八岐大蛇のモデルは法華経の(中国古来の竜伝承と習合した)八大竜王(ナーガラージャ)か
八岐大蛇は私にはどうしてもインドの蛇神のナーガがモデルとしか思えないんですが(ただし東南アジアのナーガは頭が7つとされる)(中国の蛇神は人頭蛇身で例えば日本では宇賀神)、法華経の(中国古来の竜伝承と習合した)八大竜王(ナーガラージャ)からの想像で頭が八つではないかと考えています。
私は出雲神話は仁徳朝に多氏が西出雲視点で纏めたと考えているのですが(東出雲視点の出雲国風土記には八岐大蛇は登場しない)、この頃東晋の僧の法顕がインドに渡って413年に帰国しています。また401年に後秦に迎えられた鳩摩羅什には法華経を訳した業績があります。
八岐大蛇(蛟/虬ベースで受容された?)は悪神ですが、当時仏教は北朝で特に盛んだったと言い、記紀神話の編纂者にはナーガラージャが悪神に思えたのでしょう。また八岐大蛇を斬って出現する草薙剣は漢の高祖の(皇帝のレガリアたる)斬蛇剣のオマージュだと思います。
追記)倭の五王の遣使が始まる直前とも言える406年に、漢訳で中国仏教に圧倒的な影響を与えたことで知られる鳩摩羅什(鳩摩羅什訳が旧訳と言われ、玄奘訳が新訳とも言われたようです)が、法華経を妙法蓮華経と訳したようです。鳩摩羅什は亀茲国の生まれで、カシミールに遊学、亀茲国→前秦→後涼→後秦で生活し、後秦の首都の常安(長安)で翻訳作業に従事。
斬蛇剣は(楚の領域に生まれた言わば南朝系の)漢の高祖のレガリアですが、何故蛇かに関して言えば、始皇帝を蛇に擬えていた可能性があると思います。皇帝とは龍と密接に結びついており、始皇帝に(龍母を迎えることが出来なかった)「龍母伝説」が知られます(本来は始皇帝は龍ともっと密接に結びついており、後の時代に矮小化されて歴史に残った可能性があります)。黄河系の龍のモデルは蛇(長江系は鰐)とされるようで、南朝視点で北朝の悪神(蛇)を斬って、即位するという寓話のようにも見えます(倭の五王の時代)。
後の時代には、出雲大社の別当寺が(推古天皇2年創建ともいう)鰐淵寺で、素戔嗚尊の八岐大蛇退治と密接に結びついた話のようにも見えます。隋は北朝系ですが、煬帝の皇后の蕭皇后は後梁皇后の娘で煬帝は江南を重視していたようです。基本的には倭の五王の時代の八岐大蛇伝説の継承でしょうが、鰐淵寺はそれまでの佐比持神ではなく、八岐大蛇に対する鰐を意識した可能性もあります。勿論隋の統一が前提で、寧ろ(馬子ないし聖徳太子が)北朝に共感して、天王号(天皇号)を称したのであって(結果対等目線で隋の煬帝を怒らせる)、当初あった南北朝対立への深入りは消えた可能性が高いとは思いますが。
法華経は聖徳太子が注釈書の法華義疏を著したと言われ、後に天台宗の根本経典になっていきます。比叡山/日吉大社は三輪と密接に結びついており、欽明朝の仏教公伝は法華経と関係が深い可能性もなくもないですが、いずれにせよ、中国天台宗は隋代に開かれ、隋は仏教尊重でした。隋の台頭と仏教受容は関連しているようにも見えます。
2025年11月21日追記)八岐大蛇のモデルは八大竜王なんだろうけど、素戔嗚尊が(私が主張するように)大和の神なら、八岐大蛇は「出雲の神」が悪神とされたものになるかもしれませんね。八大竜王の元ネタは法華経のようで、私が考える記紀神話編纂時期にもピタリ合っているような。そう考えると斐伊川は好字二字令で元は肥河(記)ですが、本来的に緋河の可能性があるのかも(甲乙の区別がちょっと良く分かりませんが)。今でも斐伊川支流に赤川があるようです。緋色は高位の僧のイメージもあって、出雲大社の別当寺の鰐淵寺の起源は伝承(推古朝)より古くてもおかしくはありません。佐比持神(鰐)が(西谷墳墓群の築造勢力か)山持遺跡の可能性もあるので(大国主神の出雲王国の墳墓群|古墳時代史解題)。肥川や火河とかけている可能性も?
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