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「あの頃もっと、自分にわがままでもよかった」—ミラノの街が教えてくれた20代の私が海外インターンで学んだ「欲望に素直な生き方」


ミラノ、あの短い季節に私は”生きること”を学んだ。


欲望に忠実であること、迷うことを恐れないこと。

———


大学を卒業する直前。


私は東京の外資系メディア企業でインターンをしていた。送りこまれた先は、東京証券取引所内のメディアブース。


日経市況をライブで伝えるリポーター達のアシスタント兼リサーチ係だった。


けれど、それだけではどうしても満たされなかった。



「もっと広い世界で働きたい」
「日本じゃないどこかで、自分を試してみたい」


そんな衝動に突き動かされ、学生団体のツテを頼りに、イタリア・ミラノのメディア系企業でのインターンシップを手に入れた。



本音を言えば、最初から胸が高鳴っていたわけじゃない。ミラノと言われてもピンとこない。


決まったときも、「ま、いっか」くらいの軽い気持ちだった。


でも今振り返ると、大学院に行くまでのあの数か月こそが、私の中にある”生きる感覚”を覚醒させる時間だったのだと思う。


社交とエスプレッソに包まれたオフィス



ミラノのオフィスは、ほぼ100%イタリア人。


私は、日本企業との新規ビジネス開拓の手伝いを任されることになった。



だけど、そこに流れていたのは、日本で感じていた「働く」という緊張感とは、まったく別の空気だった。



朝10時前、同僚たちはエスプレッソを片手に出社してくる。



まずパソコンに向かうのではなく、下のカフェで仲間たちとエスプレッソで語らい、笑い、時には夜の予定を延々と話し合う。


「昨夜はどこで何を食べた?」
「今夜はどのバーに行く?」
「誰と、どこでディナーをする?」



そんな会話が、まるで呼吸のようにオフィスを満たしていた。



働くために生きるんじゃない。



生きるために働く。



そんなメッセージが、言葉にせずとも、そこかしこに漂っていた。




ファッションと食べ歩きと、ヒヤヒヤのカードの限度額


年の近いイタリア人の同僚ヴァレリアとは、席が隣で、すぐに親しくなった。


メディア専攻で、ジャーナリスト志望、まだ駆け出しだった。


そんな彼女とはランチタイムにはバールやサラダバー、レストランに繰り出し、ランチのあとは決まって、ジェラート屋に行き、ジェラート片手に、ミラノ中のショッピングストリートを歩き回った。


Duomo(ドゥオモ)からCorso Vittorio Emanuele(コルソ・ヴィットリオ・エマヌエーレ)へ。


キラキラと輝くウィンドウの前を通り過ぎるたびに、心がわくわくして止まらなかった。



もらったインターンのお小遣いはあっという間に消え、日本から持ってきたクレジットカードで散財してしまって、よく電話越しに母に怒られた。



あのときの私は、イタリアファッションと、そして見る物全てが新鮮で、生きる喜びに全身で浸っていたからかもしれない。



小さな快挙、でも興味のなかった報酬



仕事では、地道に日本企業にアプローチを重ねた。



その結果、東京を拠点とする大手企業の新しいベンチャーの代表を、ミラノに呼び寄せるという快挙を成し遂げた。


ちょうどサッカーの中田英寿選手がイタリアで活躍していたころだ。



日本人達はこぞってイタリアに来たがった。


実はこのメディア会社は、ウェッブでスポーツニュースを配信するサービスもしていた。


中田選手の人気の煽りを受け、同僚のイタリア人ジャーナリストたちに引っ付いて、中田選手にインタビューに行くというチャンスが廻ってきたのに、なぜかわたしは全く興味が持てず、そのオファーを断った。


せっかく日本語でインタビューできるから、ぜひ一緒にいこう、と先輩イタリア人ジャーナリストに言われたのに… 


今となれば、なぜいかなかったのか。ちょっぴり後悔がたつ。




当時のわたしは、そんなベンチャー会社の日本人代表を招くことができた大きな成果にも、中田選手のインタビュー同行にも、私は全く無頓着だった。


もっとボーナスを交渉することだってできただろうに。もっと違う世界も体験できたかもしれないのに。



あの頃の私は、そんなことより、ミラノの空気と、友人たちとの時間に心を奪われていた。



今振り返れば、不思議なほどに”報酬”や自分の描いたキャリア像以外に興味がなかった。


けれど、だからこそ、あの時の私は心から自由だったのだと思う。



Aperitivoと、心の奥の”迷い”



イタリアで私が愛したのは、夕暮れのAperitivo(アペリティーヴォ)の文化だった。


バールに集い、軽く飲み、様々なおつまみをたんまりつまみながら、夜の街へと溶けていく。


Navigli(ナヴィリオ)地区の運河沿いを歩きながら、私はよく考えていた。


――本当にこのまま大学院のロンドンに行くべきなのだろうか、と。



大学院進学も、キャリアも、すべて”正解”に向かう道だった。


でも、心の奥では、小さな声もささやいていた。



「ここに、いたい。」



けれど結局、私は、ロンドンを選んだ。若かった私は、まだ「正しさ」を信じたかった。心のままに進む、ほどの勇気はなかった。


あのとき違う選択をしていたら?



それから20年以上。



私は金融街に憧れ、外資系企業でキャリアを積み、やがてシリコンバレー系の仕事にも関わるようになった。



けれど、ふと考えることがある。



もしあのとき、忠実に心の声に従い、ミラノに残っていたら?



きっと、今とは全然違う人生だっただろう。



でも、正解なんて、誰にもわからない。



人生はいつだって、「選ばなかった道」を内包しているものだから。


ミラノが教えてくれたこと



ひとつだけ確かに言えることがある。


あの短い、けれど濃密な時間が、私に教えてくれたこと。


それは、


「自分の欲望に、もっと素直であれ」


ということだった。



キャリアのために、肩書きのために、“正しさ”を生きるのではなく、
もっと、心が動くほうへ。
もっと、笑えるほうへ。
もっと、自分自身を生きるほうへ。



生きることに貪欲でいい。
迷っていい。
後悔しても、また次の景色を見ればいい。



あの時、あの街で、私は人生の根っこのような教訓を、知らず知らずのうちに受け取っていたのだと思う。


ただ、それをようやく少しずつ実践できるようになったのは、皮肉にも、もっとあとになってから、そして、キャリアを積んで自分と自分の専門性に自信を持つことができてからだった。


そして今も、私は時々思い出す。


あのエスプレッソの香りと、夜風に吹かれるミラノの運河の匂いを。



20年前のミラノから届いたメッセージ



人生に「正解」はない。ただ、心の声に素直でいたいだけ。

未来のどこかで、誰かの心にそっと灯ることを願って、ここで伝えたい、小さな「人生のヒント」。


【人生の法則10カ条】

1. 正しい道じゃなくて、心がふるえる道を選んでよい。未来のために我慢ばかりしないで。今、あなたの心に炎が灯るほうへ。


2. 言葉じゃないものを、感じてみよう。
言葉や言語を超えた、人のぬくもり、そして同時に冷たさも、同じだけちゃんと感じて、その空気を聴いてみよう。あなたの「肌感覚」が時に人生の指針になる。



3. 遠回りや、ムダなことにも意味がある。
効率ばかり求めたら、大事なものを拾いそこねる。人生の寄り道も大切。そこから得られるものは、実は、近道よりも価値がある。



4. 失敗を怖がらない。
恥ずかしくても、うまくいかなくても、それは未来のあなたの宝物になるから。きっとほかの誰にもまねができない、あなただけの大切な体験、人生の記憶。



5. 「これが欲しい!」を、大事にして。
欲望は、あなたの生きる力。無理に押し込めなくていい。「欲しい」「行きたい」「やりたい」――その直感を、なかったことにしない。



6. 他人のサイズに、自分を合わせなくていい。
どんな街でも、どんな人たちの中でも、あなたはあなたのままでいい。



7. 孤独な夜も、ちゃんと力になる。
ひとりきりで泣いた日も、未来のあなたを、静かに支えてくれるから。



8. 「ここが正解」なんて場所はない。
どこにいても、いいこともあれば、うまくいかないこともある。だからこそ、どこでも生きていける。



9. "今ここ”を、雑に扱わないで。
今いる場所、今出会った人に、心をこめよう。それが未来を変える。



10. 勝ち負けじゃなく、最後に「よかったな」と思えたら、それでいい。人生は競争じゃない。あなたのペースで、あなたの幸せを見つけていい。



「答えは探すものじゃない。歩きながら、自分の中に育てていくもの。」


— 旅するように、生きていこう —

わたしも自分自身にもう一度この言葉を伝えたい。

お読み下さり、本当にありがとうございました。



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