社会派サイエンスフィクション史/第4回:空想社会前史期
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■ 概要
「空想社会前史期」は、SFがまだ独立したジャンル名を得る前に、別世界・理想都市・地下国・未来都市を用いて現実社会を批判する形式が整えられた時期である。
蒸気機関や電気技術が物語を駆動する前に、社会制度を「自然に与えられたもの」ではなく、「設計されうるもの」として見る視線が生まれた。
王権、宗教、私有財産、教育、労働、家族、学知の配置は、別社会に置き換えられることで初めて相対化される。
この時期の想像力は、近代科学の組織化、地理的探検、宗教改革以後の政治的緊張、印刷文化の拡大と結びついている。
異郷訪問や未来旅行は、奇譚の形を借りながら、読者の住む社会を外から眺める装置となった。
のちのサイエンスフィクションが技術と社会の相互変化を扱うためには、まず「別の社会条件を置けば、別の人間像が現れる」という認識が必要だった。本期は、その基礎を作った段階である。
理想社会を支える思想的背景には、近世から啓蒙期にかけての政治哲学と自然哲学がある。フランシス・ベーコンの「知は力」という命題は、学知を統治と結びつける本期の基調をよく示している。
トマス・ホッブズの主権論は秩序のために自由を集中させる論理を、ジョン・ロックの自然権と寛容論は統治の限界を、ジャン=ジャック・ルソーの一般意志は共同体の自己立法とその危うさを、それぞれ別方向から照らしている。
■ 1. 技術 ― 知識組織化の前史
本期の技術は、機械的発明というより、知識を集め、分類し、運用する制度として現れる。
『ニュー・アトランティス』の研究機関は、自然を観察し、実験し、その成果を統治へ接続する場であり、後の科学アカデミーや国家研究機関を先取りする。
ただしそこでは、知識の公開性よりも選別と秘匿が強い。科学は人類を解放する力であると同時に、誰が知識を管理するのかという問題を抱え込んでいる。
『ガリヴァー旅行記』ラピュータ篇の風刺は、その反対側から同じ問題を突く。抽象的な計算や実験が生活感覚を失うと、知は現実をよくするどころか、生活を破壊する滑稽な権威になる。
ベーコンの経験的方法が自然支配への期待を高めた一方で、ジョナサン・スウィフトは、知が自己批判を失ったときの空虚さを笑いへ変えた。
ここで早くも主題化されているのは、科学技術そのものより、知識がどのような制度に置かれるかである。
ルネ・デカルトの明晰判明性やベーコンの経験的方法は、自然を秩序立てて知る希望を与えた。しかし、スウィフトが風刺したのは、その方法が生活世界から切り離されたときの空虚さである。
知識は解放の力であると同時に、専門家だけが世界を理解しているという権威を生みやすい。
本期の技術観は、近代哲学が掲げた理性の自信と、その理性が組織化されたときの硬直を同時に抱えている。
■ 2. 自由 ― 別社会による現実批判
本期の自由は、近代的な個人の自己決定としてより、現実社会から距離を取る比較の自由として現れる。
異郷や理想国を訪れる語り手は、自分の社会の慣習が唯一の秩序ではないことを知る。私有財産を制限する共同体、宗教的統制を強める都市、教育を国家的に組織する方式、性別役割を変える世界はいずれも、現実の社会制度を相対化する。
しかし、この自由はしばしば別の不自由と隣り合わせである。理想国は住民の生活を安定させる一方で、逸脱や異議申し立てを許さない。旅人は外部者として観察できるが、内部の住民は設計された秩序から自由に離脱できない。
社会をよくする設計は、ホッブズが重視した安全を優先するほど、ロックの抵抗権や寛容の議論が開く余地を狭める。理想は、批判可能性を失うと、共同善の名で閉じた秩序へ転じる。
この自由の二重性は、ロックとルソーの緊張に近い。ロックは生命・自由・財産を守るために統治の限界を問うが、ルソーは私的利益を超えた共同的自由を構想する。
理想社会はしばしばルソーの一般意志に近い統一意志へ向かうが、その統一が強すぎれば、ロックの権利論が想定する余地を失う。
旅人の自由は比較と判断の自由であり、住民の自由は共同体の善に吸収される危険を持つ。
■ 3. 正義 ― 配分原理の相対化
本期の正義は、財産・労働・教育・宗教・家族をどのように配置すれば共同体が安定するかという問いとして現れる。
『ユートピア』では私有財産への批判が中心となり、共同所有や労働配分が社会的悪を減らす方法として構想される。
『太陽の都』では知識、宗教、軍事、教育が緊密に結びつき、正義は個人の権利というより共同体全体の調和として語られる。
ただし、ここでの正義は単純な理想像に収まらない。貧困や怠惰を防ぐ制度は、個人の生活選択を狭める。知識や徳を平等に配分する試みは、教育内容を国家が決める危険を伴う。
ロックが統治の正当性を権利の保護と同意に結びつけ、ルソーが共同体の自己立法を語ったことを踏まえると、本期の理想社会はしばしば弱点を露呈する。配分が整っていても、当事者がその秩序を自分たちのものとして承認できるとは限らない。
シャルル・ド・モンテスキューが法を気候・風俗・政体との関係で考えたように、本期の架空社会は、正義を抽象原理と生活条件の組み合わせとして扱う。
だが、ホッブズが重視した安全、ロックが重視した所有、ルソーの共同意思は容易には調和しない。貧困をなくすための共同所有は自由を狭め、秩序を守る主権は異議申し立てを弱める。
本期は、この未解決の緊張を社会制度設計の物語として可視化した。
■ 4. 支配 ― 理想設計と管理の二面性
本期の支配は、暴力的な専制に限らず、よく設計された生活秩序として現れる。理想社会は、食事、労働、学習、結婚、信仰、移動を細かく整えることで安定を得る。
支配は露骨な抑圧ではなく、合理的な運用の顔をしている。住民の幸福が枠組みの目的として掲げられるため、その統制は批判されにくくなる。
この構造は、後のディストピアの遠い前史である。監視装置や大量宣伝が存在しなくても、全体を見渡す設計者が人々の生活を最適化しようとするだけで、自由は縮む。
支配は君主や法律に加えて、建築、儀礼、教育、記録、航海、翻訳、書物によって安定する。
ベーコンの研究所も、トンマーゾ・カンパネッラの神政都市も、理念を生活へ及ぼすために物質的・構造的な配置を必要とする。
この管理の二面性は、ホッブズの秩序論と深く関わる。内乱や宗教対立を避けるために強い主権を置けば、人々は安全を得る。
しかし、安全が最上位の価値になると、異論や多様な生活は秩序への脅威として扱われる。
カンパネッラの神政的共同体やベーコンの知識国家は、善い秩序を構想するほど、誰が秩序を解釈するのかという支配の問いを避けられない。
■ 5. 人間観 ― 異郷と境界の思考
本期の人間観は、他者との比較を通じて作られる。地下国の住民、異世界の女王、空中都市の学者、未来都市の市民は、人間がどの枠組みに置かれるかによって異なる存在になることを示す。
人間性は固定された本質というより、教育、宗教、財産の扱い、知識管理、労働慣行によって形成される。
異郷の住民は、しばしば風刺の鏡でもある。彼らは理想化されるだけでなく、現実社会の欠点を極端な形で映し返す。
合理性だけを発達させた社会、徳を組織化しすぎた社会、知識を秘匿する社会は、人間を向上させるよりも偏らせる。
この時点で、人間は「どんな社会にも同じまま存在する個体」ではなく、社会構造と想像力によって変形される存在として捉えられている。
ミシェル・ド・モンテーニュの懐疑は、この人間観に近い。異文化を「野蛮」と呼ぶ視線そのものを疑うことで、人間の普遍性は自明でなくなる。
マーガレット・キャヴェンディッシュの異世界像も、男性中心の自然哲学や王権的想像力をずらし、人間を性別や政治的位置から切り離せない存在として示す。
本期の人間観は、普遍的人間を語りながら、その普遍性がどの視点から作られるのかという問いも残した。
■ 6. 理想社会 vs 管理社会
本期の中心的緊張は、理想社会と管理社会の区別が簡単ではない点にある。貧困や争いを減らす制度、学知を組織する機関、徳を教育する方式は、いずれも善意の構想として始まる。
しかし、その善意が社会全体を一つの設計図へ従わせるとき、理想は管理へ近づく。理想社会は、現実批判のための想像でありながら、批判を受けつけない秩序の誘惑も抱える。
この問題は、近世から啓蒙期の社会思想の中心にもある。ホッブズは秩序のために主権を強く置き、ロックは統治が権利を侵すときの抵抗可能性を残し、ルソーは共同体の自己立法を構想した。
本期の理想国は、しばしば完成図として提示されるため、ルソーの一般意志が持つ魅力と危険を同時に帯びる。逆にスウィフトの風刺は、理想を確定するよりも、現実と理想の双方を疑う批判の形式を強める。
これらの社会は理念だけで動いていない。島、都市、研究所、船、地図、書物、実験器具、宗教儀礼、財産台帳が秩序を作る。
ベーコンの知識国家も、ホッブズの主権国家も、抽象的な原理だけでは成立せず、記録、組織、建築、儀礼によって日々支えられる。
架空社会の細部は、理念が生活を組織するために必要とする媒介の多さを露出させる。
イマヌエル・カントが「啓蒙」を自分の理性を公的に用いる勇気として捉えたことを踏まえると、秩序がよく設計されていても、住民が公共的に批判できなければ、啓蒙の社会とは言えない。
よく統治された社会と、理性を公的に用いる社会は必ずしも一致しない。
■ 締め
空想社会前史期の意義は、SF以前の形式の中に、SF的思考の核を準備した点にある。別社会を仮定することで、現実の社会制度は自然でも必然でもないと示される。
社会は変えられるが、変え方によっては自由を狭める。この二重性が、本期の大きな遺産である。
後のSFは、産業技術、都市、核兵器、情報ネットワーク、AIを扱うようになる。しかし、それらが発明譚だけで終わらないのは、本期以来の社会批判の形式があるからである。
社会派サイエンスフィクション史はここから、技術の歴史である以前に、別の社会条件のもとで人間と正義を問い直す想像力の歴史として始まる。
ベーコン、ホッブズ、ロック、ルソー、カントが示した知、主権、権利、一般意志、啓蒙の問題は、本期の架空社会の内部で互いに緊張する。
知は力になるが、誰が用いるのか。秩序は安全を与えるが、誰が異議を述べられるのか。この問いの束が、後のSF的社会批評へ受け継がれる。
次回:産業科学ロマンス期
