資本主義は欲望の世界、抗うことはできないのか
私たち日本人は資本主義の世界に当たり前のように浸かり、その恩恵を受けながら日常を生きています。
そのためか、その本質や構造についてはあまり意識することはありません。
現在では、世界の多くの国が日本と同様、資本主義に根差しています。
中国やベトナムといった社会主義・共産主義を標榜する国ですら、国家の成長ドライバーとして資本主義を取り入れているほどです。
では、資本主義ってそもそも何なのでしょうか?なぜこれほどまでに世界中に浸透しているのでしょうか?
そして、私たちはこれからも資本主義に飲み込まれていかなければならないのでしょうか?
ちょっと思うところを書き連ねたいと思います。
資本主義の本質とは、人間の欲望
「資本主義崩壊!」みたいな論考や書籍が(とりわけ株価が暴落した時に)話題になることがありますが、今のところはそうなっていません。
世界中で株価が最高値を更新している現状を見ると、むしろ資本主義が加速しているようにすら見えます。
なぜこれほどまでに資本主義が強靭なのか、私は長らく疑問に思っていました。
資本主義よりマシなイデオロギーが存在しない、つまり消去法的に勝ち残っているくらいとしか考えていませんでした。
しかしある時、「サピエンス全史」を読んで、「あーなるほど」と腑に落ちました。
資本主義・消費主義の価値体系は、別の面でも革命的だ。以前の倫理体系の大半は、人々にずいぶんと厳しい条件を突きつけてきた。人々は楽園を約束されたが、それは思いやりと寛容さを養い、渇望と怒りを克服し、利己心を抑え込んだ場合に限られた。ほとんどの人にとって、これはあまりに難しすぎた。
(中略)
それとは対照的に、今日ではほとんどの人が資本主義・消費主義の理想を首尾良く体現している。この新しい価値体系も楽園を約束するが、その条件は、富める者が強欲であり続け、さらにお金を儲けるために時間を使い、一般大衆が自らの渇望と感情にしたい放題にさせ、ますます多くを買うことだ。これは、信奉者が求められたことを実際にやっている、史上最初の宗教だ。
確かにそうです。
本書では、資本主義・消費主義の価値体系は一種の「宗教」だと表現されていますが、これほどまでに快楽の追求を否定しないどころか、推奨する宗教は他にありません。
私たちは、牛肉や豚肉だって食べたいし、酒も飲みたい。
日曜日には教会よりもテーマパークへ行きたいし、一日に何度も礼拝したり念仏を唱えるよりもスマホでゲームやSNSをやりたい。
ようやくわかりました。資本主義の本質は、「人間の欲望」なのだと。
より多くのモノを手に入れたい
より便利で快適な暮らしがしたい
もっと楽しみたい
資本主義は、このような欲望を肯定し、社会の発展の推進力とするシステムなのです。
そう考えると歴史上、社会主義がうまくいかなかった理由は、政府が経済活動をコントロールし、均一な分配をしたりした結果、豊かになりたいという個人の欲望が制約されてしまったから、といえるでしょう。
欲のない人間が世間の大多数を占めない限り、あるいは人々の欲の対象が根本的に覆らない限り、資本主義はこれからも社会の主流となり続けるわけです。
不自然な社会システムと生じる歪み
しかし、思うんですよ。
資本主義は不自然ではないかと。
自然界では、水は上から下に流れるように、万物は高いところから低いところへ移っていきます。
一方、資本主義は「rich getting richer, poor getting poorer」と言われるように、事業により得た富が株主や経営者へ偏って配分されてしまい、世の大多数を占める労働者にはあまり行き渡りません。
つまり、社会の資本(お金)を絶え間なく「下から上へ」と吸い上げる構造になっており、資本主義を母体としている国では、国家そのものが巨大なポンプのようなものなのです。
このように、人々を常に競争へ駆り出し、無限の成長を追い求める資本主義は、自然の摂理に逆らうために多くの歪みを生み出します。
その歪みとは、人々の(特に、社会的な負担が大きい存在である労働者の)ストレスや、拡大する格差、地球環境への負荷に伴う気候変動といわれています。
しかしながら、こうした構造に疑問を感じつつも、私たちは他に現実的な選択肢が見つからないため、資本主義にどっぷりと浸からざるを得ないのです。
資本主義との適度な距離感を保つ生き方
ありがたいことに、日本では生命を脅かされる心配はありません。
餓死することもなければ、雨風をしのげる家で寝ることもできます。
これは資本主義の大いなる成果であり、何百万年と続く人類史上の快挙でもあります。
しかし一方で、「〇〇離れ」という風潮や、「今後、消費額を増やしたいと思うものがない」が最も多いという実態から示唆されるとおり、これほどまでに発展してしまった世界では、もはや自分自身の欲求を満たすことが幸せにつながるわけではないと感じている人も多いのではないでしょうか。
世界で最も資本主義が発達したアメリカですら、社会主義に好感を持つ若者が増えているのも、こうした背景があるのかもしれません。
では、そのような資本主義に辟易してしまった人はどうするのがいいでしょうか?
ヒントの一つは資本主義による不自然を中和する一つの試みにあります。
例えば寄付。資本を「上から下へ」還流させることで幸せになれることがハーバード大学、ブリティッシュコロンビア大学などの研究で明らかになっています。
ノブレス・オブリージュ(財産や権力、社会的地位などに恵まれた者は、立場の弱い人々を助けるという道徳観)という言葉がありますが、これはごく自然的な発想です。
実際に、大富豪たちは慈善団体に巨額の寄付をしています。
そして興味深いことに、研究では、寄付による幸せへの寄与度は金額の多寡に関係ないことも示されています。
100円や1000円といった少額の投げ銭でも幸せになれるというわけです。
推し活がこれほど大流行するのも、もはやこういうことなんじゃないかと思えてきます。
もう一つのヒントは、資本主義から適度な距離を置くことです。
そう、嫌な上司に仕えてしまったと時と同じように。
例えば、著名人の書籍の中で、このような生き方を模索する動きが述べられています。
高原への軟着陸と、資本主義のハッキング
ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す / 山口周人間と自然が共存する都市集中型の未来へのオルタナティブ(風の谷)
シン・ニホン AI×データ時代における日本の再生と人材育成 / 安宅和人
これらは、資本主義による恩恵を冷静に享受しつつも、適度な距離感を保つ生き方を考えさせてくれます。(最後のはかなり振り切れていますが…)
また、労働者という立場に疑問を持ち、株を買いまくってFIREすることも、資本主義と適度な距離を置く生き方の一つといえます。
これからも資本主義は社会の本流となりながらも、一部ではこのような脱資本主義的なスタイルが模索されていくことでしょう。
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旅の途中でお世話になった現地の方に、「〇〇さんからのオゴリです」とビールをごちそうします。