#5【隙のない祖母が初めて見せた『綻び』】幼い日の記憶④
子供の頃、祖母の話を聞きながら思っていた
「時代が違うから、私には分からない」と
祖母の言葉はどこか遠くて、古くて、他人事だった
祖母の話
私は祖母を愛していたのか
それとも憎んでいたのか
この年になってもまだはっきりとはわからない
祖母は大正元年に生まれた戦争で両親も夫も失い
たった一人で私の母を育て上げ
義理の両親の面倒も見ていた
"苦労人"なんて言葉では足りないくらいの人生を
静かに背負っていた
私は祖母の笑顔をあまり見た事がない
けれど祖母はただ強いだけの人ではなかった
とにかく頭が良かった
大正生まれなのに英語を話す
今でこそ珍しくないけれど
当時のそれはちょっとした“異世界”だった
何かを調べたければ本屋に行くしかなかった時代
スマホもなければ検索エンジンもない
でも我が家は少しだけ違っていた
数学も、国語も、歴史もなぜか全部わかっている
まるで家の中に“生きた検索エンジン”
がいるみたいだった
今風に言うなら
我が家には生きたChatGPTがいた
私はきっとあの人の知識に助けられながら
同時に育ての母でもある
あの人の時代が違う価値観や言葉に傷ついていた
尊敬と
怖さと
甘えられない寂しさ
全部が混ざって
だから今でも「好きだった」とも
「嫌いだった」とも言い切れないのかもしれない
礼儀作法に、お勉強
それから私の容姿まで
とにかく祖母は私に厳しかった
思い通りにならないと、とても怖い顔をして
大きく深いため息をつく
そのため息ひとつで部屋の空気が重くなる
ああ、またか
そう思いながら私は小さくなる
毎日の塾通いに加えて
祖母はさらに、お花やお茶のお稽古にも連れて行った

今思えばなかなかの英才教育…
けれど当時の私は正直まったく興味がなかった
花よりテレビ
お茶よりゴム跳び
あれから何十年も経ったけと
やっはり正直に言うと今でもあまり興味はない
祖母の監視のもとで私は育てられた
見られているというより
常に試されているような感覚で
そのおかげで掃除、洗濯、料理家事全般には
ちょっとした自信がある
これは素直に感謝している
ありがとう
できればもう少し
優しさもセットで教えてほしかったけど…
祖母は90歳で亡くなるまで気丈な人だった
すべての家事を一人でこなし弱音を吐かず
泣いた姿なんて一度も見たことがなかった
本当に隙のない人だった
そんな“最強の祖母”にも
たった一つだけ弱みがあった
それは私の母の存在

亡くなる数ヶ月前祖母はぽつりとこう言った
「私の育て方が、悪かった」
そして初めて祖母が泣いた
あの人が泣くなんて想像もしていなかった
強くて厳しくて絶対に崩れない人だと思っていた
その人がまるで子どものように涙を流していた
その光景が今でも胸の奥に残っている

あの日
怖かったあの人が
少しだけただの“人”に見えた

次回
#6 【祖母の『監視』という名の愛し方―表向きの家族】幼い日の記憶⑤
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