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見返り鬼譚《耳あり芳一外伝》【第二夜】雨吉、鬼の味を知る(連作短編)

清閑寺の女が語る、夜ごとの鬼譚。
語られるのは、祇園に生きた誰かの結末――
けれどその結末は、ひとつではない。
同じ怪異、異なる結末。
読み手の耳に委ねられた真実。
『耳あり芳一』外伝 “見返り鬼譚”、ここに開帳。


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第二夜 雨吉、鬼の味を知る




皆さま、お運びいただきましてありがとうございます。
今宵もまた、祇園の夜の怪(あや)しき話をひとつ、ふたつ。
語らせていただきますは、名もなき女にて――。

ポロン……ポロン……

さて、表題の男、雨吉と申します。
昼は乞食、夜は盗人。目つき悪く、身なりはボロ。
ですが祇園の町では、ちと有名な男でございました。

飴屋のお春、茶屋「三福」の団蔵、花屋のお花、
それから魚売りの藤兵衛――
いずれも彼の悪行に一度は腹を立てたことがあるとか。

けれども、この雨吉、ただの悪党ではございません。
なんと、鬼の味を知ってしまった――と、まぁそういうことでございます。

……ポロロン……ポロン……

ではまずは、不幸なほうの話から、始めさせていただきましょう。
用意はよろしゅうございますか? それでは……始まり始まり!

◇◇◇◇◇

あれは、ある晩のことでございました。
月もなく、風もなく、けれど妙に生ぬるい空気の夜――
雨吉は、ひとり祇園の裏路地をふらついておりました。

腹が減っておりました。
どれほど飴を舐めようが、団子を盗もうが、花を喰おうが、腹の虫は納まりませぬ。

「くそ……なにか、もっとこう……こう、身体の芯にくる、旨いもんは……ないのか……」

そうぼやきながら歩いておりますと、ぬうっと現れました、一匹の鬼。
背丈は人の倍、顔は皺くちゃ、牙は二尺。
だがその身なりはどこか飢えたる人のよう――
つまり、鬼もまた、腹を空かしていたのでございます。

雨吉は、見た。
鬼の腹が、透けていた。
そこに浮かぶのは……藤兵衛の顔、お春の白い手、団蔵の太鼓腹――

「あいつら、喰いやがったな……!」

己が憎んだ者どもを、その腹に収めている。
それが、雨吉の胸に火を点けました。

「その味、わしによこせぇええ!」

叫んだ雨吉、石を拾って投げつけた。
鬼が怒って飛びかかる。
だが雨吉、逃げぬ。いや、逃げられなかった。
鬼の手が伸びる――そのとき、

ずおぉぉおん……

と、地面が割れた。
鬼の足元から這い出たのは、さらに黒く、さらに大きな影。
そやつは――雨吉を庇うように、鬼を引きずり込んだのでございます。

その影、ひとくちで鬼を丸呑みにいたしました。

残されたのは……
雨吉の目の前に、ぽとりと落ちた、鬼の心臓。

脈打つそれを、彼は……喰らいました。

ぬるり、とした感触。
苦く、鉄くさく、けれど妙に甘い。
それはまさしく――

「う、うまい……っ!!」

雨吉、笑いました。
歯をむき出しにして、腹をさすって、
夜の祇園に響き渡る、愉悦の叫び――

「うまい! 鬼は、うまいぞぉおおお!」

それが、始まりでございました。



その夜から、雨吉の目は赤く濁り、
指は伸び、舌は二枚に割れ、
言葉は少なく、喉からは低い唸りが漏れるようになったとか。

飴屋のお春は言いました。

「最近、雨吉の背中に角が見えたような気がするんよ……」

団蔵は囁きました。

「耳がな、ふたつに裂けて、火を吹いとったぞ」

花屋のお花は泣きました。

「……みすずちゃんが、雨吉に『甘い匂いがする』って言うたのよ……!」

そう――
雨吉はもう、人ではなかった。

鬼を喰らい、鬼となり、
やがて“何か”に喰われる日を、じっと待つようになったのだとか。

そして、ある秋の夜。

団蔵の茶屋「三福」に現れた雨吉。
何も言わず、奥へと入り、団蔵の娘・お幸の肩に手をかけた。

「……あまい、あまい、匂いじゃな……」

その声は、もはや人の声ではございませんでした。

そのまま彼は……
奥座敷で姿を消しました。

残されたのは、焦げたような匂いと、壁に爪で刻まれた文字。

「くうた。もっとほしい。」

それっきり、雨吉は二度と現れなかったということでございます。

◇◇◇◇◇

……ポロロン……ロロン......

――まこと、なんとも後味の悪い話でございますが。
さあ、気を取り直して、次は少し趣向を変えましょう。

今度は、“不幸ではなかったほう”の話でございます。
ご用意、よろしいでしょうか?

では……次の段へ、参りましょう。

◇◇◇◇◇

さてさて――
あの夜と似た晩でございます。
月は出ておらず、星も雲に隠れ、祇園の裏路地には秋の湿気が漂っておりました。

雨吉はまた、ふらふらと歩いておりました。
腹が減っておりました。
だが今夜は、なんとも妙なことに、鬼の気配がどこにもない。

「つまらん……鬼でも団子でも、なんでもいい……喰わねば、死ぬ……」

目を血走らせ、舌をぬるりと出し、闇の中に獣のような足取り。
そのときです。

コロッ。

小さな音が、足元で鳴りました。
見れば、飴玉がひとつ、落ちておりました。

紅白の飴――
昔、みすずがよく配っていた、あのやさしい甘さの。

「……なんじゃ、子供の遊びか……」

舌打ちしつつも、手が勝手に拾ってしまう。
ふと、裏路地の先に、小さな影が立っておりました。

それは、
飴屋のお春の娘――みすず。

ふわり、と微笑み、
何も言わず、にっこり笑って……雨吉に、手を差し出したのです。

「……なんだ、おまえ。……逃げんのか?」

みすずは、首を横に振りました。

「……喰うぞ。わしは、もう鬼の味を知っとるんじゃぞ?」

それでも、にこり。

雨吉の手の中の飴玉が、熱を帯びました。

ぽたり。

指の隙間から、涙が落ちました。

「……ばかな……こんな、こんなもんで……」

喉が、つまったようになったのです。

「……わしが、喰いたかったのは……」

そのまま、飴玉を口に入れた――

コロッ。

――静かなる、ただひとつの音。

その瞬間、
祇園の空に風が吹きました。
空を覆っていた雲が流れ、星が顔をのぞかせた。

雨吉は……泣いておりました。

飴玉は コロ……と舌の上を転がり、やがて、ゆっくりと、溶けてゆく。

「……あまい。やさしい……味じゃのう……」

しわがれた声は、誰に語るでもなく、ただ夜に滲みました。

そのまま、裏路地の隅に腰を下ろし、肩を揺らしてうずくまりました。
擦り切れた膝が冷たい地面に触れても、それを気にする気力さえ、もう残ってはおりません。

「わしぁ……いったい、何を喰うとったんじゃ……」

指先が震えておりました。
震えはやがて、嗚咽となり、ただ静かに、ただ深く、彼の胸を打ち続けました。

そのとき。

みすずは、そっと歩み寄り――
何も言わず、ただ、雨吉の背に手を伸ばしました。

細い手のひらで、ぽん、ぽん、と、
まるで赤子をあやすように、優しく、何度も撫でました。

「……」

その手の温もりに、雨吉はさらに顔を伏せ、
声もなく泣きました。

誰かが、飴玉ひとつで救われる。
そんな夜があっても、ええのではないでしょうか。




それから数日後、
雨吉の姿は祇園から消えました。

誰も彼を見かけなくなった。
けれど……奇妙なことがひとつ。

団蔵の茶屋「三福」の奥座敷に、
ある朝ひとつの包みが置かれていた。

開けば、紅白の飴が二つと、竹の皮に包まれた小さな文。

「これで借りは返した。
甘いもんは、鬼を退ける。
……あの子は、守ってくれや。」

字はぐしゃぐしゃで、にじんでおりました。
墨か、涙か、それとも……飴の汁かは、誰にもわかりませぬ。

その日から、祇園の裏路地では、
鬼の噂も、怪異の影も、ぴたりと消えたということでございます。

◇◇◇◇◇

さて、皆さま――
同じ「雨吉」の名を冠しながら、
ひとつは鬼と化し、ひとつは鬼を捨てた結末。

どちらが真実で、どちらが幻かは、
この語りの女にも、わかりませぬ。

……ポロロン……ポロン……

ただ、耳を傾けてくださったあなた様が――
その胸のどこかで、「こちらが良い」と思う方こそが、
本当の物語だったのかもしれませぬな。

ふふ……それでは、また。

月の出ぬ夜、飴を持ってお待ちしております。

――おあとが、よろしいようで。

……ポロン……ポロン……



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