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なぜ物理を研究していた私は、これほど昆布に惹かれたのか

炭素60個のフラーレンと昆布。共通していたのは、一つの素材から広がる無限の可能性だった。

私は今、昆布という一つの素材が持つ、堅実で多様な可能性に強く心を惹かれています。

昆布といえば、多くの方がまず思い浮かべるのは「食」ではないでしょうか。

だしを取る。煮物や佃煮に使う。おでんや鍋料理に入れる。

昆布は、日本の食文化と私たちの健康を、長い年月にわたって支えてきた身近な食材です。

しかし、調べれば調べるほど、昆布には食べることだけではない、多様な可能性があることに気づきます。

昆布染めという「衣」の可能性。昆布をテーマにした宿泊施設や、人が安心して集い、つながる滞在空間という「住」や体験の可能性。昆布エステや昆布バーといった、美容や観光への展開。さらに、海中で二酸化炭素を取り込むブルーカーボンとして、地球環境に貢献する可能性もあります。

一つの昆布から、食、衣、美容、健康、環境、観光、教育、文化、物語、地域産業へと、可能性が次々に広がっていく。

「この素材には、まだどんな可能性が隠れているのだろう」

「違う角度から見れば、まだ誰も気づいていない、安全で持続可能な価値が見つかるのではないか」

そんなことを、毎日のように考えています。

では、なぜ私は、これほどまでに昆布の可能性に心を惹かれるのでしょうか。

2年ほど前にその理由がようやく分かりました。大学院時代に研究していた、ある物質とつながっていたのです。

その物質とは、炭素が60個集まってできた巨大分子、フラーレン(C60)です。


炭素60個でできた、サッカーボールのような分子

フラーレンは、炭素原子が五角形と六角形を組み合わせるようにつながった、サッカーボールのような形をしています。その球状構造の頂点に、60個の炭素原子が配置されています。

大学院生だった私は、このフラーレンに関わる研究に取り組んでいました。

炭素という元素は、とても不思議です。同じ炭素でも、原子の並び方や結びつき方が変わると、まったく異なる性質を持つ物質になります。

強固な立体構造をつくれば、ダイヤモンドになる。

層状の構造をつくれば、黒鉛になる。

木などを蒸し焼きにすれば、炭として暮らしに現れる。

そして、炭素原子が球状に結びつくことで、独特な構造を持つフラーレンが生まれます。

同じ炭素から、硬さも、形も、性質も、用途も異なるものが生まれる。

私は学生時代から、この「一つの元素が見せる多様性」に惹かれていたのだと思います。

そして今、私は昆布にも、それとよく似た魅力を感じています。

フラーレンと昆布。一方は、炭素60個からなる分子。もう一方は、海の中で育つ褐藻類です。見た目も、大きさも、生まれる場所も、まったく違います。

それでも私の中では、この二つは一本の線でつながっています。

どちらにも、一つの素材から、多様な可能性が広がっていくという共通点があるからです。

私が研究していたのは、物質の「見えない性質」

大学院時代、私は陽電子を使って、物質内部の状態を調べる研究に携わっていました。

陽電子とは、電子と同じ質量を持ちながら、プラスの電荷を持つ粒子です。陽電子が電子と出会うと、両者は消滅し、放射線を出します。その消滅までにかかる時間などを測定することで、物質内部の密度や、微細な隙間の状態を推測します。

目で見ただけでは分からない物質の内部。そこにどのくらいの隙間があるのか。内部の状態が変わることで、性質がどのように変化するのか。

そうした根源的な性質を、慎重に確かめていく研究でした。

条件をそろえる。測定する。数字を確認する。結果を比較する。そして、また実験する。

すぐに派手な答えが出るわけではありません。不確実な点を一つずつ減らし、その物質がどのような性質を持つのかを明らかにしていく。私は、いわゆる「基礎研究」に近い領域にいました。

基礎研究と応用研究

基礎研究では、物質や現象そのものの性質を明らかにします。

なぜ、このような形になるのか。どの条件で変化するのか。内部は、どのような状態なのか。

すぐに商品やサービスにつながるとは限りません。それでも、性質を正しく理解し、安全な応用へつなげるためには欠かせない研究です。

一方、応用研究では、基礎研究によって明らかになった性質を、人間の暮らしや社会にどう役立てるかを考えます。

フラーレンも、その構造や性質に関する研究が積み重ねられたことで、化粧品、医療、電子材料など、さまざまな分野で活用の可能性が探られてきました。

基礎研究で性質を知る。応用研究で、その性質を社会に生かす。

この二つは別々のものではありません。地道に性質を明らかにする人がいるからこそ、その先で新しい商品や技術を生み出す人が、安心して次の一歩を踏み出せます。

研究室にいた頃の私は、物質の見えない性質を追っていました。そして今の私は、昆布という素材の中にある、まだ十分に知られていない可能性を追いかけています。

対象は物理から昆布へ変わりました。けれども、確かな情報を集め、未知のリスクを見極めながら可能性を探る姿勢は、今も変わっていないのかもしれません。

昆布にも「基礎」と「応用」がある

昆布について考える時も、基礎研究と応用研究の考え方を重ねることができます。

海水温の上昇によって、生育にどのような変化が起きるのか。地域や海域によって、性質にどのような違いがあるのか。どの環境で育ちやすく、どの条件に弱いのか。海の生態系の中で、どのような役割を果たしているのか。

こうした性質や生育条件を丁寧に調べ、記録することは、基礎研究に近い営みです。

一方で、昆布の性質や成分、文化的背景をもとに、

食材として、どう活用できるか。

染料として、衣服や布製品に生かせないか。

美容や健康分野に展開できないか。

環境保全やブルーカーボンの取り組みにつなげられないか。

宿泊、観光、教育、物語などの体験価値に変えられないか。

と考えることは、応用研究に近い発想です。

私は、昆布を培養したり、成分を分析したりする専門研究者ではありません。

けれども、基礎研究の現場を経験したからこそ、分かることがあります。

華やかな商品や事業のずっと手前に、地道に昆布を観察し、育て、調べ、記録している人たちがいるということです。環境の変化に向き合い、何度も試験や観察を繰り返している人がいる。その積み重ねがあるからこそ、私たちは昆布の可能性を未来へ広げることができます。

私は、そうした研究や現場の努力に寄り添いながら、社会での新しい活用へつなぐ役割を担いたいと思っています。

研究対象は変わっても、研究者魂は変わらない

フラーレンと昆布は、科学的にはまったく異なるものです。

それでも、私の好奇心を刺激する理由は同じでした。

一つの素材の中に、まだ見えていない多様な可能性がある。

見る角度を変えると、違う性質や価値が見えてくる。

基礎的な性質を正しく理解することで、未知のリスクを抑えながら、新しい応用への道を開くことができる。

私は、その面白さにずっと惹かれてきたのです。

炭素60個でできたフラーレン。海の中で揺れる、一枚の昆布。

まったく違う二つの素材が、私の中では一本の線でつながりました。

私の探求の対象は、フラーレンから昆布へ変わりました。けれども、一つの素材を深く見つめ、確かな情報を積み重ねながら、未来の可能性を探りたいという研究者魂は、今も変わっていません。

昆布という一つの素材から、未知のリスクも見極めながら、どこまで未来を広げていけるのか。

私の探究は、まだ始まったばかりです。

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