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大国主神の出雲王国の墳墓群

2024年2月18日ポスト)西谷墳墓群(見出し画像はウィキペディア「西谷墳墓群」西谷2号墓 墳丘(Saigen Jiro))。国史跡。山陰地方で発達し、北陸にも広がる四隅突出型墳丘墓の代表的な古墳群が西出雲の西谷墳墓群です。弥生時代後期。写真は最初の築造とされる3号墓(東西40×南北30m)、最大は9号墓の42mX35m。弥生時代の出雲からは多数の青銅器や楽浪系土器が出土しています。西谷墳墓群は弥生系墳丘墓で目立つ大きさで、弥生時代の出雲が大国主命(出雲国風土記に云う所造天下大神)の国として繁栄した証拠だと言っていいと思います(どうも弥生時代と古墳時代の境目あたりが記紀神話の母体となった時代です)。神話が息づく国、出雲。

2024年12月6日ポスト改訂版)西谷墳墓群(新泉社 渡辺貞幸)によれば、西谷墳墓群を築いた勢力の王都は(青木遺跡(島根県出雲市東林木町)・山持遺跡(島根県出雲市里方末・西林木町)含む)「とびすムラ」だったようです。ムラから王墓が見え、朝鮮半島系の土器が多量に出土しているからですが、出雲国風土記では伊努郷・美談(みたみ)郷に当たり、新撰姓氏録に見える和泉国神別の民直(みたみのあたい)(土師氏流:天穂日命十七世孫若桑足尼之後也)(中臣氏流もあり、武御雷神に関係する可能性があります)(渡来系の民首氏・民使首氏を統括していたか)が当地の氏族の候補かと思います。山持遺跡は楽浪土器の出土もあって、古墳時代前期に山陰勢力は波多湾岸の西新町遺跡(山陰系土器が出土)を経由して、朝鮮半島と交易していたようです。和泉国大鳥郡の式内・美多弥神社は大阪府堺市南区鴨谷台にあって、石津川を通じて石津は百舌鳥古墳群の発祥の地であり、神功皇后の港がこの一帯にあった可能性は考えて良さそうです。因幡の野見宿禰はどうも西出雲の民直氏を傘下に収めた土師氏(出雲臣)の出ではないかと思います。卑弥呼の箸墓(土師墓か)を築いたのも、恐らくこの西出雲の土師氏なんじゃないかと。土師氏には少なくとも飯入根命=出雲国造流(西出雲の塩冶がルーツ?)と野見宿禰流(因幡系?)の二流あったようです。どうも(丹波も含む?)山陰系の整形の墳墓を築く技術を持った集団が母体みたいなんですよね。

ただ、出雲の伝承に関しては、それぞれ違う伝承(古事記(出雲建部氏系の伝承か)・出雲国風土記(出雲国造系の伝承か)と日本書紀(矢田部造氏(物部氏)系の伝承か))があったようです。出雲振根(神門臣古彌?)に関わる違う伝承は、伝承した主体の違いを示すのでしょうが、記紀の出雲の騙し討ちのエピソードが両方正解というのは考え難く、恐らく日本書紀の伝承が正しく、建部が有名なエピソードを模倣したのでしょう。多氏が日本武尊と関係が深く、どうも建部の方を採用したらしい。いずれにせよ、日本書紀の止屋(やむや/えんや)の出雲臣(神門臣)が最初の土師氏っぽいのは西谷墳墓群を築造する労働力になった勢力っぽい位置にあるからで、日本書紀の記述と新撰姓氏録系譜は整合します(被葬者は「とびす/民直氏?」の方か?)。

そして出雲振根が倒されたことをきっかけにか、((野城大神を奉斎する?)荒島墳墓群勢力を統括した※2025年10月3日注)東出雲に本家が移り、神功朝の成立(古墳時代中期)でか(史料の初出の)仁徳朝の成立でか或いは成務朝の国分けでか出雲臣が台頭してくると。

西谷墳墓群(新泉社)渡辺貞幸 図38 出雲平野のおもな「ムラ」

青木は古代史のキーワードで、伊弉諾尊の筑紫日向小戸橘之原(あわぎはら→青木)に関係し、日向国の宮崎県域に江田神社(宮崎市阿波岐原町)があって、出雲市にも江田町(江戸時代の江田村含む)があります。また後日ポストしますが、どうも本来の伊弉諾尊を祀る多賀神社の社家が「江田氏」(江首氏/茨田連/手嶋連(豊島)/尾張部氏/甲良氏・江包もか/江戸・神門も可能性あり)(多氏と同祖)のようなんです。青木遺跡からも遠くありません。出雲国風土記に編纂時の出雲郡の少領は大臣(おほのおみ)でした。

2022年10月31日ポスト)出雲市大津町の西谷墳墓群は神門郡塩冶郷。崇神天皇紀で出雲振根が弟の飯入根を殺した止屋淵があったようです。出雲国風土記出雲郡健部郷の条に神門臣古祢。出雲臣は出雲国風土記等から出雲東部の意宇郡から出たと思われますが、崇神朝には出雲支配のためか本拠を出雲郡/神門郡に置いていたようです。

2025年7月20日)(出雲国出雲郡伊努郷、美談郷の)山持遺跡は北部九州系、吉備系、塩町式系(広島県三次盆地)、近江系に楽浪系土器(!)も出土していて、大出雲の首都に相応しい遺跡で、西谷墳墓群の被葬者勢力にも比定できます(築造したのが塩冶の神門氏→後の出雲国造・土師氏か)。この山持の意味ですが、佐比持の可能性が高いと思われ、佐比とは剣を意味します。そう、荒神谷遺跡の銅剣358口を想起しますよね。また、佐比持神とは鰐を意味し、出雲大社の別当寺が鰐淵寺で、出雲国造の一族に津嶋縣直があり、対馬の北端の港が鰐浦で、対馬には7世紀前半の畿内系の方墳とされますが、サイノヤマ古墳という古墳もあります。対馬や壱岐に中臣氏が利権があったのは、武御雷神(太陽信仰の卑弥呼(モモソ姫)に仕えた中臣氏?河内の武力?)の功績で民直氏のコネクションを土師氏/出雲臣と共に引き継いだからの可能性があり、枚岡神社が出雲井にあるのもその反映かもしれません(2025年10月3日追記)

また、美談郷は山持遺跡でも外れの方だと思いますが、さすがに主流派がそのまま存続を許されたということは無かったのでしょう。ただ外交に関する技術を買われて(古墳時代前期に北部九州の外交貿易窓口の西新町遺跡から山陰系土器の出土が少なくありません)、非主流派として、美談郷の民直氏が大和朝廷に仕えることになった可能性は十分です。

統括していたのは新撰姓氏録に土師氏=民直氏ですから、西出雲の神門氏(土師氏)だと考えるのが素直です(和泉の民直氏は仁徳朝(神功朝)に再編し直したのでしょう)。

また、民直氏には中臣氏流もあります。西出雲に卑弥呼の時代に進出したとは思い難いのですが、仁徳朝の中臣氏の活躍から、民直氏のコネクションで、出雲神話に(中臣氏が祀る)武御雷神や経津主神が潜り込んだと考えることも出来ます。

なお、仁徳朝に中臣氏の一派が民直氏になったとして、(ミタミ神社の下流の)石津川河口が神功皇后の(朝鮮半島と繋がる)外港だったことは勿論否定されませんし(中臣氏は神功皇后を擁立しています)、石津の氏族は壬生氏(和珥氏)でしょうし、石津にまず仁徳天皇は陵墓を築いたとされますが、そもそも中臣氏と西出雲のコネは垂仁朝に遡る可能性もなくもありませんでも確認できます(誉津別命の出雲参拝)(詳細略)。

2024年11月27日ポスト)出雲の王墓群だと思われる西谷古墳群から、吉備の特殊器台・特殊壺が出土しています。また中国山地(庄原市)の佐田谷・佐田峠墳墓群の方形台状墓(山陰系)において、吉備系土器が使用され、墓穴上に土器が供献されるようです。(出雲振根を倒した崇神朝に?)出雲系の土師氏が吉備の土器を使う慣習を畿内に持ち込んだ可能性が高い(狭穂彦王を倒して(丹波道主命の娘の)日葉酢媛命を皇后とした以降に因幡系の野見宿禰が丹波系集団を統括して、箸墓・西殿塚古墳を築いた特殊器台を使う西出雲系の土師氏の慣習を絶って、形象埴輪や埴輪棺を伴う新しい墳墓祭祀を始めたと解釈できます)。※太字は2025年10月3日追記

2025年8月5日ポスト)古事記の出雲神話の骨格分析:基本的なことですけど、古事記で大国主神が活躍するのは、それだけ凄い大国主神に国を譲られた我々もっと凄いという(歴史的事実を踏まえた)アングルですよね。大国主神は四隅突出型墳丘墓(西谷墳墓群)勢力の王がモデルでしょうが、(天照大神の弟の)素戔嗚尊の子孫で女婿とする念の入れよう。大国主神(大物主神)の子孫を称するのは三輪氏・宗像氏で(素戔嗚尊が生んだのが五柱の男神で天照大神が引き取り天下を統治し、天照大神が生んだ(海の神の)宗像三女神を(海を統治する)素戔嗚尊が引き取って勝利)、(天照大神の使者の位置づけの)(東)出雲の在地勢力(出雲国造)の先祖は天穂日命。

だから出雲国風土記は特には素戔嗚尊と大国主神を活躍させない(八束水臣津野命が出雲の国を(出雲国造がいる意宇郡を中央として)(天下を造ったのは「大国主神」だけど)造った(地主神が多くいる)神の国として、祭祀を司る自分達出雲国造を暗に上げる)。

後世のイメージは色々あるでしょうが、素直に読めばこうなるはずです。だからまだるっこしいですが、古事記は別段出雲を称えるために出雲神話を多く載せている訳ではないんです。

2025年10月3日追記)出雲国風土記で国作りした八束水臣津野命が本来の出雲在来勢力の神の可能性も考えられなくもありませんが、やはり意宇郡の神と考えた方が良さそうではあります。伊努郷に御子神が祀られているのは、(塩冶をルーツとする)東出雲勢力が西出雲勢力の元首都を押さえにいったのでしょう。

出雲王国の正体は(各地の墳墓の大きさから)四隅突出型墳丘墓の祭祀を核として結合した連合王国だった可能性が高いと思います(北部九州の甕棺墓体制の模倣か)。それだけに(古墳の大きさから)大和を頂点として一体的な団結力を誇る大和を前に屈服せざるを得なかったのではないでしょうか?

2025年12月3日追記)銅器を大量保有していた出雲の繁栄の源泉は花仙山のめのうの可能性を今は考えています。まぁ越国との婚姻で翡翠の入手の可能性も考えるべきかとは思いますが。地元で交易品が産出されるのが強いと思うので。

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