【未来へ手紙を出す旅 ①】また、あの汁そばを ——65年続いた柳井日日新聞
「正義じゃね。弱きを助けんといけん」
これを聞けたのは、一年後だった。
「え?本当に名古屋から来るの?」
65年続いた山口県の地方紙、柳井日日新聞の廃刊を知った週末。
電話はつながらず、連絡の手段がなかった。
最後の日に記念写真を撮らせてもらえないか。
速達で書類を送り、月曜日、ようやく社長さんとつながった。
翌日。
午前の出前を終えて柳井へ向かった。
「明日、本当に来るんだよね?」
道中、電話があった。
「水曜日が最後の印刷になるんよ」
当日はケーブルテレビも取材したいという。受けても大丈夫かと、わざわざ確認してくれた。
柳井日日新聞最後の日

白壁の街並みに、金魚をあしらった社屋が見えてきた。
「ようきんさった。名古屋から遠かったでしょう?」
出迎えてくれた社長さんと、挨拶を交わした。
事務所へ通された。
「権力や金力に屈せず 正義の筆を進める」
社是が目に入った。
「昔は、情報を売り買いするような、そういうやり方をする新聞もありよったんです。市民に向けて正しい新聞を届ける。その思いで始まった新聞です」
社長さんの声が続いた。
「これが最後の名刺交換になりますね」
名刺が差し出された。
形式的な挨拶を終えると、宿はどうしたのかと尋ね、柳井のホテルを紹介しておけばよかったと残念そうに言った。
「もうすぐ弟が印刷を始めますから、好きなように撮ってもらえばええけえ。要望があったら言うてください」
隣の印刷所へ入った。
蛍光灯に照らされた薄暗い空間の右側に大きな輪転機、左側には新聞販売店のような作業スペースがある。
「今日刷った新聞は、そのまま配達に回るんよ」
弟さんが輪転機の前に現れた。
挨拶を交わすと、黒光りしたインクをヘラで充填していく。

輪転機が音を立て、新聞紙を吐き出す。弟さんは何度も機械を止めては刷り上がりを確かめていた。
新聞紙は繊細で、毎回ロスが出てしまうという。
刷り上がった新聞を束ね、その端に指を通していく。
「目視はしているんですが、シワや折れがないか指で確認しているんです」
ハネられた新聞を手に取ってみた。
「この程度だったら、配達中につくのでは?」
「完璧な状態で手にしてもらいたいですからね」

無事に刷り上がった新聞は、作業台に並ぶお母さんたちの手へと渡っていく。
宛名を確かめ、束ね、発送の準備を整える。作業台の上で新聞が折られ、次々と流れていった。
「おはようございます」
「はい、ご苦労さま」
やがて、年配の配達員さんたちがやってきた。新聞の束を受け取り、それぞれのルートへと散っていく。
「配達の様子をみますか?」
社長さんが、声をかけてくれた。
すぐ近くで配達をする男性に、ついていくことができた。
白壁の街並みを東へ向かい、配達先のポストに新聞を投函していく。入口の開いた商店では足を止め、そのまま中へ入っていった。
会社へ戻ると、おばあさんが来ていた。
「うちの苗字は珍しいんですよ。これで、日本中の同じ姓がほとんど集まったことになります」
そう言って笑った。
「では、もう撮りましょうか」
建物の前で並んでもらう。
「あ、お父さんの写真を忘れた!」
誰かがそう声を上げたが、もう全員並んでいる。
「まあ、いいか」
笑い声のなかでシャッターが切られた。
そのあと、先ほどまで最終号を刷り、発送準備を整えた印刷所内で撮ることにした。
椅子に腰掛けたおばあさんが、ぽつりと呟いた。
「やっぱり、とてもじゃないけど表情まで気にできないわ」
最終号の青版と、創業者の写真を手に、家族が並んだ。
シャッターを切った。

「私の話を少し聞いてもらいたい」
おばあさんがそう言った。
事務所に戻る。
入り口に背中を向けて応接セットの椅子に座る。
左手のデスクでは、払い戻しの手続きが続いていた。
社長さんは取材対応の合間にも、払い戻しに訪れた読者一人ひとりに声をかけ、席に戻ってきた。
目の前に座ったおばあさんは、継いでくれる人はいなかったのかと確かめるように呟いた。
社長さんは、黙って聞いていた。
三代続いた新聞社

柳井日日新聞を立ち上げた夫は、旧満州国から引き揚げてきた高級参謀だった。
おばあさんは、かな文字の書道を教えており、その教室は55回目の展示会を終えたという。
「私は字が好きでしたから。あなた、新聞でも始めたらって言ったんです」
その一言が創刊のきっかけになった。
新聞を配って歩き、役所や警察署、広告主のもとへも足を運んだ。
「始めたばかりで何もなかったから、直接会うしかなかったんです」
そのぶん、おばあさんの耳には、いろいろな話が入ってきた。ときには、それが記事になった。
「知事さんをひどく怒らせたこともありましたよ」
おばあさんは懐かしむように笑った。
その横で聞いていた社長さんが言葉を挟んだ。
「あれは、自分の考えをこうじゃって書いただけ。おかしいと思ったことをおかしいと書いただけじゃ」
取材を続けていると「これは書かんでくれ」という空気になることもあるという。
だが——
「忖度はしません。市民目線で、市民に向けて記事を書くのであって、そっち側へ寄っていっちゃいけんのです」
おばあさんは、話の途中のまま、ゆっくりと席を立った。
社長さんに向き直った。
「新聞社の家で育つって、どんな感じなんですか?」
そのとき、左側のデスクで事務作業をしていたお母さんの声がした。
「お父さんはね、新聞社とか関係なく、とにかく厳しい人でしたから。普通にしてても厳しかったですよ」
兄弟揃って叱られたことを、社長さんが照れくさそうに話してくれた。
「でも、けっこう好きなようにやってましたからね」
高校卒業までは、プロ野球選手を目指していた。野球以外にやりたいこともなかったから家業を継ぐことにした。
「今どき高卒の新聞記者って珍しいじゃろ? パンチパーマで、新聞社へ面接に行ったんよ」
父の紹介で地方紙に見習いとして入り、そこで三年修行した。
「うちは、ド・ローカル。徹底的にローカルに拘っているから、ちょっとちょっとって呼ばれるんよ。うちなら必ず紙面に載せるけぇ、まず、うちに話したいんよ」
生まれた時。そして亡くなった時。この町では、誰もが必ず二度、新聞に載る。

週三回発行ながら、記者クラブにも加盟している。
それでも、コロナ禍は本当にきつかった。
「中止になりましただけでは紙面が全く埋まらんでしょう」
考えた末、地元の店や企業を回り、紹介記事を作った。
「もっと続けて欲しい」そういう言葉はたくさん受け取ってきた。
マスコミが殺到した事件では、加害者の父から「あなたに話を聞いてもらいたい」と連絡を受けたこともあった。
「買ってもらえないと続けられんじゃろ」
閉める体力のあるうちにと決断した。
明日は早速、知人の紹介で面接に行く。
社長さんが、行きつけの中華屋さんへ誘ってくれた。
奥のテーブルにつき、汁そばを注文する。
たっぷりな野菜に茶色い麺が特徴だ。
閉業の報道が余りにも急で、「病気か事故か」と案じ、連絡を躊躇っていたことを伝えると、前々から決めていたことだと返ってきた。
体調を崩したことが、決断のきっかけになったという。
「どう?ぶち美味いじゃろ」
気づけば箸が進んでいた。
午後から子どもたちに野球を教える。新聞記者の傍ら、監督も務めてきた。
「勝つためのルールを教えていてはダメなんよ」
練習を少し見に行ってもいいかと尋ねると、グラウンドの場所を教えてくれた。
「うちの写真を撮るために、わざわざ名古屋から来てくれたんじゃ」
見学に来ていた親御さんたちにそう紹介してくれた。
グラウンドをあとにし、昼の中華屋さんで夕食を買い込み、ホテルへ戻った。

「おはようございます」
翌日。
白壁の街並みを散策してきたことを伝えた。
左側のデスクからお母さんの声がした。
「夏の金魚祭に来てください。あの時は、本当に、にぎやかになりますから」
昨日と同じ椅子に座り、向き合う。
就職活動はうまくいっただろうか。
「いかんかった。市議選に立候補したいというのがダメみたいじゃね」
社長さんは、12月に行われる柳井市議選に立候補することを決めていた。
昨夜、中華を持ち帰ったと伝えると、「そんなに気に入ってもらえたの?」と表情が緩んだ。
新聞社として何かひとつでも、やり遂げたと思うことはないかと尋ねた。
「活字離れ、読者の高齢化、ネットの発達とかいうちゃって全部言い訳。私が未熟じゃった、全部私の力不足。ただ、それだけ」
口を真一文字に結んでいた。
この日も事務所には、人の出入りが絶えなかった。
中には、結婚式に号外を出してもらったという女性もいた。
「今見るともう恥ずかしいですよ。けど、大切にとってあります」
また、あの汁そばを
帰り際、昼はまたあの中華屋さんへ寄って帰るつもりだと伝えた。
「あぁ、あそこ!美味しいですよね!」
かつて号外を出してもらった女性と、顔を見合わせて頷きあった。
「昨日のお昼連れて行ったら、夜も買って食べたんじゃけ、よっぽどじゃろ?」
事務所の空気が和らいだ。
「もっとしんみりするかと思っていたけれど、来てもらえて明るい雰囲気になって良かった」
廃刊から一年後。
スーツ姿の市議と、中華屋さんで向かい合っていた。

「これを食べたら聞いてほしい話があるんじゃけど、きっとびっくりすると思うけぇ」
茶色い麺が懐かしい汁そばを食べ終えると、柳井市役所へ移動した。
同じ味だった。
閉業を決めたとき、報道や写真の仕事に戻ることはないと決めていた。
「いろんな所から声をかけてもろうたけど、全部断ったんよ。一番いいカメラだけ残しちょったけど、結局一度も触っとらんねぇ」
最終号のために撮った写真が、自分にとってのカメラ納めだった。
後から見て、「新聞に載ったんじゃ」と話せるように、できるだけ多くの子どもたちが写るよう考えて撮ったという。
「議員になったら?」
きっかけは、奥さんのひとことだった。
「少年野球は、人生そのものみたいなもんじゃけぇね」
監督も変わらず続けていた。
何を大切にしてきたかを改めて尋ねた。
迷いなく答えが返ってきた。
そして、どうしても話したかったことがあると身を乗り出した。
「実は今、ピザ屋さんで配達のバイトと、お弁当の盛り付けのバイトをしとるんよ」
若い人たちと働くのが楽しくて仕方ないと声を弾ませた。
「全部私の力不足」
そう言った社長さんを思い出した。

議場の前で写真を撮らせてもらった。
ファインダーに映った社長さんは、口を真一文字に結んでいた。
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