合唱曲 『にじ』を語りたい。(くう ありこさんの記事追記)
唐突だが、合唱曲『にじ』を語りたい。
みなさんはこの曲をご存知だろうか?
私は恥ずかしながら知らなかった。きっかけはムスメが幼稚園から帰ってきて鼻歌を唄っていたことだった。
私が「何の曲?」と訊ねると、「にじだよ」とムスメが教えてくれた。
Youtubeで調べるとすぐに出てきた。そして、その日から私は朝も昼もなくこの曲を聴いている。簡単に言うとドはまりしたということだ。あまりにもハマってしまったので、今日は私なりにこの曲の魅力を語りたいと思う。
まず、『にじ』は作詞家の新沢としひこ氏と作曲家であり絵本作家の中川ひろたか氏によって手掛けられた合唱曲だ。
発表はもう30年以上前。調べると色々な児童合唱団や幼稚園、保育園でも愛されて、近年ではCMソングとして使われたこともあるらしい。

こちらの『にじ』制作秘話にもあるのだが、音符の配置が放物線のようになっているのも美しい。実際に聴くと、アップテンポなポップスで繰り返し聴いているうちに、自分自身の体がふわっと虹の世界に連れていかれるような、そんな明るい気持ちになる。
とはいえ、私は音楽理論のことはぶっちゃけ全く分からないので、ここでは、この歌詞の魅力についてを書きたいと思う。
まず、改めて歌詞を見てみると、その全てが〝ほんの小さな具体物〟からスタートしている。一番の「にわのシャベル」、二番の「せんたくもの」、三番の「あのこのえんそく」。しかも、ただの具体物ではなく、小さな子どもがイメージをしやすい=誰もが持っている普遍性のある心の原風景ということだ。
私たち大人にとって一日は人生のうちのほんのわずかな一瞬だ。しかし、子どもにとってみるとそれは違う。
うちのムスメを見ていても、今日この瞬間を生きている。未来があると思っているのは大人だけで、彼らは常に現在を精一杯生きている。
そんな彼らにとって「にわのシャベルがいちにちぬれる」ことは人生を揺るがしかねない大事件なのだ。私自身も作詞をするが、この子ども目線の切実な想いをここまで表現することは本当に難しいと思う。
もしこの歌詞を書こうとする際に、大人の目線、視野、もっと言うと「うまく書こうとする色気」がわずかにでも入ると、この曲は一瞬で濁ってしまう。私はこの出だしの部分で思いっきり心を持っていかれた。
そして、続く歌詞は自分ではどうしようもない摂理に対する「受容」を表している。
雨は勝手に上がるし、風は吹くし、流した涙は乾いてしまう。だが、それは決して〝こころ〟が納得したものばかりではないだろう。
でも、人生には「どうしようもないこと」を受け入れて進まなければならないことがたくさんある。
そしてここから曲は佳境に入り、全てがひとつに束ねられていく。
「くしゃみをひとつ」
私はこの曲の真骨頂はここにあると感じている。不運が重なり、心が先に反応し、次に体が反応する。曲の中にある山と谷で言えば、ここは明確な谷底だ。だが、決して大げさに騒がない。その慎ましさにこの曲の美しさが詰まっている。
そして、どんなに深い絶望を味わったとしても、必ず雲は流れ、光は差し、見上げた空には虹が架かるのだ。しかもただ架かるのではない。「そらにむかって」伸びていく。
まるで自分の足元から虹が空に向かっていくように。虹の橋のふもと、子どもでも知っている決して届かない夢の場所。私は、この曲はまさにそこを歌っているのだと思う。
この曲には間奏が無く一番から三番までが通しになっている。一番が終わり、二番、三番と進むにつれて、悪い出来事と良い出来事が交互にやってくる。だが、最後はちゃんと「にじ」が出て、あしたはいい天気で終わり、現実の足場へと帰ってくる。
合唱曲『にじ』は小さな子どもが出会っていく様々な出来事を決して大げさに騒がずに、そっと支えてあげる、まるでブランケットのような歌なのだ。
私はこんなに優しい歌を知らなかった。説教でもない、押し付けでもない。全てを包み込むような大きな愛の眼差しがあるからこそ、この曲は誕生以来、何十年も歌われ続けているのだと思う。
ぜひ、みなさんも好きな歌があれば教えてください。
追記:
私の記事を受けて、くう ありこさんが記事を書いてくれました。
『にじ』の制作者お二人に直接お会いされたエピソードや、保育士をされていた時代の想い。素晴らしい記事なのでぜひご覧ください。
くう ありこさんの記事を読んで私は『にじ』をもっと好きになりました。
note最高!!
そしてこちらの『みちくさ』もぜひお聴きください。
(くう ありこさんに教えていただきました)
