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遊びは、いつ仕事になったのか 第五回

第五回 選べない

あの大きな父

ここまで、私は父を「大きな人」として書いてきた。

夜の厨房でナガサキヤの一皿を仕上げる父。曾祖父の葬式で、数百人を前にマイクを握り、太く揺るぎない声で挨拶をした父。たまの休みに、たった一度だけ、忘れられないテールスープを作った父。私にとって父は、近寄りがたく、揺るがず、どこまでも大きな存在だった。

その大きさは、私の世界の土台のようなものだった。父がいるかぎり、この家は揺るがない。そう信じて、私は育った。

だから、その土台が足元から崩れていると知ったとき、私は文字どおり、立っていられなかった。


競輪場の記憶

父は、料理の職人だった。

そして、当時の職人には、賭け事をする人が多かった。父も、その一人だった。のめり込んでいた、というのが正しい。

不思議なのは、私自身に、その記憶がほとんどないことだ。聞かされた話では、まだ小さい頃、私はよく競輪場へ連れて行かれていたらしい。歓声と、紙くずと、煙草の煙。その只中に、幼い私は確かにいたはずなのに、何ひとつ覚えていない。

つまり、父の弱さは、私の記憶が始まるより前から、すでにそこにあった。私が見ていた「大きな父」の足元には、私が物心つく前から、別の顔がへばりついていたのだ。そしてその顔を、私は一度も見たことがない。父はいつも、家の外の、私の知らない場所にいた。厨房にいるのだと思っていた。その同じ「外」に、競輪場もあったことを、私はずっと知らずにいた。

知らない、ということは、こんなにも無防備なことなのだ。


二階のレコード

その「知らずにいたもの」が、ある日、いきなり目の前に突き出された。

中学の二年か三年の頃だ。父が賭け事で借金を重ねていた。母が、離婚を考えている。そして母は、その選択を、中学生の私に尋ねた。どうするか、と。

母は、強い人だった。弱気など微塵も見せない人だ。そのときも、泣いてすがるのではなかった。どちらかといえば、もう知らん、とでも言うように、投げ出すように、私に問いを預けてきた。気丈な母が見せた、その突き放し方が、かえって事の重さを物語っていた。これは、もう、どうにもならないところまで来ているのだ、と。

頭が、真っ白になった。あの大きな父が、そんなことになっている。家族が、ばらばらになるかもしれない。何も考えられないまま、私は二階へ駆け上がった。

レコードに針を落とし、ボリュームのつまみを回せるだけ回した。当時、私はレベッカが好きだった。何の曲だったかは、もう正確には思い出せない。ただ、狭い部屋の壁が震えるほどの音の塊に、私は自分をくるんだ。泣き声が、階下に漏れないように。この家でいま起きていることから、ほんの数分でいいから、音で耳を塞いでいたかった。音の壁の内側で、私は声を殺して、ただしゃくり上げていた。

泣きながら、答えは、もう決まっていた。選べない。父か母か、どちらかなんて選べない。というより、私は、みんなと一緒にいたいだけだった。たしか、そう母に告げたと思う。家族が分かれるのが、ただ、つらかった。それ以上の理屈は、中学生の私には、何ひとつなかった。


咎めなかった

母は、私の願いを聞いて、奔走したのだと思う。

やがて、母方の兄弟が、父に金を貸してくれることになった。そうして、一家離散の危機は、ひとまず去った。家族は、分かれずに済んだ。

複雑な気持ちは、残った。けれど、不思議なことに、私は父を咎める気持ちにはならなかった。父のことは、好きだった。弱さを抱えた父を、それでも責める気には、どうしてもなれなかった。あの大きな父も、足をすくわれ、誰かに頭を下げて、ようやく立っている一人の人間なのだ。私はそのことを、中学生にして知ってしまった。神のように見上げていた背中の内側に、ただの人の弱さを見てしまったのだ。

ただ、あの一件を境に、親戚との付き合いは、少しずつ疎遠になっていった気がする。助けてもらった、ということは、貸し借りが残る、ということだ。救われたはずなのに、その救いと引き換えに、人と人のあいだに、すうっと距離ができていく。金を借りるとは、家族を守るとは、こういう後味を伴うことなのだと、子供心に、うっすらと感じていた。

父は、この借金を、これからどう返していくのか。 そのことが、やがて父を、長年勤めたナガサキヤの厨房から、自分自身の店へと押し出していくことを、このときの私は、まだ知らない。


(第六回へ続く)

遊びは、いつ仕事になったのか 第六回|ケイ|続ける人の読書室

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