ヤンキーよりも たぶん やべぇオッサン
オッサン(父)は、西成生まれだ。
他府県の人どころか、大阪府内の人だって、一歩あとずさりそうな地区の生まれだ。
カラーテレビも、家に風呂もなかった時代、銭湯に行けば、和彫りの方々が普通にそこらへんにいたそうだ。
オッサンはやしきたかじんの弟と同級生だったようだ。
一度その同級生のお家に遊びに行ったとき、一瞬帰宅した やしきたかじん に会ったらしい。
オッサンの母(ばーちゃん)は、教育ママだった。
中学のPTAの会長をしていた。
中3になったオッサンは、「友達が行くから、オレも」と、とある名門大付属の高校を受験することに決めた。
オッサンは、5人兄弟の末っ子。
高学歴な子どもが爆誕すると歓喜したばーちゃんは、翌日、すぐさま願書を取りに行った。
自分で願書を取りにいく気満々だった反抗期のオッサンは、2階から庭に勉強机を投げた。
オッサンは、遊びすぎて大学を留年した。
留年が決まったその日、オッサンの父(じーちゃん)が夕食をとる横で、晩酌していたオッサンは、「留年決まった日に優雅に晩酌か!」と、じーちゃんにしこたま怒られた。そりゃそーだ。
オッサンは、自分の親がやっている会社が、放火されてモウモウと燃えている現場の第一発見者だった。
当時の会社は、大阪環状線は寺田町にあり、沿線火災ということで、大阪環状線がストップした。
……というニュースを、和歌山県のとある田舎の女子高生が見ていた。
その女子高生、2年後、そこが夫の職場(オッサンの職場)になろうとは。
数年後、それはそれは光り輝かんばかりに可愛らしい娘(私)が生まれた。
でも、オッサンは「なんで子どもに気ぃ遣わなあかんねん」と、車の中でも煙草をふかした。
オッサンは、喧嘩っ早かった。
車がぶつかりそうになったとか、大型トラックがめちゃくちゃ邪魔なところに停車していて通れないとかで、わざわざ車から出ていき、トラブル相手と取っ組み合いの喧嘩をした。
助手席には、幼い娘(私)がぼーっと乗っていた。
どうせ私が止められるわけもなし、気が済むまでやってくれ、と。
取っ組み合いの喧嘩をするほうが、余計に時間かかる気がするんだがね。
早よ遊びにいきたい、もしくは、早よ家に帰りたい、まだかなぁ。
当時の車は、大阪府内の人でも恐れる「和泉ナンバー」だった。
オッサンは、ゴジラの映画が観たかった。
でも、オッサン1人で行くのは恥ずかしいので、娘を毎回必ず連れていった。
娘はゴジラが嫌いだった。怖かったから。
観にいったあと数日のうちに、必ず夢でゴジラに遭った。
でも、モスラを召喚するあの妖精たち。
彼女たちには憧れた。
あんな魔法使いになることが、娘の夢になった。
オッサンは、競馬もした。
今はなき、古びた南海ホークスの南海球場の場外馬券売場に、娘を何度も連れていった。
道中には、ダンボールを愛してやまない人たちが寝そべっており、馬券目当てにくる人もガラが悪いため、娘は行くのがとてもイヤだった。くさいし。
オッサンは、競馬新聞を見ながら、「何色がいい?」とよく娘に聞いた。
「ピンク!」とか「青!」とか、そのとき自分の中で流行っていた色をハッキリ答えたが、娘の意見が採用されることは少なかった。そっちが聞いたくせに。
オッサンは後年、「たまにお前が言ったとおりに買おても全然当たらんかった」と、文句をかましてきた。
オッサンは、音読に厳しかった。
普通の音量でも、少し大きめの音量でも、やり直させた。
娘は、結局泣き叫びながら、大声で音読をした。
当時住んでいたのは、西成ではないけれど、ボロっちい長屋。
隣に住んでいた、おじいちゃんおばあちゃん(他人)は、さぞやかましかったことだろう。
娘は、オッサンのせいで声がでかくなった。
オッサンの叱り方は怖かった。
平成ヒトケタ代、頭叩く…くらいのことは、余裕であった。
声のドスも凄くて、娘は一度驚いて食べていたカレーを喉に詰まらせ呼吸困難と過呼吸になった。
オッサンは、娘が猛勉強していると不機嫌になった。
「そんなに勉強してどうすんねん。」と。
勉強が大好きだった中学生の娘は、「勉強しててなんで怒られなあかんねん」と思っていた。
やがて、娘は、大学生になった。
オッサンは、「いや、いかにも…」な高級車に乗るようになっていた。
サングラスをかけて。
10歳下の従兄弟が「なぁ、オッチャンって893?」と聞いてきた。
娘は「せやで、気ぃつけや」と、答えておいた。
やがて娘は、社会人となり、ちゃんとガラの良さそうな人と結婚し、しかし何を血迷ったか、オッサンを含む自分の両親たちと同居することになった。
オッサンは、娘たち夫婦が買い換える車の色に難癖をつけてきた。
「オレの白い車の横に赤の車を止めんな!」
二世帯同居はやめときゃ良かった…と娘は後悔した。
オッサンは、孫がほしかった。
娘夫婦に「孫はまだか!お前らやることやってんのか!」とあからさまに聞いてきた。
オッサンの頭の辞書に『オブラート』という単語はないようだった。
数年後。
オッサンに孫ができた。
オッサンは、とてもまるく優しくなった。
オッサンは、孫の前では煙草を吸わなかった。
娘が孫を注意すると、オッサンは、「そんな言い方したりなや」と言う。
娘が「私のときとは全然違う!」と、抗議すると、「人は変わんねん!」と、オッサンは悪びれもせずに叫んだ。
オッサンは毎晩晩酌をする。
冷凍庫に入れたビール、冷蔵庫でキンキンに冷やしたグラス。
ビールのあとのチューハイでは、グラスいっぱいに氷を入れ、追い焼酎をして飲む。
そして、ヘビースモーカーである。
昨年暮れ、オッサンは、当然のように大きな病気になった。
今年2月に一度入院手術をし、6月にも入院手術予定である。
入院先の書類には、「趣味」を書く欄があるようで、オッサンは、「ゴルフ・スポーツ観戦・孫」と書いたそうだ。キモ。「趣味 : 孫」て。
キモイついでに「嫁」も書き足しておけ。
オッサンは、昼間一時帰宅したときに嫁がいないと、いちいち娘に嫁の行先を聞く。
嫁も先手をうって、娘にオッサンへの言伝を残していく。
オッサンは、嫁のストーカーである。
そんな荒ぶるオッサンでも、病院・手術・入院は怖くて不安らしい。
サラリーマンが首からぶら下げる名札入れを買ってきて、そこにお守りを入れ、入院中も、帰宅後も、それをぶら下げながら歩いたり寝たりする。
そしてそんな荒ぶるオッサンを荒んだ目で見てきた娘も、一応心配している。
何十年にも渡る日頃の不摂生とのバランスを考慮して、平均寿命とまではいかないまでも、まぁ、せめてあと10年ぐらいは、趣味の孫を愛でてやってくれたら…と思う。
しかしまぁ、どう振り返っても、そこらのヤンキーよりは荒ぶった人生歩んできてんなぁ、このオッサン、と感じずにはいられない。
父とのエピソードを人に話すと、「わりと強烈なお父さん」と捉えられ(おもいっきり事実ですが)、人によっては「毒親なんじゃない?」と心配されます。
そして、それについてはやはり、特に幼少期の記憶において、私自身思うところがないわけでもないです。
一方で、孫だけでなく、娘のことも不器用ながら大事に思ってきてくれた…というのも、私自身感じてきたところでもあります。
まぁ、そのへんを、おもしろおかしく昇華できたらいいかと、イキナリ思いついて書きました。
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