「撮ってもムダだ」——土砂降りの聖火リレー、高橋尚子さんの撮影で僕が“奇跡”を撮るまで
「だめだ……」
いくら撮ってもムダだという絶望感に、一瞬、手を止めそうになった。
どしゃ降りの夜。
ほとんど灯りのない橋の上で、僕は東京オリンピックの公式記録カメラマンとして、聖火ランナー・高橋尚子さんの撮影を任されていた。
レインウェアとカメラカバーを打つ雨音も、身動きのとりにくさも、もう意識から消えていた。
『最低限の仕事』はしたが、「よし」という感触はなかった。
各社報道カメラマンが走行シーンだけを狙い、20メートルほど手前に固まる中、サービスに向かう高橋さんの姿が目に入った。
移動禁止の空気が緩んだ瞬間、身体は自然に報道陣の方へ向かっていた。
失敗の可能性を「捨てる」準備
撮影が決まったのは、ほんの1週間ほど前。
建築撮影の合間にかかってきた一本の電話が、その夜の始まりだった。
「この日の予定はいかがでしょう?」
「はい!大丈夫ですよ!」いつも通り威勢よく返事をし確認すると、岐阜県の聖火ランナーを撮影して欲しいとのことだった。
どんな方が走るのか?と考えていたら、地元の金メダリスト、高橋尚子さんが真っ先に思い浮かんだ。
報道系のカメラマンは、どの場所を任されるかという“ポジション”を気にするものだ。
それが実績になり、次の仕事につながる。
だが、僕は報道専門ではない。
だから"重要なポジション"かどうかはあまり意識がない。
仕事で役立てるなら、地味な場所でもじゅうぶん。
そんな僕に打ち合わせで聞かされた持ち場は、高橋さんだった。
「普通のところでいいのに……」
「他はないんですか?」と聞ける訳もない。
重要な持ち場を任されるのはありがたいこと。素直に受け入れた。
「トーチキスの場面がメインで、その位置から走ってくる姿も撮って欲しい」
受付後、撮影位置を決める抽選には参加せず、決められたエリアの中から、警備に従って場所を決めてもらって大丈夫なはずだとのことだった。
コロナ禍の影響で、何もかもが異例づくめのようだ。
時間帯は、日没後。
場所は、街の光を期待できない橋の上だった。
ストロボ必須だと感じたが、天気予報を見ると、当日の夜は雨予報だった。
もし、雨だった場合、ストロボの使用は難しい。
なぜなら、手前の雨粒が反射してしまい、顔などにそれがかかると救いようがないからだ。
ストロボを使わず、人物をブラさないよう撮るには速いシャッタースピードが必要だ。
そうすると、感度を極端に上げなければならない。
画像の"荒れ"を気にして感度を上げきれないカメラマンも多いが、「ブレたら使えない、迷うだけ無駄」というのが僕の考え方だ。
現場のカメラマンが迷う中、ギョッとされるほどの高感度でもすぐ決める。
あとは、どう撮るかだけに心を注ぐ。
当日、取材の受付を済ませ、1時間以上前に、指定されたマスコミ用のポイントへ。
ここまでは、運良く映像チームの車に同乗することができた。
雨雲レーダーの予想通り、撮影時間帯は、その日1番に近い雨量になりそうだ。
雨が気にならないほどの小降りになったが、まだ時間がある。
居合わせた報道カメラマン達は「走り」を狙うため、指定場所より手前に移動していった。
結局、指定の場所に残ったのは、僕と、たしか読売の記者さんだけになった。
僕もここでは厳しいと思ったが、担当者さんに確認を取れる訳もなく、オーダー通り、この位置で結果を出すしかなかった。
「撮ってもムダだ」—それでも切り続けたシャッター
撮影が近づいてきた。
やみかけた雨はまた勢いを増してきた。
担当者さんから電話が入る。
前の持ち場のカメラマンが使った“感度”を教えてもらうためだ。
やはりかなり高めを使っていた。
電話の数値を参考に、そこから可能なだけ感度を上げておいた。
ストロボは諦めた。
望遠もやめた。
僕は、息を飲むような写真は狙わない。持ち場的にもその必要もないからだ。
記録として失敗の可能性を潰し、残ったやり方で撮る。
カメラは2台持ってきているが、1台しか使わない。準備はするが置いておく。
報道カメラマンは、首から何台もかけているイメージがあるが、結局、一瞬に使えるのは1台だ。
余計なことに気を取られず、一つのことに集中する──それが失敗のリスクを減らす。
煌々と明かりを焚いた車が見えてきた。
ここからでは、走りを撮るにはじゅうぶんとはいえないが、白い服に身を包みトーチを掲げた高橋さんが視界に入った。
数枚だけ“ゴール直前”の走った姿を撮れた。
するするとトーチキスが始まった。
ほぼ真横っぽくなってしまい、理想的なアングルは得られない。
これという手応えはなく、すっと終わっていった。
参考に観ていた他の場所の動画には、マスコミ向けにポーズをとってもらっている所もあったが、こちらを向いてしまっては照明も当たらない。
ここは、無駄なアピールはせずに流した。
高橋さんは、走ってきた道を戻るように、多数のカメラマンが陣取る場所へ、軽い足取りで向かっていった。
抜け殻のように、視線だけで追った。
警備の声。
ギャラリーのざわめき。
足音。
ふっと緩む空気。
オーダー以外のカットになるが、『やるべきことをやり切る』ため、自然に僕もその輪に向かっていた。
各社カメラマンたちに向けてポーズをとり終えたのを見計らって、しっかり左手を挙げた。
「こちらにもお願いします!」
声掛け禁止なので心の中で叫んだ。
僕のカメラに気づいてもらえたようだ。
トーチを持ち、笑顔でこちらにポーズをとり目線をくれた。
何枚かシャッターを切った。
ファインダーにちらりとプレビューが見えた。
「撮ってもムダ」
心の声が一瞬聞こえたが、シャッターを切り続けるしかない。
これ以上なくシンプルにしていたので、一切迷いはなかった。
『レンズの真ん中に高橋さんを捉えて時間いっぱい連写』した。
すると斜め後ろ側から、別のカメラマン達がストロボを焚き始めた。
降りしきる雨の向こうに、美しい光が見えた。
微かに誰かのストロボがシンクロした感触があった。
手応えのない撮影を終え、土砂降りに打たれたペリカンケースをひく。
ゴロゴロ……ケースの音を響かせながら、ギャラリーの波に身を任せ、車へと戻っていった。
「今回ばかりは持っている運も尽きた、申し訳ない……」
車に戻ると、担当者さんから確認の電話。
僕は、状況をありのまま報告した。
「走行シーンは障害物でじゅうぶん撮れず、トーチキスもポイントが横すぎました。僕の場所取りが悪かったです」
可能性があるとすれば、数メートル後ろだが、"そこ"は取材エリア外だった。
これが現実。
「もう、こういった仕事は二度とやることはないな」と悟り、納品を終えることに気持ちを切り替えた。
やり切った末に訪れた「奇跡」
どんよりとした気持ちで帰宅後、PCでデータを確認。
走行シーンと呼べそうなカットは数枚撮れていた。
トーチキスも、理想的ではなかったが撮れていた。
最低限という想定内。
記録は残すことができた。
そしてコマを送る。
「?!!」
最後に撮ったバストアップのカットが出てきた。
その中の一枚に、誰かが打ってくれたストロボが見事にシンクロしていた。
撮影前、ストロボを使う可能性があるなら、カメラからストロボを離して使うしかないと結論を出していた。
その理想的なライティングになっていた。
レンズに近い雨粒は全く光ることなく、よいアイキャッチが入り、いきいきとした笑顔をモニターが映し出していた。
急いでデータを担当者さんに送る。
すると、待っていたであろう担当者さんから、すぐに返信がきた。
「すごいです!それにしても、最後にあれをよく撮れましたね!!」
どうやら担当者さんも、自信を持って納品できそうだ。
生き残った。
ほっと力が抜けていった。
翌日の朝刊には、走りに狙いを定めたカメラマンの素晴らしいカットが一面を飾っていた。
僕の撮った写真は、担当者さんの満足感と共に、公式記録として静かに納品されたはずだ。
僕が大切にしているのは、息を飲むような奇跡のワンショットではありません。
それは「お客さんが望む結果」を、どんな最悪の状況下でも必ず届ける、『"納品"の思考法』です。
この日、土砂降りの現場で私が行ったこと——
・ストロボも望遠も「捨てる」決断
・失敗の可能性を「潰す」ための高感度設定
・オーダー外でも「やり切る」ための最後の一歩
これらは、コマーシャルや皇室行事の現場で叩き込まれた、たった一つの哲学の実践に過ぎません。
「自分ごと(良い写真を撮りたい)」を捨て、「相手ごと(必ず記録を届ける)」に徹したからこそ、最後の奇跡すら味方につけることができたのです。
これは、写真だけの話ではありません。
この「現場で学んだ考え方」は、
・創作大賞の原稿を書き上げるとき
・仕事で困難な交渉やプレゼンに臨むとき
・「どうせムリだ」と不安になったとき
必ず、あなたの思考から迷いを消し、ゴールへと導きます。
あの日、土砂降りの中で僕を支えた「思考法のすべて」を言語化し、誰でも実践できるようまとめたのが、次の有料記事(800円)です。
今、あなたが抱える「創作」や「仕事」の迷いを、「"納品"への確信」に変えてみませんか?
