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あの夏の空は、やっぱり青かった。 |季節のかけら#3

高知の夏の日差しは、痛かった。

そんなことを思い出したのは、
久しぶりに昔の写真を眺めていたからだった。

暑い、というよりも、
肌に刺さるような強さだった。
外に出て洗濯物を干しただけなのに、
腕が真っ赤になって、
あとから痒くなることもよくあった。

あの土地を離れた今でも、
夏になると、ときどきあの日差しを思い出す。
そして、不思議なことに。
あの強い日差しと一緒に思い出すのは、
とても鮮やかな色ばかりだ。

高知の夏は、空が青かった。
澄み渡る青い空に、夏らしい白い雲。
私はよく、空を見上げていた。

昔の写真を探していたら、
青い空と小さな白い雲だけを写した
一枚が出てきた。

何か特別なものが写っているわけではない。
それでも写真に残したくなるくらい、
あの日の空がきれいだったのだと思う。

高知の夏は、朝も好きだった。

鳥の声や、蝉の声で目が覚める。
窓の向こうでは、
もう夏の一日が始まっている。

ある年、庭にひまわりを植えた。
何かを植えて、育ててみたい。
そんな気持ちで種を買いに行った。

お店には、ひまわりだけでも
いろいろな種類が並んでいて、
その中からパッケージに惹かれたものを選んだ。

土に種を蒔いて、小さな芽が出るのを待った。
芽が出た。

葉が増えた。
少しずつ背が伸びた。
蕾ができた。

そして、黄色い花が咲いた。

今になって写真を見返すと、
そのひとつひとつを、
私はずいぶん丁寧に写真に残している。
最後には、庭の細長い花壇いっぱいに、
ひまわりが咲いた。

高知で暮らすようになってから、
「今日は何を楽しもう」と考えることが増えた。

種を蒔いてみる。
花が咲くのを待ってみる。
きれいな空を見つけたら、写真を撮る。
暑い日には、川へ行く。

そんなふうにして、私は毎日の中に、
小さな楽しみをひとつずつ増やしていった。

そして、
高知の夏といえば、やっぱり川だった。

夫と二人で行くこともあれば、
親しい人たちと出掛けることもあった。

川に着いたら、冷たい水に足を浸す。
ときには岩の上から、
思い切って水の中へ飛び込む。
真夏の日差しの下なのに、
川の水はひんやりと冷たい。

底の石まで見えるほど透き通った水。

太陽の光を受けて、
水面はきらきらと輝いていた。

あの頃はそれがすぐそばにあることを、
特別だとは思っていなかった。

高知を離れてからだった。
あんなにも自然が近くにあったのだと気づいたのは。

昔の写真を眺めていると、
今の私とあの頃の私が、
少しだけ重なって見える。

今の私は、
季節の小さな変化を見つけることが好きだ。

花が咲いたこと。
空の色がきれいだったこと。
その季節にしか味わえないものに出会ったこと。

そんな小さな「季節のかけら」を拾いながら暮らしている。
でもそれは最近始まったことではなかったのかもしれない。

高知で暮らしていた私も、
種を蒔き、芽が出たことを喜び、
空を見上げ、川の水に触れて、
自分の暮らしの中に、
小さな楽しみを見つけていた。

高知を離れて、はや二年。
離れたばかりの頃よりも、
今のほうが、あの場所が恋しい。
また、訪れたい。

あの川に足を入れて、
ひんやりとした冷たさを感じたい。
水面に散らばる光のきらきらを、
もう一度浴びたい。
土佐の人たちの温かさにも、触れたい。

写真の中には、
私が拾っていた夏が、ちゃんと残っていた。

あの夏の空は、やっぱり青かった。


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