東日本大震災復興手伝い記 ⑤女川向学館で過ごす一週間
前回 東日本大震災復興手伝い記 ④授業初日は自分の力量を思い知らされる
授業後
2012年1月、女川向学館での初日授業が終わる。
終わった後は自習の生徒への質問対応など。
私は翌日の授業の準備でパソコンとにらめっこだ。
時間になり生徒を全員送り出すと、最後に締めのミーティング。
そして皆で帰る……ことにもならない。
各自の残務処理などがある。
小一時間ほどして、ようやく帰ることになった。
自動車数台で帰る。外は寒い。フロントガラスに分厚い霜が降りている。
エアコンのヒーターで溶かし、しばらく待って皆で乗り込む。
ただ私、この一週間は乗せてもらうだけ。運転することはなかった。
雪道の運転なんてしたことがなかったから。
一応運転免許を持ってはいるが、とてもじゃないが怖くて乗れない。
後日、雪のない年には運転することになったのだけれど。
宿舎について
スタッフが主に寝泊まりする場所は、既にカタリバさんの方で用意してくださっていた。
一時避難なさった方の家を一軒そのまま借り上げて、そこをスタッフの宿舎としてシェアハウスの形で使用していた。
私が最初にやってきた浦宿駅の、少し奥まったところにあった。
宿舎に帰り着く前に、浦宿駅前のコンビニエンスストアに寄る。
そこで明日の朝食などを買い込む。
スタッフは大半が同じ建物に寝泊まりしていた。
年齢も性別も職業もごった混ぜ。
大学生の方もいれば社会人の方もいる。
それらが皆で共同生活をしていた。
宿舎の形態に関して
読んでいる方は(男女ごちゃまぜなの?)と思った方もいらっしゃるかもしれない。
当然ながら後日変わっていく。
東日本大震災から僅か10ヶ月ばかり、小学校のグラウンドが仮設住宅で埋め尽くされ、一時避難を余儀なくされる方が大勢いらっしゃる状況下であることは差し引いていただきたい。
まさかこんなことでいちゃもんをつける人もいないだろうけど。
宿舎での生活
夕食も皆で作る。もちろん私も手伝う。
いわゆる茶の間、テレビの間のようなところがあって、そこのコタツが食卓となった(テレビは置いていなかった)。
あれこれと話しながら、楽しい食事をさせていただいた。
寝る部屋は当たり前だが男子と女子で分ける。
二段ベッドがいくつかあって、うち一つを使わせてもらった。
やはり衣類は七日分持ってきて正解だった。
スタッフの皆はそれぞれ洗濯をしていたようだが、私はやはり憚られた。
風呂もシャワーのみで済ませる。
真冬にシャワーのみは寒いけれど、湯船を張って呑気に長風呂という訳にもいかない。
そこは我儘を言う場面ではない。「何しに来たんだ」って話になる。
その後も女川に伺うが、宿舎ではずっとシャワーのみだった。
湯船を使って構わなかったかもしれないけれど、風呂場を長時間占領するのはなんとなく憚られたのだ。
女川での一日
宿舎での朝
朝は各自が起き出して朝食をとる。
全員行動はバラバラ。
早朝のうちから打ち合わせなどで出発したり、もしくは向学館へ向かったり。
皆が起きてくるのに合わせて私も用意していたパンを食べる。そしてスタッフの運転する車に乗せてもらって移動した。
自動車の他に、徒歩で移動することもあった。
向学館入口にあった電動自転車を使うことも。
この電動自転車、すべて寄付によるものだった。今村代表を初めとするカタリバスタッフが奔走してくださった賜物なのだろう。
やはり組織で動くことの大事さを実感させられる。個人で「震災復興」といっても限界がある。
向学館で
到着すると誰かしら職員室にいて作業をしていた。
エアコンもストーブも入り、部屋は暖かい。
時に自分達が一番乗りとなる日もあったけれど。
コーヒーを入れてパソコンにスイッチを入れる。
また、今日の授業予定の資料作成である。
すでに出来上がっている部分もあれば、過去問集を読み込んで付け加えておいた方がいい部分もある。
誰もしゃべらない。せいぜい電話の会話。
職員室は静かだった。
2時半になってミーティング。
ミーティングが終わると、各教室やら廊下やらを掃除。
それが終わると、私はまた授業の支度に入る。
授業にも慣れてくる
直前になるまで資料を作り、印刷してみては不具合を直し。
そうするうちに授業の時間が近付く。
印刷は少し多めに刷った。
足りなくなってからドタバタしていたのでは時間がロスになるから。
授業については、私も少しずつ勝手がわかってきた。
生徒の方も当初の緊張がほぐれたのだろうか。
とにかく初日よりはスムーズに展開することができた。
授業後に余った資料は毎回毎回整理して、最終日にまとめてスタッフにお渡しした。「希望する生徒がいたら渡してほしい」と言って。
授業終了後
そして生徒全員を送迎バスで送り出す。
バスからの確認連絡を受けてから、締めのミーティング。
終わっても皆すぐには帰らず、何かしらの作業を続ける。
私も過去問の読み込みと資料作り。
そして切りのいいところで全員退出する。
コンビニに寄って買い出しをして。
それから宿舎でみんなで夕飯を食べて。
そんな形で1週間が過ぎていった。
続き 東日本大震災復興手伝い記 ⑥2012年、一年目のボランティアに忙中閑あり
