「光のレシピ」を塗り重ねた男と、海底の名もなき働き手たち──2026年京都賞が照らす科学の地平

2026年6月19日、公益財団法人稲盛財団が第41回京都賞の受賞者を発表しました。稲盛和夫氏の「人類社会の進歩発展に著しく貢献した人々を顕彰する」という理念のもと、先端技術・基礎科学・思想芸術の3部門で毎年1名ずつ選ばれるこの賞は、「日本のノーベル賞」とも称されます。
今回の発表を読んで、ふと思いました。3人の受賞者に共通するのは何だろうか、と。パフォーマンスアートの巨匠ローリー・アンダーソン、海の見えない場所に目を向け続けた微生物学者ファルーク・アザム、そして「塗れる太陽電池」を生み出した化学者・宮坂力。三者は一見まったく異なる世界に生きているように見えます。でも、よく見るとひとつのことが浮かび上がってきます。「誰も本気で信じていなかった可能性を、地道に追い続けた」という一点です。

「軽くて曲がる太陽電池」というあり得ない夢

先端技術部門を受賞した宮坂力氏は、桐蔭横浜大学の特任教授であり、現在は早稲田大学でも特命教授を務めています。受賞理由は「ペロブスカイト太陽電池の創成」。一言で言えば、「塗って作れる、薄くて軽い太陽電池」の生みの親です。
太陽電池といえば、屋根に並んだ黒っぽい重いパネルを思い浮かべるかもしれません。あれはシリコンを高温・高圧で精製して作るもので、製造コストも工場の規模も相当なものです。
宮坂氏が目をつけたのは、「ペロブスカイト」と呼ばれる結晶構造を持つ材料でした。その名はロシアの鉱物学者ペロブスキーに由来します。有機物と無機物が組み合わさったこの材料は、光を吸収する効率が非常に高く、しかも溶液に溶かして「塗る」ことができます。そのアイデアを最初に論文にまとめたのが2009年のこと。当時の変換効率はわずか3.8%ほど。「こんなもので将来の太陽電池になれるわけがない」という声も少なくなかったはずです。
ところが状況は一変しました。2012年にオックスフォード大学との共同研究で効率が10.9%に達したことで、世界中の研究室が一斉に追いかけ始めます。そして現在、単体での変換効率は26%超、シリコンと積み重ねたタンデム型では30%以上を記録するまでになりました。

変換効率26%という数字をピンとこない方のために、少し説明を加えましょう。太陽が降り注ぐエネルギーのうち、電気に変えられる割合です。生物の光合成は概ね1〜2%ほどですから、26%というのはいかに高い水準かがわかります。しかも、その電池はフィルムのように薄く、曲げても壊れません。
以前から過去記事でも触れてきたペロブスカイト太陽電池の話に、ついに「歴史的な評価」がついてきた感があります。
宮坂氏が受賞コメントで「大学院の学生と若い研究者の努力に心から感謝する」と述べたこと。これは単なる謙遜ではないと思います。何十年もかけて育ててきた技術の「重み」を知っているからこそ出てくる言葉です。
海の「見えない住人」が地球を動かしていた

基礎科学部門を受賞したファルーク・アザム氏(カリフォルニア大学サンディエゴ校スクリップス海洋研究所・名誉教授)の業績は、知る人ぞ知るという世界です。
テーマは「微生物ループ」。海洋の炭素循環における、目に見えない働き手の発見です。
長い間、海の食物連鎖は「植物プランクトン→動物プランクトン→魚」という一方向の流れで理解されていました。ところが実際の海では、植物プランクトンが排出する溶存有機炭素——つまり「溶けた有機物のかけら」が大量に漂っており、この行方が謎でした。「失われた炭素」と呼ばれていたほどです。
アザム氏らが1983年の論文で示したのは、その「失われた炭素」を細菌が取り込み、原生生物がその細菌を食べ、さらに上位の生物が捕食するというルートの存在でした。炭素は消えたのではなく、目に見えないほど小さな生き物たちの間をぐるりと回っていたのです。この仕組みを「微生物ループ(microbial loop)」と名付けました。

台所に例えるなら、こんな感じです。大きな料理(プランクトン)が食べ残されても、その匂いと汁を近所の猫(細菌)が舐め取り、その猫を鳥(原生生物)が食べる——一見バラバラな行動が、実は栄養を完全にリサイクルするシステムを形成していたわけです。
この発見が気候変動研究に与えた意味は小さくありません。海洋は大気中の二酸化炭素を吸収する巨大な「炭素の貯蔵庫」ですが、その内側で何が起きているかを正確に理解することは、地球全体の炭素バランスを見通す上で不可欠です。微生物ループの発見は、海洋科学の地図をそれ以前とはまったく違うものに塗り替えました。
生命の目に見えない働きが地球を動かしている——という驚きは、過去記事で取り上げたアスガルド古細菌の話とも共鳴します。北欧神話の神々の名を持つ微生物が、私たちの細胞の起源に深く関わっていたというあの発見です。
二つの受賞が語る、科学の「時間軸」

宮坂氏とアザム氏の業績を並べると、科学の時間軸について考えさせられます。
宮坂氏の最初の論文は2009年。実用化が期待されるまでに約15年以上かかりました。アザム氏の微生物ループは1983年の提唱。受賞まで40年以上が経っています。
どちらも「すぐに役に立つ」「すぐに評価される」研究ではありませんでした。でも、粘り強く続けた先に、世界が追いついてきた。そういう話です。
AIや量子コンピューティングのような「短期間でブレイクスルーが起きる」分野が注目を集めがちな今、京都賞が照らし出す光景はやや異なります。太陽電池の研究を数十年育てた化学者と、海底の目に見えない生き物の役割を40年かけて証明した微生物学者。その仕事の重さは、時間の重さと同義です。
ペロブスカイト太陽電池は今、壁や窓ガラスに貼れる発電シートとして実証実験が進んでいます。微生物ループは、気候変動モデルに組み込まれ、海洋の炭素吸収をより精密に予測するための基盤になっています。どちらも「最初の問い」が正しかったからこそ、今がある。

授賞式は2026年11月10日、国立京都国際会館で開催されます。
参考記事
〇第41回(2026)京都賞の受賞者が決まりました!(2026年6月19日)
〇宮坂 力 ── 業績詳細(京都賞)(2026年)
〇26年京都賞、ペロブスカイト太陽電池提唱の宮坂力氏ら(日本経済新聞・2026年6月19日)
〇あなたの細胞の中に宿る、北欧神話の「神」たちの物語──複雑な生命の起源、35億年来の謎がついに解けた(2026年2月23日)
