安倍家岸家考⑤(少年安倍晋三のこだわり)

中学高校の安倍少年も変わらずこれといって目立った評判は同級生からは上がらない。
中高学時代、晋三は地理研究部に所属していたという。同じ部の同級生によると、父親(晋太郎)が剣道をやっていた影響か「小学校で剣道部をやって、中学でも剣道部に入ったんですけれど、練習が大変だったので2人で一緒に辞めちゃって、地理研究部に入った」(青木④p233-234)そうである。特別に地理に興味があった訳はでなく、「日本のいろんなところに行ってみたいよね」(青木④p234)程度の動機であったという。成蹊学園の部活動事情は分からないが、とりあえず何か部活には所属しておかないと、というときにありがちな選択である。剣道の腕前は「ごく普通」(青木④p234)であったという。
そんな晋三の高校時代に一つだけ有名なエピソードがある。『美しい国』にも書かれた自慢の武勇伝である。該当部分を引用してみる。

 高校の授業のときだった。担当の先生は、七〇年を契機に安保条約を破棄すべきであるという立場にたって話をした。クラスの雰囲気も似たようなものだった。名指しこそしないが、批判の矛先はどうもこちらに向いているようだった。
 わたしは、安保について詳しくは知らなかったが、この場で反論できるのは、わたししかいない。いや、むしろ反論すべきではないか、と思って、こう質問した。
「新条約には経済条項もあります。そこには日米間の経済協力がうたわれていますが、どう思いますか」
 すると、先生の色がサッと変わった《岸信介の孫だから、安保の条文をきっと読んでいるに違いない。へたなことは言えないな》ーそう思ったのか、不愉快な顔をして話題を変えてしまった。(『美しい国』旧版p20-21、新版p24-25)

このエピソードが初めて世に出たのは野上①であるが、ここでも証言は晋三本人であり、この筋立てはあくまでも発言当事者の記憶によるものである。別のクラスの同窓(池田)によると「安倍が安保の問題で教師をやりこめたらしい、という噂はあっというまに学内に広が」り、「尾ひれもついた」(野上①p93)という。
しかし、先述の同じ地理研究深部だった同窓は同じクラスメイトとして記憶しており、「彼(晋三)が、先生の言っていることについて『ちょっと違うと思います』というふうに言ったのは一応覚えていますが、先生に指されて答えたんじゃなっかたかな……。いずれにしても、そんな大した話じゃありませんよ。彼が総理大臣になってから有名になって、いろいろ脚色されて、都市伝説みたいになっちゃった(笑)」(青木④p238)と証言している。
こうなると相手の言い分も聞かねばなるまい。青木はこの時倫理社会を担当していた青柳知義に取材している。青柳の記憶によると(以下青木④p239)、その頃は時代もあり「最大の権力悪は戦争である」という趣旨で安保の話は授業で「毎年してい」たという。そこで晋三が「立ち上がり、早口で」「経済協力協定」の話を青柳に問うた。青柳は「安保条約の柱は軍事協力協定であり、経済協力協定はこれに付随するものだ。両者は相容れない」と答えたが「安倍くんは不満そうで」「周囲の生徒がひそひそと話をはじめ、議論はそこで終わ」ったという。
晋三の語るエピーソードとの食い違いを青木が問うと、「青柳はうんざりした表情で」「勝手にそう思っていればいいんじゃないですか」(青木④p239)と突き放した。青柳の学生としての晋三の評価は「特別に優秀だったり、特別にずっこけていた生徒ではありませんでしたし、真面目な生徒でした。(担当教科の成績も)ほどほどの評価をしたような気がします」(青木④p239-240)としている。ここでも晋三自身の印象は薄い。一貫して普通である。
そもそもこのエピーソードであるが、当時晋三は「条文がどうなっているのか、ほとんど知ら」ず、「祖父」から経済条項が「日本の発展にとって大きな意味がある、と聞かされていたので」「突っかかってみたまで」(『美しい国』同)という程度のことであることを認めている。しかし、日頃感じていた「革新とか反権力を叫ぶ人たち」に対する懐疑が「この先生のうろたえぶり」から「決定的」なものになったというのだ。青柳はこの時本当にうろたえたのか、もしくは晋三の思い込みなのか、そこは水掛け論になってしまう。しかし、高校生の晋三にとっての政治的なこだわりとは、大好きな祖父の政治的世評を気に気にするところから始まっていることだけは間違いない。問題はそこから何か発展があったか、である。
高校時代の同級生(金子)によると(以下青木④p237)、晋三はふいに安保条約は「50年経ったら必ず評価される」と言ったことがあるという。ただ、普段から晋三と政治談義などすることはなく、「ふとした瞬間に」「熱弁をふるう」訳でもなく言っただけのことであった。因みにこの50年云々は晩年の岸信介がよく言っていたことでもあり、「単なる岸の受け売りと見るのが自然」(青木④p241)だろう。
野上が取材した同級生(谷井)は当時の晋三について「日本はなぜこれほどに豊かになっていったのか、それは日米協調路線、つまり安保体制が間違っていなかったからだというのが彼がいつも強調するポイントでした。普段はおとなしかったが、そうした議論になると俄然自分の主張を明確にし、絶対に曲げない。いつも最後は皆を黙らせていました」(野上①p93-94)と証言している。やはり高校時代までの晋三にとって語るべき政治とは祖父と安保がすべてであったようである。
意地悪な感想だが、要は南平台の「アンポ、ハンタイ!」から何も変わっていない、ということになる。政治一家(一族)に生まれ育った高校生としてこれはこれで十分に微笑ましいエピソードであるが、最も身近であるはずの父親を素通りして、政治に目覚めるきっかけが祖父への敬愛だけで説明がつくものなのだろうか。ここはもう少し掘り下げる必要がある。
つづく


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