#6【祖母の『監視』という名の愛し方―表向きの家族】幼い日の記憶⑤
私は戦争を経験していない
祖母は私を愛していたのか?
正直よくわからない
笑いのない家だけど、生活はとても整っていた
むしろ整いすぎていた
私が中学生だった頃はちょうどバブル期
世の中もどこか浮かれていて
祖母が建てた家は2階建ての8LDK
祖母は役所で働き購入した家
子ども心に「こんなに部屋いる?」と私は思っていた
その家の中はいつもきちんとしていた
家事をしない母の代わりに
祖母は毎日、旬の食材を使い
まるで料亭のような食事を作ってくれた

制服も洋服も少しのほころびもない
一日の汚れはその日のうちに落とされ
明日学校に着て行くブラウスには
きちんとアイロンがかかっている
祖母は秀才であり、その上裁縫もクリーニングも
まるで職人さんのように上手かった
今思えばかなりハイスペックな人
私は5年生になり初恋をした
明菜ちゃんやキョンキョンに憧れ
チェッカーズにも恋をした

でも音楽番組を見ていると
祖母はあからさまに不機嫌になる
言うまでもなく、恋愛なんてもってのほかだ
そして私の髪型はいつまでたっても
祖母の好みのマッシュルームカットにオンザ眉毛
祖母は天使の輪が大好きだった
もちろん私の希望じゃない
ある日少し髪が伸びた頃
私は近所の散髪屋さんに行った
「キョンキョンみたいなテクノカットにしてください」
小さな声で勇気を出して言った
初めて好きな男子ができ少しでも可愛くなりたかった
まだ見ぬ自分にワクワクしながら、仕上がりを待つ
カットは15分ほどで終わった
切る前から嫌な予感はしていた…
そして帰り道私は号泣していた

仕上がりはいつもと同じただの
マッシュルームカットに眉上3センチのオンザ眉毛
祖母が先に散髪屋さんに電話をしていたようで…
私は顔を真っ赤にして泣いた
いや、たしか仕上がる前から泣いていた
あの散髪屋のおじさんの困った顔は
今でも忘れられない
泣きながら家に帰るが皆知らん顔
当たり前でしょ的な冷たい視線
髪型も自分で決められない
友達とも自由に遊べない
好きなテレビも見られない
持ち物も行動も全てチェック
そして家には笑いがない
人の家がどんなもんなのか私には分からない
これが「普通」で当たり前なんだと思っていた
でも、いつもなぜだか胸が苦しかった
ここから早く抜け出したいと、小学生の頃から
ずっと思っていた
⸻
この4人の元で育った私は、どんな女の子に
成長したのか、これから書いていきます
気付き
祖母の“監視”のもとで厳しく育てられた私
その反発からか私は少しずつ道を外れていった
当時は家族全員を恨んでいて
長く、長くその感情は続いた
そこから抜け出すまでに人生の大半を使った気がする
かなり無駄なエネルギーを使ってしまった
そして今この歳になって
ようやく少しだけわかった事がある
祖母が生きた時代は
どれほど壮絶だったのだろうか
一人で抱えた孤独やどうにもならない悲しみ
責任を背負いすぎた人は厳しくなるのではないかと

本当の意味がわかるのは、きっと
祖母と同じ年齢になった時なのだろうか
そして、あの人なりの「愛し方」だったのだろうかと
人の心なんて結局わかるわけがない
ましてや死人に口無しだ
だから私は過去を変えるのではなく
受け取り方を少しずつ変えていくしかない
そして私の歪んだ物事の捉え方は
「家族のせいだ」と
どこかで自分に言い聞かせて成長した
大人になった私は
過去の経験で身につけた
複数の"自分の歪んだ癖"に
ようやく気づく日がくる

次回
#7 【メンタルなんて言葉は昭和にはなかった】現在の心境❶
【はじめてのnote】
【家族紹介】
【オバハンの独り言】
いいなと思ったら応援しよう!
頂いたチップは、また誰かのnoteに"応援チップ"として使わせていただきます😊