安倍家岸家考②(少年安倍晋三と祖父)
安倍晋三のメディアデビューは2歳、『毎日グラフ』(1956年12月9日号)記事「私邸はただ寝るだけ ご家庭参上 自民党幹事長 岸信介氏」に岸の孫として兄・寛信(当時4歳)とともに写っている。この頃、岸は渋谷南平台の自邸隣の高峰三枝子の留守中の屋敷を借り「箕山会」という看板を掲げ政治事務所として利用していた。その高峰邸の庭で岸と安倍兄弟が遊ぶ姿の写真が掲載されている。同じ写真が毎日新聞コラム記事のWEB版にあったので挙げておく。
荒れる子年 起きるか安倍退陣と奪権闘争 | 政史探訪 | 中川佳昭 | 毎日新聞「政治プレミア」(2020年2月16日)
これ以外にも兄弟で祖母(岸の妻・良子)にすがりつくもの、岸邸の応接間で遊んでいるもの、居間での岸家と安倍家(当時晋太郎は毎日新聞を辞める直前)の団らんなどが写っている。この団らん写真のキャプションには「信介氏の弟佐藤栄作氏の場合と同じように寛信ちゃん(左)は信介氏に似、晋三ちゃんは栄作氏にそっくり」とある。が、佐藤信二(佐藤栄作の次男)のWikipediaの佐藤家の家族写真と、安倍洋子のWikipediaの安倍家の家族写真を比べて見ても、比較に大きな意味を見いだせるほどの差異は感じられない。なお、近年の安倍兄弟は兄がメガネを外すと顔立ちは非常によく似ている。首相時代にたまに安倍晋三はメガネをかけることがあったが、メガネ姿で並べて見ると、なるほど親子兄弟であることが見て取れるほどよく似ている。
記事の他の写真説明のキャプションよれば、岸邸には信介・良子夫妻、長男信和・仲子夫妻と3人の家政婦と3人の書生で暮らしていたようだ。その写真には岸の長女の安倍洋子(晋三の母)と岸仲子が料理支度をしている姿が写っているが、この二人に起きたことについては別途後述する。
この南平台の岸邸での出来事として「アンポ、ハンタイ!」と題される有名なエピソードがある。初出は『中央公論』1987年10月号「父岸信介の素顔」(安倍洋子)。岸内閣時代のいわゆる安保闘争時のことである。以下やや長いが引用する。
「わたくしが子供たちを連れて訪れますと、デモ隊がとり巻いている家のなかで、さっそく父は孫たちと鬼ごっこに興じるのです。また、子供たちからすればデモ隊もお祭りごと、外のシュプレヒコールをまねして「アンポ、ハンタイ!」と座敷を駆け回るのを、わたしは『反対じゃなくて、賛成と言いなさい』と叱るのですが、父はただ愉快そうに見ているばかりでした。さんざんはしゃいだのち疲れて寝入ってしまった次男を膝に抱き、晩春の日差しの下、縁側に座ってデモ隊の行列をあかず眺めておりました父の後姿が、いまも目に浮かぶようです」
このくだりはほぼ同じ内容で洋子の著書(⑦p86)にも書かれている。勿論『美しい国』(p22、完全版ではp26)にもこのエピソードは載っており、多く知られるようになった。
ただ、安倍晋三が祖父岸信介との政治的因縁や運命的な関わりとして語られる少年時代のエピソードはこれくらいである。勿論、6歳の少年が一国の宰相としての祖父の決断に直接触れる機会などあろうはずもなく、語られているエピソードもささやかな思い出話に過ぎないことは言うまでもない。なのだが、安倍はこう述懐する。
「大きくなるにつれ、祖父が成し遂げた安保改定の政治的意義を知り、命をかけてまで自分の信念を貫き通した祖父の姿に尊敬の念を抱くようになった。政治家とはかくあるべしと思います。幼少時に見た祖父の姿が、私の政治家としての原点になっている」(野上①p70)
安倍が祖父を「政治家としての原点」と感じるまでに至る理由あるとすれば、それはその後の青年期を追うしかない。
因みに兄・寛信によれば、父・晋太郎からデモ隊は悪い人と聞いたことを念頭に兄弟でデモ隊に水鉄砲を撃つようなイタズラをして岸に叱られたこともあったそうである(野上①p70、青木④p222)。
祖父と孫との微笑ましいエピソードであれば他にもある。総理時代週末を箱根の老舗旅館で過ごす岸は「孫を連れてこい」と催促し、寛信・晋三と過ごすことをストレス解消にしていたそうだ(洋子⑦p98)。この旅館の池の鯉を寛信が釣りたいと言った際に岸は番頭に掛け合い孫のわがままを聞いてくれるなどもした(洋子⑦p98・寛信⑧p184)。しかし、岸は決して甘いだけの祖父だった訳ではなく、孫たちの聞き分けが悪いと蔵へ閉じ込めて反省を促すことなどもした。もっとも寛信も晋三も蔵のお仕置きには次第に慣れてしまったそうではあるが(寛信⑧p186)。
小学校に上がり、特に晋太郎が落選してからは父と母が地元山口に詰めて家を空けることが多くなったせいもあり、晋三は毎日のよう祖父の家に通い、付けさせられていた日記に特に書くことがないときは「今日もおじいちゃんの所に行きました。そして晩ごはんを食べました」で済ませていたそうである(野上①p71、久保ウメの証言)。
岸は孫晋三の運動会を観覧することもあったそうで、晋三の小学校から高校までの同級生(現在は東京都中央区が本社の会社役員)によると、晋三から祖父の話は何度も聞いたことがあり、持っていたペンについて尋ねると「お祖父ちゃんが韓国に行って、おみやげにもらったんだ」とうれしそうに答えたのだそうだ(青木④p236)。
こうした交流がどれほど「政治家としての」敬慕につながったのかは分からないが、少年安倍晋三が祖父岸信介を純粋に慕っていたことだけは間違いないようである。
(つづく)
