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言葉の街で育ち、書の道へ――黄蝶さんが歩んだ“文字の旅”

気になるnoteクリエイターに、國學院大學メディアnote編集部が「お話を聞いてみた企画」。今回ご登場いただくのは、文学の街・愛媛県松山市で書道教室を営む黄蝶さんです。

幼い頃から、絵日記や日記、俳句の宿題を通して「世界と言葉がつながる瞬間」に立ち合ってきた彼女。書の魅力に導かれ、いまは自宅の教室で子どもたちに“書くことの喜び”をつないでいます。

言葉に育まれてきた黄蝶さんの学びの原体験とは? 静かに積み重ねてきたその歩みをたどりました。

――noteを始めたきっかけは何ですか?

もともとは、読んだ本の記録を綴ろうと思って始めたんです。同じぐらいのタイミングで書道教室を開いたので、だんだん教室の様子を発信する頻度の方が高くなってしまいましたが……。いまはそこから一歩踏み込んで、自分が書いた文字の話や我が子とのエピソードなども書かせてもらっています。
 
文章については、思い悩んで書き上げるという感じではないですね。どちらかというと熱くなりやすいタイプなので(笑)、引き算を繰り返して、クールに見えるように、くどくなり過ぎないように書くことを心がけています。

――物心がついた頃から読書を楽しんでいたそうですが、文章を書くことももともとお好きだったのでしょうか?

思い起こせば、幼い頃から“書くこと”が生活の中に組み込まれている環境に身を置いていました。
 
文章を綴った最初の記憶は幼稚園の年長のときです。園の方針だったのかは覚えていないのですが、1か月近く絵日記をつけていた時期がありました。まだ小学校にも上がっていない子どもが、絵を描いて文章も書いて、それを毎日続けるというのは大変なことだったと思うのですが、嫌々やっていたというわけではなく、むしろ楽しく取り組んでいたことを覚えています。
 
「書くことが苦ではない」という感覚は、その後の私の人生の大切な土台になりました。

――ご出身の愛媛県松山市は、近代俳句の礎を築いた正岡子規の出身地だそうですね。夏目漱石の『坊ちゃん』をはじめ、さまざまな小説の舞台としても取り上げられている土地柄、松山は“文学の街”と呼ばれているそうですが、それを実感されたエピソードがあれば教えてください。

わたしの子ども時代は、小学校から中学校までの9年間、「毎日日記を書いて提出するように」と学校から言われていました。うちの学校だけでなく、松山市内のほかの学校もそうだったので、毎日日記を書くことを推奨する街(笑)だったのだと思います。
 
先生がクラス全員分の日記に目を通して毎日コメントを返してくれていたのですが、いま思えば、これほどぜいたくな言葉のやり取りってないですよね。自分が発信した言葉に対して、誰かが応答してくれる。その積み重ねが、言葉を“生きた対話のツール”として捉える感性を養ってくれたのだと思います。

ほかにも、班ごとに地域の史跡について資料を作り 、学年全体で校区内を巡りながら調べたことをその場で発表するというフィールドワークが毎年ありました。

当時は、石碑に刻まれた難しい文字の意味を完全に理解することはできませんでしたが、実際にその場所に立つことで、歴史を刻んだ人物が確かにここに存在したのだという気配を感じることはできたと思っています。そこに置かれた文字や言葉が、何十年、何百年と大事に引き継がれていく――。こうした経験の積み重ねが、“言葉を慈しむ”という、いまのわたしのライフワークにつながっています。

「杖ノ淵公園」(じょうのふちこうえん)にある弘法大師の像。


――松山といえば“俳句の街”でもありますが、子どもたちにもその意識は浸透しているのでしょうか?

もちろんです! 松山で一番の著名人といえば正岡子規。郷土が誇る偉人の存在はとても身近で、子どもの頃から俳句は特別なものというより、常に日常の延長線上にありました。


杖ノ淵公園にある正岡子規の句碑(手前)と俳句ポスト(奥)。


季語が並んだプリントが配られて、それをもとに俳句を詠むという宿題が定期的に出されていたのですが、わたしはそのプリントに記された季語を眺める時間が大好きだったんです。身近な日本語が季節と紐づけられて分類されることにおもしろさを感じていました。
 
中学1年生のときに“麦秋(ばくしゅう)”という季語を知ったときのことは、いまでも鮮明に覚えていますね。松山は麦の栽培が盛んで、5月になると見渡す限りの麦畑が黄金色に輝くのですが、ちょうどその時期に、“麦秋”という季語を知ったんです。

字面だけを見れば“秋”なのに、実際には初夏の5月を指すという 矛盾。その季語を知った瞬間に、目の前に広がる黄金色の景色と言葉がつながったような気がして、震えるような感動を覚えました。たった一つの言葉で、世界の見え方が変わる。わたしにとって、その喜びを教えてくれたのが俳句でした。

――黄蝶さんのもうひとつの軸になっている書道も、子どもの頃に始めたのでしょうか?

書道を習っていたのは小学3年生から6年生までの4年間。母にすすめられて、“たしなみ”として通い始めたのですが、じつは、その頃はあまり好きではありませんでした。書道が嫌いだったわけではないんです。むしろ、「字をきれいに書きたい!」という欲求が人一倍強く、理想の線を書けない自分が許せなかったんですよね。同級生の中に突出して上手な子がいたのですが、その子の書く線を、尊敬と憧れのまなざしで眺めていました。
 
でも、この「上手くなりたいのに書けない」という苦しい経験は、いまのわたしの財産になっているとも思っているんです。「頑張っているはずなのに、思い通りに書けない」という子どもたちの気持ちが、わたしには痛いほど分かります。悔しさや焦りに寄り添いながら「それを乗り越えるための時間の尊さを実感してもらえるところまで、じっくりと導いてあげたい」という気持ちで指導にあたっています。

――一度離れた書の道に再び戻ろうと思ったきっかけは何だったのでしょうか?

二十代になったある日、散歩に行った公園で、突然文字の魅力に憑りつかれました(笑)。句碑がたくさん建ち並ぶ公園だったのですが、ふと目に飛び込んできた筆文字に「なんてかっこいいんだろう!」と衝撃を受けたんです。書を“アート”として意識するようになったのはそれからですね。
 
「自分もあんな字を書いてみたい」「また書道を習いたい」と思ったものの、当時は銀行員として多忙を極めていたため、習い事に通う余裕はありませんでした。結婚して退職したのを機に書道を再開したのですが、出産や子育て、転居などが重なって何度も中断。本腰を入れるまでに足かけ10年もかかってしまいました。
 
――書道を習う側から、教える側になったきっかけを教えてください。

師範の資格をとる直前に、いとこから「年長児向けのワークショップを開いてもらえないか」と依頼されたんです。お願いというのは「就学前の子どもたちが文字にあまり興味を持っていないことに不安を感じているので、数人まとめて教えてくれないか」というものでした。

「あいうえおをほとんど知らない子たちに、いきなり紙とペンを渡しても、文字の形を記憶に残せないだろうな」と、悩んだ末にたどり着いたのが“文字クッキー”でした。

ココアクッキーの土台に、細長くしたバニラ 生地で自分の名前の頭文字を作る。クッキーが焼けるまでの間、少しだけクレヨンで文字を書いてみる。そんなワークショップを催したところ、すごく喜んでもらえたんです。お母さん方から「春からも続けてほしい」というありがたい声をいただき、自宅の一室で小さな書道教室を立ち上げることとなりました。

「クッキー生地でおなまえの文字を作ろう!」のワークショップ。
「文字って楽しい!」の体験を子どもたちへ贈ったこの日が、MiTOの原点に。


現在、生徒さんは20名ほど在籍していますが、一度に教えるのは最大で3名までと決めています。物理的な広さの問題もありますが、何より「一人ひとりの子どもの心の動きに、細部まで向き合いたい」という想いがあるからです。

――教室を運営される中で、黄蝶さんが大切にされていることはありますか?

書の出来栄えの前に、「あそこに行ったら楽しい」「おもしろいことがある」と思ってほしい。子どもたちが楽しい気持ちで通える場所でありたいなと思っています。楽しく通い続ける中で 自分の成長を実感できるようになってくれたら、こんなにうれしいことはありません。

時には塗り絵や模写を取り入れながら、筆遣いをつかむ練習をしている。


わたしが 大人になってから突然書道に目覚めたように、人生は何が起こるか分かりません。 だから、書を通じて、子どもたちの感性にいろいろな角度から“種まき”ができたらいいなとも思っています。
 
書道道具は石や木、動物の毛、植物の皮など、自然の恵みでできているのですが、わたしは その道具が生まれる過程をできるだけ子どもたちに伝えるようにしています。

文鎮、筆置き、墨置きなどのコレクション。 素材は鉄、天然石、陶器などさまざま。
愛媛の伝統産業である砥部焼のカトラリーや菊間瓦のオブジェも、
書の時間に味わいを添えてくれている。

「世の中にはいろいろな仕事がある」ということを知ることで、作り手への敬意が芽生えるのではないかと考えるからです。 愛媛の伝統工芸品である大洲和紙など、古来から日本に息づいている手漉き和紙を配って、手ざわりや匂い、墨の吸い込み方の違いを五感で感じてもらうこともあります。

将来、書の道に進まなかったとしても、この教室で触れた美しい紙や道具の記憶が、いつか美術や職人の仕事への興味につながるかもしれない。さまざまな感性が磨かれて、新しい夢につながるかもしれない。そんな可能性の種を蒔くこともまた、指導者としてのわたしの役目だと思っています。
 
書についていえば、言葉をただ消費するのではなく、いま自分たちが書いている言葉の意味や背景にある物語についても、子どもたちとたくさん話し合っていきたいですね。

表紙デザイン、印刷、すべて手作りで発行している、教室通信「MiTOの種」。
季節ごとに俳句を揮毫して、オリジナル解説とともに各ご家庭に届けている。


――黄蝶さんの記事「国文学DJ」は、“言葉の贈り物”にまつわるすてきなエッセーでした。先生からの贈り物によって、息子さんにとっては一層忘れられない思い出になったかと思いますが、言葉にはどのような力があると思いますか?

“直接的な説明”という役割以上に、言葉には、受け取る側の想像力を呼び起こす力が宿っているとわたしは思っています。

言葉は単なる記号ではなくて、カタチのない人の心を表す“葉”のようなもの。古今和歌集の序文として紀貫之が書いた『仮名序』の中に 「やまと歌は人の心を種としてよろづの言の葉とぞなれりける」という文章があるのですが、本来は見えないはずの人間の心が“種”となり、そこから無数の言葉という“葉”が広がる――この感性にわたしはとても共鳴しているんですよね。
 
記事に書いた国語の先生も、生徒たちに直接的な言葉をかけるのではなく、黒板に短歌を一首ぽんと置くことで”言の葉” を渡してくれたのでしょう。受け取った生徒たちは、背後にある思いを一生懸命想像したと思うんです。「言葉って、人の心から人の心へ通じる、一瞬の旅みたいなものだな」と感じました。
 

――教室の運営を通じて、ご自身はどのように成長されたと感じていますか。

学ぶ側から教える立場になり、大人向けの指導内容をそのまま伝えても子どもたちには響かないという現実に直面しました。どうすれば簡潔に、かつ本質的に生徒の心へ届けられるか。そのために言葉を別の表現に置き換え、工夫し続ける日々そのものが、わたしにとっての最大の学びであり、生きがいとなっています。
 
――noteでの発信について、これからの展望を教えてください。

デジタル化が進むいまだからこそ、自分の手で文字を書くという本能的な欲求はむしろ高まっているように感じます。書道教室というリアルの場所と、noteというデジタルの発信、その両輪で「文字を書くこと、日本語と生きていくことをどう味わっていくか」を伝えていけたらと思います。


生徒さんたちと一緒に書いた今年の干支「馬」。


 
松山の人々が文学や歌に流れる精神性を大切に守り続けてきたように、わたしもまた、次の世代へ“言葉の持つ豊かさ ”の バトンを渡せる一人でありたい。「かっこいい」という純粋な感動からわたしの学びの旅が始まったように、これからも多くの子どもたちの心に、学ぶことの楽しさを届けていきたいと思っています。

――ありがとうございました! これからも、言の葉の魅力に気付かせてくれる黄蝶さんの素敵な記事を楽しみにしています!


黄蝶(きちょう)
言の葉とふれあう 、書道教室「書道スタジオMiTO」講師 。愛媛県宇和島市に生まれ、3歳から文学の街・松山市で育つ。物心がついたときから活字に親しみ、現在は、公私にわたって“言葉を慈しむ”ことをライフワークにしている。日本古来の美的感覚と文字が好き。noteでは、きれいな文字の書き方をシェアしたり、子どもたちの書字を支える日々の記録を綴っている。

note  https://note.com/itomaki85

取材・文:松井さおり 編集:篠宮奈々子(DECO) 企画制作:國學院大學