#65【廊下に消えた赤子と、取り残された私】息子の話④
分娩台の横にあったのは
待ちに待った息子ではなく
黒赤く、ぬらりと光る
大きな胎盤だった
プチッ
プチッ
プチッ
会陰切開した傷口を
針で縫う音だけが響いていた
麻酔をしていないはずなのに
なぜか痛みは、全く感じなかった
「息子は… 大丈夫でしょうか」
かすれる声で助産師さんに尋ねた
「大丈夫よ
長い間お腹の中にいたから
羊水が喉にたくさん詰まっているだけ
今、きれいに取り除いているからね
心配しなくていいわ」
看護師さんのやわらかな笑顔に
緊張の糸がほどけていくのがわかった
数分だったはずなのに
分娩台の上では
気が遠くなるほど長い時間に感じられた
数分後…
看護師さんは息子をタオルで大切に包み
優しく微笑んで、私に渡してくれた
真っ赤なくしゃくしゃの顔で
力いっぱい泣く息子が
私の腕の中にいた

『ああ、なんて愛おしいんだろう』
『生まれてきてくれて 本当にありがとう』
⸻その瞬間
私のモノクロだった視界に
いきなり鮮やかなお花畑が広がった
「人生、薔薇色」
そんな使い古された言葉があるけど
あれは比喩なんかじゃない
無機質な分娩室も
窓の外の景色も
見えるすべてに
薔薇の額縁がついているように見えた
私の目に映る世界はあまりにも美しかった
ああ、これが
“幸せ”というものなんだと
人生最大とも言える、幸せの絶頂の日だった

この子には
私と同じ思いなんて絶対にさせない!
集中治療に入った小さな命を前に
何があってもこの子だけは守る
そう、強く心に決めた
20歳の暑い暑い夏の日

次回
ちょっと休憩【子宮がん検診に付いてくるオプション】オバハンの独り言―28
【はじめてのnote】
【家族紹介】
【オバハンの独り言】
【二億円】を使った母の話
いいなと思ったら応援しよう!
頂いたチップは、また誰かのnoteに"応援チップ"として使わせていただきます😊