安倍家岸家考④(少年安倍晋三の孤独)

少年時代の安倍晋三に関する証言を総合すると「いい子」という言葉にまとめられるが、取材対象によって陰と陽があるように感じられる。
青木理の取材で安倍晋太郎の元秘書はこう回想している。
「晋三さんは本当にね、いい子でしたよ。そりゃあ子どもですから、わがままなところはありましたし、奥様(洋子)も『(いうことを)きかないのよ』とはおっしゃってましたが、ケンカをしたとは聞いてないし、お行儀が良くて、優しくて、いい子でしたね、本当にね…」(青木④p219~220)
青木の取材には小学校(成蹊学園)の同級生三名の証言があるが、三者ともほぼ同じ印象で、「勉強もスポーツもほどほどで、ごく普通の”いいヤツ”」(野崎)で、「特別な印象がな」(赤松)かった(青木④p225)という。野上忠興による同級生の取材でも「目立たない」「影が薄かった」「自分からアピールするようなことはなかった」などの証言が多い(野上①p78)。
安倍宅に遊びにいった赤松によると、「派手さは」なく、「たくさんの小遣いをもらっているというイメージもな」く、せいぜい「支持者にもらったような少し高いオモチャなどがあっ」た(青木④p232)程度であったという。家庭教師をしていた平沢勝栄(現・衆議院議員)も安倍家の質素な生活ぶりが印象的であったと述べており、「おやつにインスタントラーメンが出ることが多かったし、兄弟がつぎはぎのズボンをはいているときもあった」(野上①p74)そうである。
平沢の晋三少年の印象も同級生のそれと大きくは変わらない。学業は「悪くはなかったですよ。トップでもなかったけど」(青木④p228)と述べ、性格は「ごく普通で素直」「親の言うことはよく聞くし、私の言うことこもよく聞いた。お兄さん(寛信)に比べると負けず嫌いなところはあったけど、かわいらしかったから、親戚の女性たちにかわいがられていましたね。特にお祖父さん(岸)がものすごくかわいがっていたようです」(青木④p229)と回想している。

平沢が安倍家の家庭教師になったきっかけは近所(当時東大駒場寮にいた)で好都合だったからで、政治家の家と知らずに応募したという。条件は「子ども2人を週3回教えて9千円、食事付き」(青木④p226)、面接には晋太郎が出てきて「自分たちはほとんど山口に帰っていて東京にいなくて、近くにあまり友だちもいないから」勉強を見たあとは「適当に遊んでやってくれ」(青木④p227)と言われたそうである。このとき晋太郎は3度目の選挙で落選中であり、「月の三分の二を選挙区で暮らし、洋子も落選議員の妻として夫と行動を共にし」(野上①p61)ていた。
平沢は「時間を見つけてはキャッチボールをしたし、兄弟を連れて映画も見に行」き、夏休みには「本当の田舎を体験させてやろうと」平沢の叔父叔母がいた「合掌づくりの集落、岐阜・白川にも連れて行った」そうで、「鮎を釣って河原で焼いて食べたときなんか、晋三君は本当に喜んでいた」(野上①p74)と回想している。安倍(晋三)の当時の平沢の印象は、「勉強を教えてもらったことよりも、家に来るとどんぶり飯を思いっ切り食べている姿をよく覚えている(笑)」(野上①p74)という。
この時期の晋三少年にとって父との思い出は少なく、晋太郎死去の際の追悼文に安倍は「私は物心ついてから父に遊んでもらったという記憶がほとんどない。ただ、父が三回目の選挙で落選して東京に戻った当時、小学校二年生だった私が父にせがんでキャッチボールの相手をしてもらったのが唯一の思い出」(『故安倍晋太郎先生を偲ぶ』山口新聞社-青木④p230より孫引き)と回想している。なお、「小学校二年生」は安倍の記憶違いで晋太郎が落選したときは3年生、平沢が家庭教師になるのは4年生である。
「週刊文春」2004年1月8日号「食卓の記憶 安倍晋三」という記事で安倍は数少ない家族の団らんについて回想しているが、「時々父が東京に帰ってくると、必ずといっていいほど、その晩の食卓は"すき焼き"」だったそうである。これは母・洋子の料理を家族で食べる機会でもあり、「月に一度、父が帰ってきたときに家族で囲むすき焼きは、格別に美味しく、楽しい記憶として残っている」という。キャッチボールの相手をしてくれた当時の平沢についての安倍の印象がどんぶり飯をかきこむ姿だったということに何か意味を見出そうとするのは深読みが過ぎるだろうか。

母の愛に飢えていたと表現してしまうとあまりに陳腐ではあるが、晋三が他の多くの大人たちに世話になっていたのは事実である。そのうちの一人の池田志都子(草月会顧問理事)は岸邸に花を生けに行くことで安倍家とも縁ができた(歩いて十分ほどの距離)。そこで安倍家両親不在のときに晋三はよく「お花の先生のところに泊まる」と言いいだし(野上①p68)、池田と池田の長女との間に川の字になり、二人につかまりながら寝入ったそうである(野上①p69)。添い寝をしたがる習慣はウメに対してもあり、晋三は中学生になっても「『ウメさん、入れて』と布団に潜り込んでき」て、「部屋に戻すの」に往生したと回想している(野上①p69)。
ウメの晋三の印象は基本的には明るい。まずいたずら好きで「泣かない子ども」(野上④p66)だったという。兄弟で岸邸に遊びに行った際、庭の池の鯉に石を投げていた晋三は池に落ちてしまった。それを見て驚いた兄が泣き出したが落ちた当人はケロっとしていたそうだ。いたずらが過ぎた晋三をウメが昭和的なしつけを行っても、転んであざを作っても、迷子になっても泣くことはなかったという。ある日、父・晋太郎の私物が見当たらなくなった際、父は息子二人とウメを呼び出し雷を落とした。例によって兄は半泣きとなるが、心当たりのない晋三は「プーッと頬を膨らませて横を向いたまま」その状態を「何時間も続」け、晋太郎の方が「しびれを切らし」てしまったという(野上④p72)。成人後の人物像をどことなく想起させるものがあるエピソードであるが、「泣かない子」に共通する負けん気な性格が垣間見える。
このように晋三は親しい人物の前ではそれなりに個性的な面を見せている。ウメによれば晋三は「五、六人のクラスメイトを連れてきてはワイワイやって」おり、晋三が監督役に映画製作ごっこやるなどいつも賑やかだっだという(野上①p69)。ウメはそうした晋三について「親がいない時は必ず誰かが周りにいる生活をズーッとしてきたから、そういう習性は抜けないのでしょうね」と振り返っている。
平凡で目立たない印象を持たれがちな晋三少年の背景には自己抑制していた面もある。晋三本人も「父や祖父に迷惑をかけてはいけないという抑えた思い」が「子供心」にあったと振り返り(野上①p79)、兄・寛信も「弟は世間レベルからすると抑えていたのかもしれない」と見ており、寛信はさらに「弟よりもメチャメチャ抑えて」おり、「とにかく友達から特別視されたくないという気持ちが」強かったそうである(野上①p79)。総理経験者を祖父に持つかなり特殊な環境が大きく影響しているのは勿論であるが、両親以外の大人に常に囲まれて生活してきた子供に宿る心理というものも大きく作用していたのかもしれない。

ところでこの晋三少年の映画監督ごっこ、その後の安倍晋三の人間像に少なからぬ影響を持つことになる。母・洋子は、「晋三はよく『政治家にならなかったら、映画監督になりたかった』と言っていますが、小さいころから映画が好きでした。(中略)今でもちょっと暇があると近所のビデオ屋さんに足を運び、時には『一緒に観よう』と言って、私のところにやってくることもあります。多いのはアクション映画やサスペンス物。「いまのシーン、僕ならこう撮るな」なんて言いながら、一緒に観ているのですが、時々、私の趣味と違うことも・・・(笑)」(「文藝春秋」2003年11月号)と追想している。
これを青木理は「成人してからも母親と2人でアクション物やサスペンス物の映画を観るというのは、かなり風変わりな家庭」(青木④p224)と少し訝しむというか有り体に言えば気持ち悪がっているが、晋三は全く同じことを昭恵夫人に対しても言っている。
「主人は、映画監督になるのが夢なんですよ。DVDを見ながら、『おれだったら、こう撮るのにな』とか『このセリフはいらない』なんて言ってますよ(笑い)。だから、総理大臣を辞めて、議員も辞めた後は、映画監督に……」(NEWSポストセブン 2022.07.08
それにしても、あの安倍晋三が監督になりたかったほど映画好きであったというのは意外に思う人が多いであろう。たとえば、著書『美しい国へ』で映画について触れられているのは『ミリオンダラー・ベイビー』と『ALWAYS三丁目の夕日』であるが、映画に一家言ある人物のチョイスとして『ALWAYS三丁目の夕日』はちょっと微妙である。これは一体どういうこだわりからくるものなのであろうか。
ホイチョイ・プロダクションというコンテンツ制作会社があるが、同社代表の馬場康夫は安倍晋三とは幼稚園から始まり小・中・高、そして大学まで成蹊学園の同級生である。馬場は無類の映画好きで『私をスキーに連れてって』などホイチョイ作品の監督として有名である。因みに前述の青木理の取材に答えていた同級生の赤松とは映像翻訳会社を経営している赤松立太のことで、『三里塚に生きる』(2014年)というドキュメンタリー映画のプロデューサーを務めており、安倍の成蹊時代の同級生というのはホイチョイから三里塚まで実に多士済々である。
馬場に話を戻すが、馬場は昨年8月に映画に関する本を出すにあたってプロモーションを兼ねて同級生で映画好きでもある安倍と対談をしていた。対談の撮影は安倍が銃撃を受ける1ヶ月前の6月に行われ、お蔵入りになってもおかしくなかったが、その模様が11月にNEWSポストセブンのYou Tubeチャンネル(馬場の本は小学館から刊行)で以下のように公開された。

【 貴重映像発掘 PART1 】 安倍晋三 氏× 馬場康夫 氏「 映画談義 40分 」 母・ 洋子さん と 階段 で座って見た『マイ・フェア・レディ』の 思い出
https://www.youtube.com/watch?v=-TzaoMZlTwg
【 貴重映像 発掘 PART2】安倍晋三 氏× 馬場康夫 氏「 映画談義 40分」 妻・ 昭恵さんと『愛の不時着』を見たものの…
https://www.youtube.com/watch?v=LaOFet2t3Tg
【 貴重映像 発掘 PART3】 安倍晋三 氏× 馬場康夫 氏「 映画談義 40分 」 オバマ大統領 に『 ハウス・オブ・カード 』の話をしたら
https://www.youtube.com/watch?v=72aFvhfDAz8

この馬場の声に聞き覚えがある人もいるかもしれない。そう、90年代から20年間ほどTOKYO FMで放送されていた『サントリー サタデー ウェイティング バー』で声の大きな常連として「へー、おもしろーい」を連呼していたあの聞き役が馬場であった。全体的に軽い感じで相手の話を聞き出すのが上手いのは相変わらずである。
この対談(インタビュー)で映画監督になりたかった件について安倍は自分は「才能あるんじゃないか」と冗談めかして答えている。映画は好んで見る方であるが、家族に対して言っていたのはあくまでも軽口の範囲であることが察せられる。映画好きではあるが、一聞いて十も二十も関連知識やエピソードが次から次へと出てきて止まらないようなマニアではなく、娯楽の延長線上にある程度のことであった。
映画は自宅から近い渋谷で見ることが多く、子どもの頃は『101匹わんちゃん大行進』『メリー・ポピンズ』などのディズニー作品をよく見たという。平沢勝栄にも連れて行ってもらったように、同行者は周囲の大人のことが多かったと思われるが、母・洋子と『マイフェア・レディ』を階段に座って見た思い出も語っている。
インタビューでは『ALWAYS三丁目の夕日』についても触れている。好きな作品であることは間違いないようで、『美しい国』にも書かれていたように吉岡秀隆演じる売れない小説家茶川が小雪演じるヒロミへのプロポーズの指輪が買えずに箱だけを差し出し、ヒロミに見えない指輪をはめるシーンがお気に入りであるようだ。このシーンについてある女性議員とその良さについて全く話が噛み合わなかったエピソードなどのジョークも交えているが、それはある種の照れ隠しで、安倍がこの作品が好きな理由は他にあるのではないかと思われる。
ここから先は筆者の勝手な深読みであることをお断りしておくが、安倍が『ALWAYS三丁目の夕日』に共感しているのは茶川ではなく、茶川に世話になることになる少年・淳之介(須賀健太)であったはずだ。淳之介は母に捨てられ、知人であったヒロミに引き取られるが、ヒロミは言いくるめて茶川にあずけてしまう。淳之介は向いの鈴木オートの息子一平とともに母に会いに冒険を試みるが訪問先で拒絶されるなどの体験を経て、近隣の暖かく緩やかなコミュニティの中で成長して行く。そこに実父を名乗る会社社長(小日向文世)が現れ、淳之介を引き取ると言ってくるが…という展開で物語は進んでいく。親の愛に飢えながらも近隣の大人(と友人)に囲まれながら楽しい日々を過ごす淳之介に安倍が何も感じない訳がない。
『美しい国』の三丁目の夕日の節の一つ前には父・晋太郎のことが書かれている。晋太郎の父・安倍寛(晋三の祖父)は晋太郎が大学生のときに51歳で急死した(1946年)。
「顔も知らない実の母親を探し歩いたが、再婚先でとうの昔に亡くなっていた。母親代わりだった大伯母も、寛のあとを追うように亡くなった。このとき、わたしの父は、天涯孤独も同然の身の上になったのだった。だから私の父は、母親の愛というものを知らない。『わたしは、ずっと母親が欲しかった』とよくいっていた。親がいなければ、どんな人間でも淋しい思いをするものだ。」(『美しい国』p218-219、新版p220-221)
晋太郎に比べれば実母がいる晋三ははるかに幸せであろう。しかし、そうした父の喪失感を理解しつつも、少年時代に父の選挙活動で母との時間を奪われた晋三の気持ちは複雑である。寂しさを紛らわす監督ごっこ以降、好んで見ていた映画であるが、成人して政治家となった頃に出会った『ALWAYS三丁目の夕日』は単なるノスタルジー以上の特別のものであったことは想像に難くない。

明るく振る舞いながらもふとしたことで孤独が垣間見える晋三少年であるが、この抱えている孤独と両親への思いはどのように変質して行くのか。それは次回以降で追々触れていくことにする。
つづく


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