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【十三歩目】技の先にある「道」-庖丁解牛- 

十三歩目。本日は庖丁さんのお話を。

1.庖丁が達した境地。


❝庖丁為文惠君解牛,手之所觸,肩之所倚,足之所履,膝之所踦,砉然嚮然,奏刀騞然,莫不中音。合於《桑林》之舞,乃中《經首》之會。文惠君曰「譆、善哉。技蓋至此乎。」庖丁釋刀對曰「臣之所好者道也,進乎技矣。始臣之解牛之時,所見无非牛者。三年之後,未嘗見全牛也。方今之時,臣以神遇,而不以目視,官知止而神欲行。依乎天理,批大郤,導大窾,因其固然。技經肯綮之未嘗,而況大軱乎。良庖歲更刀,割也。族庖月更刀,折也。今臣之刀十九年矣,所解數千牛矣,而刀刃若新發於硎。彼節者有間,而刀刃者无厚,以无厚入有間,恢恢乎其於遊刃必有餘地矣,是以十九年而刀刃若新發於硎。雖然,每至於族,吾見其難為,怵然為戒,視為止,行為遲。動刀甚微,謋然已解,如土委地。提刀而立,為之四顧,為之躊躇滿志,善刀而藏之。」文惠君曰「善哉。吾聞庖丁之言,得養生焉。」❞
➙庖丁(ほうてい)という料理人が、ある日文惠君のために牛を料理した。料理人のなめらかな手さばき、肩の動き、足の踏み込み、膝の使い方・・それらが、牛刀が進む音と調和して、まるでひとつの音楽のようであった。その身のこなしは「桑林之舞」を踊っているようであり、音は「經首之会」の楽曲の調べを聴いているようでもあった。
 文惠君は料理人の妙技を見て、「素晴らしい!究極の「技」とはこのことだな。」というと、庖丁は牛刀を置いてこう言った。「私が好むのは技ではなく、技をさらに進めた「道」というものです。私は初めのころ、牛の外見の姿しか見ていませんでした。三年後、やっと牛の外見へのこだわりがなくなり、骨やすじのつくりが分るようになりました。今となっては、心で牛を見ていまして、目で牛を見ることはなくなっています。目の感覚にとらわれず、天理を心で捉えて、心にしたがっていくのです。牛がもともと持っている自然の構造に逆らわず、皮と肉のつくり、骨と肉のつくりのすきまに沿って刃を進めれば、骨に刃が当たることもなく、滑らかに仕事が運ぶのです。」
 「良い庖丁は、一年毎に刀をを替えます。使っているうちに刃こぼれができてしまうからです。月並みの庖丁は一月ごとに刀を替えます。使っている途中で折れてしまうからです。今、私は十九年使い続け、一千近くの牛肉を捌いてまいりましたが、砥石で研いだようなままのような状態で、今でも使い続けています。」
 「牛の骨とすじのあいだにはすきまがあり、刃そのものには厚みはありません。ゆとりのあるすきまに厚みのない刃を通すのですから、刃が骨にあたることもなく、刃こぼれなどしようがないのです。ただし、骨やすじが込み合っている場所に刃を当てるときは今でも気を引き締めます。視線は一つに固定して、動きを緩めていき、最後は自分でも動いているかわからないほどに緩めるのです。そのうちばさりと音がして、肉が骨からはがれたのを知ると、ほっとするものです。私は立ち上がって自分の仕事ぶりを確認して、仕事を終えた充足感を味わいます。高揚が収まって冷静になったところで、刀をぬぐって鞘に収める。これが私の仕事です。」
文恵君はその話を聞いてこう言った。「素晴らしい、私は養生の極意を知ったぞ。」

『荘子』養生主 第三

 「庖丁(ほうてい)」は古代中国で料理をする人の職業の名前だったようですが、日本ではこの「庖丁が使う刀の名前」として現在も「庖丁」という言葉が残っています。

『荘子』における「道(TAO)」には様々な意味がありますが、この場合の道、すなわち「技を進めた先にあるもの」としての道は日本の文化にも身近なものですね。

2.庖丁の成長と、牛のとらえ方。

 この庖丁なる人物、牛を捌き続けるうちに牛のとらえ方が変わってきています。

  1. 初めのころ   牛の外面を見るだけ

  2. 三年後     牛の外面ではなく牛の構造を見る

  3. 現在      牛を目で見ることはなく心でとらえる

 初めは目で見るだけのものから、牛の構造を見るようになり、最終的には心でとらえることになる。長年の鍛練によってもののとらえ方も変わっていきます。

3.遊刃余地あり。

『游刃有余地』横山大観

 この庖丁解牛の話は横山大観の作品のモチーフにもなっています。絵のタイトルと「游刃余地有り」は、『荘子』の中で庖丁が話していたセリフからですね。

『美味しんぼ』第10巻「横綱の好物」

 あと、『美味しんぼ』の第10巻「横綱の好物」で、福岡の料理人がナイフ一本でアラを捌くシーンでも引用されていますね。

 ちなみに、この『荘子』の言葉は「游刃有余」として現在でも中華圏で日常的に使われています。実は、昨年、台湾の民進党の王世堅という議員さんの「游刃有余」を含む演説が、音楽的でジェスチャーも面白いということでこれを元に楽曲にができたんですが、これが中華圏の若者を中心に大バズリしてしまい、昨年2025年の中華圏での流行語大賞にもノミネートされています。2300年前の言葉ですが、いまでも結構ホットだったりします。

❝本來應該是從從容容、游刃有餘,現在是急急忙忙、連滾帶爬❞
→私たちはもともとは余裕をもって本物の仕事をすべきなのだ。しかし、今やせわしなくあたふたとしてこのざまじゃないか。

『没出息』

ちょうど、日本の流行語大賞の「働いて働いて働いて働いて働いてまいります」と真逆ですね。


 「游(遊ぶ)」という言葉は、『荘子』においてとても重要な言葉です
が、あえて日本語で「遊ぶ」というよりは、英訳して「FLOW」とした方が理解しやすいかもしれません。いわゆるフロー状態なので。

ちょっと、ここで眠くなってきたのであとで追記します。また、続きは14歩目で、それではდროებით(ドロエビト )!


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