようになったのは、この影響は漠然としてはいますが「人間性」「創造性」といったことにもあるような気がしています。
瞑想の人間性への影響
誇張した例えだとは思いますが、継続的な瞑想の「人間性」への影響は、海外で長く暮らすことに例えられるかもしれません。
米国であれモンゴルであれ、外国で長く暮らし、その文化に触れ、地域や住民、職場などのコミュニティの中に長くいることは、その人の思考や人間性に影響があるのではないでしょうか。
自分の慣れ親しみ当たり前だとしてきたものとは違った、文化、価値観、考え方、環境の影響ということです。
さらにそういった体験が実際の創造性の発揮につながるかもしれません。
「モンゴルの草原暮らし」をテーマにした記事やアート、漫画を載せたnoteがどこかの編集部の人の目にとまり、ネットの面白ニュースで扱われたり記事になったり、書籍が出版されたりするかもしれません。
モンゴルの物品のやり取りなどのビジネスにつながったりするかもしれません。
生き方や人付き合い、感性、思想にも影響があるかもしれませんし、文章、絵画、音楽などに関わっているのなら、作風にも影響があるかもしれません。
おなじように瞑想による「内なる意識」との交流も、その人の人間性に影響するだろうと考えています。
この「瞑想する人」noteでは、瞑想の効果の源は、安定した瞑想状態(瞑想態)で生じる「内なる意識」であるとしています。
用語解説:「瞑想」「内なる意識」「瞑想態」など
これは自分の内にありながらも、今までよく気づくことのなかった自分の意識であり、自分の意識の本質に関するものなのではないかと感じることがあります。
継続的にこの内なる意識と交流することは、考え方、価値観に影響することはあると考えています。
平塚らいてう は座禅による体験(見性体験)について自伝で述べています。
“ ......徐々に心境が展開し、ついに百八十度の心的革命というか、一大転回を遂げたのでした。 これはわたくしにとっては、まさしく第二の誕生でした。わたくしは生まれかわったのでした。第一の誕生は、わたくし自身は知らないわたくしの肉体の誕生でしたが、第二のこの誕生は、わたくし自身の努力による、内観を通して、意識の最下層の深みから生まれ出た真実の自分、本当の自分なのでした。
求め、求めていた真の人生の大道の入口が開かれたのです。”『平塚らいてう自伝 元始、女性は太陽であった 上』(大月書店 1971)
禅は平塚らいてう の思想、行動に影響を与えたとされています。
瞑想は広く認知されるようになったとはいえ、見性体験は一般的なものではないと思います。
しかしこういった強い体験をしなくても、地道な継続によってじんわりとした影響はあると思います。
瞑想と創造性(クリエイティビティ)
瞑想と創造性(クリエイティビティ)の話題も興味深いです。
でもこの話題を考察することは「人間性」と同様に難しいです。
だいいち創造性の定義や、それをどのように評価すべきか、という点からしても難しいものです。
しかしアートであれ発明・開発・開拓であれ、テクノロジーや科学知識の適用・応用であれ、創造性がパフォーマンスに直結するような業種、環境にいる人の場合には、瞑想と創造性との関係が明確に感じられることもあるのかもしれません。
少し考察をあげてみます。
◆ 慈悲の瞑想(おそらくチベット仏教式の慈悲の瞑想であるトンレン)を実践中の瞑想者の脳から、高レベルのガンマ波が検出された、という研究があります(慈悲の瞑想以外でも、ガンマ波と瞑想との関係の研究はあります)。
ガンマ波は人間としての高度な認知・情操活動や審美的な情緒、創造性に関わると言われています。
脳機能の向上や認知症予防の効果などに関しても研究されています。
◆ デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)が創造性と関わるする意見があります。
デフォルト・モード・ネットワークは慢性疲労やうつなどにも関わるとされていて、瞑想には(瞑想の種類にもよるのかもしれませんが)これを休止させ脳を休ませる効果があると言われています。
瞑想がデフォルト・モード・ネットワークのメンテナンスや、創造性を発揮できるような方向へ働くように調整するといった効果がひょっとするとあるかもしれません。
ちなみにデフォルト・モード・ネットワークの活動は認知症では低下しており、統合失調症では昂進しているという研究があります。
◆ 創造性とドーパミンやドーパミン作動性ニューロン(特にA10神経)との関係が指摘されることがあります。
A10神経は、ヒトにおいて特に発達している脳の前頭葉、前頭連合野にも作用するので、創造性との関係では注目されています。
A10神経自体がヒトにおいて特に発達した神経だとも言われています。
瞑想とドーパミンやA10神経との関係については、私はよく分かりません。
またドーパミンが過剰であれば良いといった単純なものではなくて、例えばドーパミンの過剰は統合失調症などの疾患に関わるという研究もあります(まぁ、こういったことでは心理学の分野などで「天才的な創造性と狂気の関係」などが指摘されることもあります)。
瞑想によって、側坐核でドーパミンが増加したという研究などがあるようなのですが、しかしこういった研究は不足しているようです。
質の良い瞑想の時は、連綿とした集中状態と独特の心地良さが生じますが、これにはひょっとしたらA10神経やドーパミンも関わっているのかもしれません。
ドーパミン不足が見られるパーキンソン病に瞑想を活用している人はいるようです。
有名なのはマイケル・J・フォックスです。
A10神経などのドーパミン作動性ニューロンは主に脳幹から伸びています。
瞑想によって呼吸や意識状態、リラクゼーション反応などといったことの変化が体感できますが、これらは大脳辺縁系、間脳、脳幹にかかわるものです。
そのため瞑想と、創造性との関係が指摘されているA10神経などのドーパミン作動性ニューロンには、何の関係もないとは現時点では言えないと考えています。
瞑想と無意識
創造性を特定の脳活動や神経伝達物質と結びつけて考えるのは、あまりにもミクロ的であり、木を見て森を見ず、といったことに陥るかもしれません。
創造性に関係する神経伝達物質はドーパミン以外にも、セロトニンやアセチルコリンなども指摘されており、それらも瞑想に関係する(瞑想によって増える)と言われています。
ぼんやりしている時に働くデフォルト・モード・ネットワーク(マインドワンダリング)や睡眠中の夢が、創造性やヒラメキにつながることもあると言われる一方で、「ゾーン(フロー)」と言った覚醒・集中状態で創造性が発揮されるとも言われます。
脳の活動や生理活性物質については、まだまだ未知のことが多いです。
なので人間の発揮する創造性という、人類の文明勃興にも関わるような幅広く複雑な事象を、特定の脳活動や神経生理活性物質に還元してしまうのは、(少なくとも今の科学水準・知見では)難しいのかもしれません。
より大きな視点では、創造性と無意識(潜在意識)の関係が言及されています。
人間の意識の中の無意識の領域から創造性はやってくる、なんて言われることがあります。
心理学、精神医学の分野で有名なユングやフロイトも、創造性と無意識との関係に言及があります
また創造性と無意識といった話題においても、しばしば狂気や異常心理、精神・神経疾患といったことに触れられることがあります。
[ 無意識とは ]
無意識とは何かについては、定義が難しく、様々な意見があります。
例えばユングのはオカルトっぽくて、フロイトのは何でも性(性の抑圧)に結びつけるなどと冗談半分で言われています。
ここではとりあえず無意識を大雑把に人間の意識領域の中で「仕事、家事、学習など日常生活の業務を円滑にこなそうとする時に活発に働く自我意識」以外の意識としておきます。
[ 無意識と創造性 ]
創造性に関して無意識が言及される場合には、自我意識と無意識の関係が注目されることがあります。
設計であれ車の運転であれ、何か作業をしている時には、その作業に関係ないことは、自我意識には上らないように制御され無意識の中といった感じにです。
また人間社会で生存していくための正常な認知、思惟、行動ができるように自我意識は調整されていて、そのため多くの意識の活動が無意識の中に抑制されている、とも言われています。
この抑制にはもちろん脳・神経生理が関わっていて、例えば上述のドーパミン神経や大脳基底核などが言及されています。
そして創造性の発揮という文脈においては、この抑制――しばしば安全弁と表現されたりしますが――を緩める必要がある、という論調をしばしば目にします。
つまり「無意識の中にこそ創造の源がある。優れた創造性を発揮するには日常平凡の自我意識を突き破り、その無意識から豊穣なる創造性をくみ上げなければならない」のようにです。
無意識の中に創造の源があるということは心理学者だけではなくて、特に芸術家など、創造性がパフォーマンスに直結するような人達によっても体験的に言われてきたことだし、今でも言われています。
そのため、こういった人達の中には創造性のために、自我意識の抑制を緩めるために、しばしばアルコールや脳・神経生理に影響のある成分の助けを借りる人もいたようです(現在でも)。
[ 瞑想との関係 ]
現時点では瞑想と創造性との関係が不明瞭ならば、では瞑想と無意識には何か関係があるのでしょうか?
先ほどのように無意識を日常平凡の時に働く自我意識以外の意識と定義するならば、瞑想によって「少なくとも限定的には」無意識の領域にアクセスできると体験的にも言えます。
「限定的には」と言ったのは、瞑想によってアクセスできる無意識の領域が、果たして創造性に関係するかどうか、瞑想によって無意識とアクセスすることが創造性の能力の向上に関係するかどうかは、現時点では私にはハッキリとは分からないからです。
瞑想によって心身に特殊な状態が生じることは、古来から様々に言及されてきたことであるし、私自身も自らの体験からそう言えます。
この 瞑想する人 note では、それを瞑想態と呼んでいます。
そしてその時に生じる意識を「内なる意識」と呼んでいます。
瞑想とフロー(ゾーン)
ゾーン(フロー)の状態の時に創造性が発揮されると言われることもあります。
創造性の特徴の一つに、独創性(オリジナリティー)、ユニークさがしばしば見られることです。
創造性が発揮される時には、他人の意見に従うというよりも、むしろ自己との対話が生じていることが多く、それが独創性につながると言えるのではないでしょうか。
そして自己との対話によってスムーズに当該作業、創作活動が展開している時には、しばしばゾーンの状態にあると言われています。
つまりゾーン状態において、自分の無意識との対話がなされ創造性が発揮されるなどと言われています。
こういったゾーン状態で創造性が発揮されている時のことは、その状態を自ら体験した人によって、例えば「憑依状態」「自分が作品を作っているのでは無くて、作品に作らされている」「私はアイデアが、この世に形をもって現れるための経路になっているだけだ」などと表現されています。
こういった表現自体が、自分の意識の中の自我意識以外の領域との接触を暗示しているように思われます。
そして私は自らの体験から、ゾーン状態と瞑想には関係があると考えています。
瞑想によってゾーン状態が生じることもあると考えています。
ある程度質の良い瞑想ができる人は、その時の状態をしばしば「自分は座っているだけで、瞑想自体が勝手に瞑想する」「瞑想中は自分自身の内部から自然に集中力が湧いてくる」などと表現します。
そもそも瞑想によってゾーン状態、もしくはそれに近い状態が生じないと、長くジッとしていられないです。
私はジッと座って瞑想するのを自ら好んで日課としています。
しかし電車や信号が青にかわるのをジッと待つのを日課とするのは嫌です。
電車待ちや信号待ちでは、なかなかゾーン状態にはならないからです。
以上のことから、創造性が発揮されている時の意識-脳・神経生理の状態・活動と瞑想時のそれには類似のものや重なる部分があるのではないでしょうか。
瞑想には創造性に関わる神経回路のメンテナンスやブースト効果があるかもしれません。
クリエイティブな環境にいる人が、瞑想と創造性の関係について自ら探究すれば、興味深い知見が得られるかもしれません。
瞑想によって内なる意識と触れあう
瞑想が上手くいくと独特な心地良さ(快)が生じます。
自らの内から湧き出るような心地良さ、もしくは、自らの内に元々あった心地良さという感覚です。
このような内なる心地良さに触れることを日課とすると、自らの欲求、感情を冷静に観察できるようになり、それをやり過ごしやすくなります。
というのは、内なる意識に触れ、その心地良さ、「快」に触れることを続けていると、徐々に、その快と、感覚的、一時的な欲求による快との対比が明確になっていく感覚が生じます。
そして内からの快の方が本質的という感覚が生じ、それと比べると、感覚的な欲求による快は、刺激的で分かりやすいけれども、はかなく、粗雑で短絡的なものという感覚が生じます。
それによって一時の感情、欲求に対して冷静になり呑まれにくくなるのです。
このことは、もちろんダイエットにも役立つと思います。
こういったのは極端になると、禁欲的宗教家みたいになることがあるでしょうが、適切なものならば、自分の人生に役立つ能力だと思います。
瞑想は影響せずにはいられない ―― 内なる意識との関係
特定の効果を得るために瞑想しようとか、瞑想をこのように活かそうとか気張らなくても、内なる意識に触れること自体が何らかの変化を促す力になり得るのだと私は考えています。
内なる意識というのは、瞑想する人に影響を与えずにはいられない性質だと思うのです。
もしくは、瞑想する人を通して自らを表現せずにはいられない性質とも言えるでしょう。
これは創造性(クリエイティビティ)にも関わってくると思います。
しかしそれでも短期的に大きな効果があるというような期待を持つべきではないとも考えています。
内なる意識というのは上述したように、自分でも気づいてこなかった自分自身の内にある意識、そしてなおかつ本質的な意識と感じられることがあります。
瞑想によって これと継続的に交流すると、自分の心の動きを客観視する能力が自然に高まるだけでなく、自分の本質に近いと感じる考え方、価値観、感性、視点に気づくようになります。
このようなことがあり、その人の人間性にも徐々に影響があり、個性的な感性や思考に結びつくのではないでしょうか。
オープン・モニタリング瞑想(感覚、感情、思考などを観察し向き合う瞑想)が拡散的思考(アイデアを広げる思考。レンガの用途をできるだけ沢山考えるみたいな)を向上させるという研究があります。
拡散的思考こそ創造性に密接に関わるのだから、瞑想、特にオープン・モニタリング瞑想のような、非一点集中型の瞑想が創造性の向上に良いといった意見があります
しかし私がこういった意見を聞いて思うのは「拡散的思考が創造性に密接に関わるのなら、だったら直接、拡散的思考の訓練をすれば良いだけで、瞑想じゃなくてもよくない?瞑想するためのインセンティブとしては弱すぎじゃない?」ということです。
例えば、通勤途中にでも、人物観察していろいろと自由な連想することも拡散思考の訓練になるだろうし、そこからサービスや商品の開発につながるかもしれません。
そういったことの方が瞑想で自分の皮膚の感覚や雑念を観察するよりも、実際的な創造性につながるかもしれません。
そもそも人類が木から降りて二足歩行をして、火を使ったり、壁画を描いたり、もっと複雑なことが出来るようになったりといった長い歴史を振り返ると創造性は人類の、特に現生人類の性、本質と言えるようなところがあるのではないでしょうか。
ロマンチックな意見かもしれませんが、意識の開拓によって人間性から生じるのが創造性と言えるのかもしれません。
瞑想による創造性の向上は、これは小手先、短絡的なテクニックではなくて、人間性に関するものであると考えています。
内なる意識というのは自らを表現せずにはいられない性質なのだから、瞑想によって継続的に内なる意識と触れ合うことによって、自然に醸成されるものだと考えています。
