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お金も成功もあるのに、なぜ満たされないのか——しあわせの本質を再定義する

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しあわせって、何ですか?

唐突ですが、聞かせてください。

「あなたにとって、しあわせって何ですか?」

そう聞かれて、即答できる人はどれくらいいるでしょうか。

「お金があること」「家族がいること」「健康なこと」「成功すること」——人によって答えはバラバラだと思います。でも、それを答えた後に「本当に自分は今しあわせですか」と聞かれたら、どう答えますか。

私は作業療法士として16年、特別養護老人ホームで人生の最期に立ち会う仕事をしてきました。100人を超える方の看取りに関わってきた経験から言えるのは、しあわせの正体は、世間で言われているものとは少しズレているということです。

今日は、その「ズレ」について、私なりに書いてみようと思います。


一般的に言われる「しあわせの定義」を、まず疑ってみる

世の中には「これがあればしあわせになれる」と言われているものがたくさんあります。お金、成功、健康、家族、承認。どれも確かに大切なものです。

でも、本当にそれがあればしあわせになれるのでしょうか。

「収入が増えればしあわせ」は本当か

私は過去の記事でも書きましたが、年収を約50万円下げて転職をした経験があります。普通に考えれば、収入が下がるのは「しあわせから遠ざかる」選択のはずです。

でも、実際は逆でした。むしろしあわせの度合いは、はっきりと増えたのです。

なぜか。それは前の職場で、私は自分の良心を削りながら働いていたからです。「こんな支援をしたくない」という本音を押し殺し続けて働いていました。給料は確かに高かった。でも、毎朝出勤するときに胃が重くなる感覚は、お金では消せませんでした。

50万円を手放した代わりに、私が得たのは「自分の信念と一致する仕事ができる場所」でした。利用者様の名前を呼んで、表情を見て、その人らしい暮らしを支える——そういう当たり前のことが当たり前にできる職場です。

お金は確かに大切です。生活には一定のお金が必要だし、欲しいものを手に入れる手段でもある。これは否定しません。

でも、お金で買えないものは、思っているよりずっと多いのです。

「成功すればしあわせ」は本当か

これは、以前関わった、ある方の話です。

その方は、いわゆる「成功者」と呼ばれる人でした。お金もある、地位もある、名誉もある。客観的に見れば、誰もが羨むような生活をされていました。

でも、その方の表情を見ていて、私はずっと違和感がありました。

家庭の中ではある種の不自由を抱え、その反動なのか、自分の領域では権力を振りかざしてしまう。小さなことで不機嫌になり、些細なことで人を責める。

そんな姿を見て、私は思うのです。

本質的にしあわせを感じている人は、小さなことで不機嫌にはならないのではないか、と。

満たされていない人ほど、外側を派手に飾る。満たされていない人ほど、自分より下の立場の人間に強く当たる。そうやって、自分の中の空洞を埋めようとする。

地位も名誉もある。でも、それと「しあわせを実感している」かどうかは、まったく別の話なのです。

「認められればしあわせ」は本当か

これはアドラー心理学の話になりますが、承認欲求が強い人は、他者からの評価で自分を満たそうとします。それで一時的にしあわせを感じることはあるでしょう。

でも、その先に何が残るのか。

評価は他人がくれるものです。他人がくれるということは、他人の気分次第で消えるということでもあります。今日「いいね」と言ってくれた人が、明日も同じことを言ってくれる保証はない。フォロワーが増えたら嬉しい。でも減ったら悲しい。賞をもらったら誇らしい。でも次に落選したら惨めになる。

承認を追いかけ続けるしあわせは、常に他人の手の中にしあわせの鍵を預けている状態です。

それはたぶん、本当のしあわせとは違う。


そもそも「しあわせ」とは何だったのか——語源を遡る

「しあわせ」という日本語の語源を、調べてみたことがあります。

「しあわせ」は、動詞の「為(し)る」と「合わせる」が結びついた「為し合わせ」が由来だそうです。つまりもともとは、**良いも悪いもない「めぐり合わせ」**を意味する言葉でした。

時代を経て、そのうちの「良いめぐり合わせ」だけを「しあわせ」と呼ぶようになり、現代に至っています。

私はこの語源を知ったとき、すごく腑に落ちました。

特養で看取ってきた100人以上の方々を見てきて思うのは、人生は本当に「めぐり合わせ」だということです。健康な人もいれば、若くして病に倒れる人もいる。穏やかな最期を迎える人もいれば、苦しみの中で旅立つ人もいる。

それは努力でどうにかなることばかりではありません。本人の責任でもない。ただ、そういう「めぐり合わせ」なのです。

だから私は、しあわせとは「掴み取るもの」ではなく、気づくものだと思っています。今この瞬間に与えられているめぐり合わせの中に、しあわせを見出せるかどうか。


脳科学が教えてくれる、3つのしあわせ

少し角度を変えて、脳科学の話もしておきます。

しあわせを感じるとき、脳の中では3つの神経伝達物質が関わっていると言われています。セロトニン、オキシトシン、ドーパミン——いわゆる「3つの幸福ホルモン」です。

セロトニンは、心身の健康から生まれるしあわせです。朝日を浴びる、よく眠る、適度に運動する。そういう基本的な営みから出てきます。

オキシトシンは、つながりから生まれるしあわせです。家族と過ごす、信頼できる仲間といる、ペットを撫でる。そういう関係性の中で分泌されます。

ドーパミンは、達成と報酬から生まれるしあわせです。お金、成功、評価、地位——これらを得たときに大量に分泌されます。

ここで重要なのは、3つには優先順位があるということです。

セロトニン(健康)とオキシトシン(つながり)が土台にあって、その上にドーパミン(成功)が乗っかる。土台がぐらついている状態でドーパミンばかり追いかけても、いくら稼いでも、いくら成功しても、満たされません。

先ほどの「成功者」の方の話を思い出してください。お金も名誉もある。でも、満たされていない。これはたぶん、ドーパミンばかりが大きくなって、セロトニンとオキシトシンが足りていない状態なのだと思います。

世間が「しあわせ」と呼んでいるものの多くは、実はドーパミン的なしあわせです。わかりやすくて、刺激的で、でも、すぐに慣れる。だからもっと、もっと、と追いかけてしまう。

私が50万円を手放して得たものは、たぶんセロトニンとオキシトシンのほうでした。胃の重さがなくなり、よく眠れるようになり、信頼できる仲間に囲まれて働ける。そういう「土台の安定」が、しあわせの実感を底上げしてくれたのです。


アドラーの言葉で、もう一度言い換えてみる

アドラー心理学に「共同体感覚」という言葉があります。これは、人がしあわせを感じるための最大の条件とされていて、3つの要素から成り立っています。

「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」——この3つです。

私が50万円下げて転職をしたとき、得たものはまさにこの3つでした。

自己受容は、自分を偽らなくていい環境です。以前の職場では、自分の良心に反する場面を見て見ぬふりをしながら働く必要がありました。それは自己受容とは真逆の状態です。今の職場では、「その人らしい生活を守る」という自分の信念と、目の前の仕事が一致している。だから、ありのままの自分でいられる。

他者信頼は、「ここは安全な場所だ」「周りは仲間だ」と思える感覚です。穏やかなケアが実践されている場所へ移ったことで、目の前の人たちに対して、純粋な気持ちで向き合える土台が整いました。

他者貢献は、「自分は誰かの役に立っている」という主観的な実感です。利用者様からの直接の「ありがとう」、安心した笑顔、そして長く働くうちに仲間から頼りにされる経験。こういう手触りのある実感が、最も強力なしあわせの源泉になります。

アドラーは、しあわせの正体は「貢献感」だと言いました。他者に貢献できているという主観的な感覚こそが、人を満たすのだと。

これは、お金でも地位でも評価でも代替できないものです。

つまり私が手放した50万円は、自分の心が安全に呼吸できて、心から「誰かの役に立っている」と実感できる共同体感覚——本当のしあわせを買い戻すための、適正な対価だったのです。


私が今、しあわせを感じられる理由

ここまで理屈を並べてきましたが、最後に少し、私自身の話をさせてください。

これは今まで、noteには書いてこなかったことです。

私は18歳のときに、脳腫瘍で頭の手術を受けています。

当時の私はまだ作業療法士でもなく、医療の知識もありませんでした。ただ「頭を開いて腫瘍を取る」と言われ、自分の頭の中で何が起こっているのか、これからどうなるのか、まったくわからない状態で手術台に乗りました。

「このまま死ぬのかもしれない」 「治ったとしても、また再発するんじゃないか」 「自分の人生はここで終わるのか」

そういう恐怖の中に、ずっといました。

幸い手術は成功し、私は今こうして生きています。でも、あのときの「失うかもしれなかった」という感覚は、今も体のどこかに残っています。

その後、社会人1年目で激しいパワハラに遭い、何度も転職を繰り返しました。「自分はどこへ行っても続かないのではないか」「働くことに向いていないのではないか」と、何度も自分を責めました。

そういう人生を歩んできて、今38歳になりました。

そんな私が、今、何にしあわせを感じているか。

夜、娘が眠った後に、妻と二人で「今日はあんなことがあった、こんなことがあった」と他愛もない会話をする時間。それだけで、十分満たされている自分がいます。

娘と遊んだ何でもない時間。週末に家族で出かけた先で見た、特別ではない景色。妻と並んで、ただそこにいるだけの瞬間。「おかえり」と娘が走ってきてくれる、ほんの数秒。

1日1日が、かけがえのないものだと、本当に思えるのです。

これはたぶん、一度「失うかもしれなかった日常」を知っているからこそ感じられる感覚なのだと思います。

18歳の手術台の上で、私はこういう未来を想像できていませんでした。結婚して、子供がいて、信頼できる職場で働き、夜に妻と笑いながら話せる日常——あの頃の私には、ここまで来られるとは思えていなかった。

だからこそ、今この瞬間に与えられているめぐり合わせの中に、しあわせを見出すことができる。

しあわせは、お金や成功や評価の先にあるものではなく、今ここに、すでにあるものなのだと、私は思っています。


おわりに——あなたのしあわせは、何ですか?

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

「お金があればしあわせ」「成功すればしあわせ」「認められればしあわせ」——世間が言う方程式を、私は今日、いくつか疑ってみました。

それらが間違いだと言いたいわけではありません。人によって何を重視するかは違っていい。お金を追いかけることが本当にしあわせな人もいるでしょう。成功を求めることで生きる力が湧く人もいるでしょう。

ただ、もし今あなたが「持っているはずなのに満たされない」と感じているなら、一度立ち止まって、自分のしあわせの定義を疑ってみてもいいのかもしれません。

世間の定義ではなく、あなた自身のしあわせは、どこにあるのか。

それはきっと、追いかけるものではなくて、もうすでにあなたの周りにあるものです。気づくか、気づかないか。それだけの違いなのだと、私は思っています。

最後に、あなたに聞かせてください。

あなたのしあわせは、何ですか?

よかったらコメントで、教えてください。


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【著者プロフィール】

作業療法士16年目|特別養護老人ホーム・ユニットケア勤務|元認知症ケア指導管理士|HSP・ISFJ|妻と娘との3人暮らし

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