言葉をならべて、生きていく~私は言葉で、言葉は私でできている
私は、これまで自分の内側に蓄えた「言葉」でできています。
そして逆に、こうも思うのです。
私が発する「言葉」は、これまでの「私」でできている、と。
今まで読んできた本、通りすがりのポスターの一文、
そして、自分の中に積み重なってきた感情や記憶、
それらすべてが、今、私が書く言葉の源になっている――
今日は、そんな「言葉」と「私」の関係について、
記憶を遡りながら綴ってみたいと思います。
「言葉をならべる」ということ
「ただ言葉がならんでいるだけなのに。」――
これは、2007年の集英社文庫「夏の一冊(ナツイチ)」の
キャッチコピーです。
あの頃の集英社文庫は、
このコピーを元に『ことのは』という曲を作ったり、
蒼井優さん主演で超短編映画(PV)を撮ったり、
かなり攻めていた印象があります。
このコピーを初めて読んだとき、私は、
「うーん、うまいこと言うな」
……などと落ち着いてはいられませんでした。
もっと、直接的な衝撃がありました。
頭を文庫の束で思いっきり殴られたような――
もう、「そのとおり!」としか言いようがありません。
本の中身って、ほんとに「言葉」がならんでいるだけ。
ただの文字、つまり「記号」の羅列にすぎません。
……なのに、私たちは本に泣き、
人生の分岐点で、本に背中を押され、
ときには、たった一冊の本によって、
まるごと「生き方」を変えてしまうことさえあります。
それは、当たり前といえば当たり前で、
本を読む人なら誰でも知っていることです。
でも、それを
「言葉がならんでいるだけなのに」って……
そんなこと、考えたこともありませんでした。
言葉なんて、ただの音。
文字なんて、ただの記号。
でも、そのならび方ひとつで、
誰かの心を救ったり、未来を照らしたりできる。
そのことを、このコピーは、
こんなにも静かな言い回しで表現しているのです。
しかも、出版社のコピーなのに、
「すごい言葉がならんでいます!」ではなくて、
「ただ言葉がならんでいるだけなのに。」と、
あまりにも控えめな言い回しで。
そこも凄みを感じるところです。
思えば、このコピー自体「ただ言葉がならんでいるだけ」。
――なのに、私は今でも、このコピーが忘れられません。
ふとした瞬間に、この言葉が脳内で再生されます。
「ただ言葉がならんでいるだけなのに。」
その言葉が、20年近く、心の奥に居座り続けて、
「言葉をならべる」とはどういうことなのか、考えさせるのです。
私は、出会った言葉でできている
『ことのは』という曲の歌詞には、こんな一節があります。
ことばことばことのは
ただ言葉が並んでいるだけなのに
それは涙をこぼさせる
それは生きていこうかなって気持ちにさせる
それは温かかったりする
ただ言葉が並んでいるだけなんだけど
ならんでいる言葉は、どの本を開いても、どれも違います。
同じ言葉の組み合わせは、二度とあらわれません。
そして、同じ本を読んでも、
読む人が違えば、響き方も違う。
同じ人が読んでも、年齢や季節や状況によって、
まったく違うように感じることもあります。
それって、本を読んでいる人の感性が、
「本にならんでいる言葉」と共鳴している、
ということではないでしょうか。
だから、私は思うのです。
私は、今まで読んだ言葉でできている、と。
それは単なる影響とか、読書量とか、そういう話じゃありません。
私という存在の中に、
たしかに「言葉の地層」があるのです。
今の自分をつくっているのは、
いったい、いくつの「ただの言葉」だったのでしょうか。
手紙の、たった一行のメッセージ。
本の中に出てきた印象的な言い回し。
歌詞のワンフレーズ。映画のセリフ。
通りすがりの広告のキャッチコピー。
そんな言葉が、私の中に沈殿し、発酵し、
忘れた頃にかたちを変えて、
私の「思考」や「価値観」や「反応」を作っている――
たぶん私は、自分が思っている以上に、
言葉からできているのだと思います。
だから、私は今日もまた、本を開きます。
ならべられた言葉たちに、静かに耳を澄ませます。
「ただ言葉がならんでいるだけなのに。」
その奇跡を、何度でも味わうために。
言葉以外の「言葉」をならべる
大学生の頃、強烈に印象に残った言葉がありました。
それは、『ロストワールド』(手塚治虫)の巻末、
赤塚不二夫氏のインタビューで紹介された、手塚先生の言葉。
手塚先生は、漫画家を志すトキワ荘の若い面々に
次のようにアドバイスしたそうです。
一流の映画を観なさい。
一流の本を読みなさい。
一流の芝居を観なさい。
一流の音楽を聴きなさい。
つまり、
マンガからマンガを学ぼうとしてはいけない、という話です。
当時の私は、漫画家になるつもりも、
作家になる予定もありませんでした。
でも、「クリエイターとして生きていきたい」
「何かを創る人でありたい」とは考えていました。
だからこそ、この手塚先生の言葉は胸に刺さったのです。
この言葉を読んだ私は、
「なるほど、言葉だけを読んでいても、
言葉は豊かにならないのかもしれない」と思いました。
大学時代、幸いにも、自由な時間はたっぷりありました。
私は意識的に、本を読み、音楽を聴き、映画を観ました。
美術の展覧会に足を運び、落語やライブにも行きました。
私は、今でも、このような「インプット」を続けています。
もちろん、それは単なる「趣味」ではあるものの、
その背景に、手塚先生の教えがあったことは間違いありません。
ところで、同じく大学生の頃に出会い、
目を見開かされた本があります。
詩人・長田弘の『世界は一冊の本』という詩集です。
書かれた文字だけが本ではない。
日の光り、星の瞬き、鳥の声、川の音だって、本なのだ。
さらに、次のような一節も。
シカゴの先物市場の数字も、本だ。
ネフド砂漠の砂あらしも、本だ。
マヤの雨の紙の閉じた二つの眼も、本だ。
手塚先生が「ジャンルを超えた芸術から学べ」と教えてくれたのに対し、
こちらは、「世界そのものが本である」と気づかせてくれました。
世界そのものが「本」であるならば、
目で見るもの、耳で聞くもの、心で受け取るもの、
それらすべてが、私の「言葉」になっていくということです。
本だけ読んでいても、言葉は深くなりません。
むしろ、本に書かれていないもの
――風、沈黙、まなざし、光、時間――
そういったものを、ちゃんと味わい、体験すること。
それこそが、言葉を支える“重み”になるのだと思います。
いい言葉を書きたいなら、
まずは「いい世界」を読むこと。
行動し、体験し、見聞を広げること。
「言葉をならべる人」になるには、
まず、自分の中に言葉をならべること。
そのためには、
「言葉を超えたもの」からのインプットこそが必要なのです。
言葉は、これまでの私でできている
私が紡ぐ言葉は、突然どこかから湧いてくるものではありません。
それは、私がこれまでに出会ってきた、たくさんの出来事、
それに対して感じてきた気持ち――
そういったものが少しずつ蓄積されて、
やがて、かたちを変えて表面に浮かび上がってきたものです。
嬉しかったときの高揚感。
悲しみに沈んだ夜の静けさ。
誰かにかけてもらった、優しくて忘れられないひと言。
あの日感じたこと。
あのとき黙って飲み込んだこと。
どれも、今すぐ言語化できるわけではないけれど、
心の奥に、ずっとしまわれていたもの。
それらが、時間をかけて熟成されて、
やがてある日、「言葉」としてあらわれます。
私が自分の外側に向かって「ならべる言葉」には、
私自身の人生が、確かに染み込んでいるのです。
たとえ、それがたった一文だったとしても。
ほんの短いメッセージだったとしても。
そこには「これまでの私」のかけらが、
必ずどこかに宿っている。
人はよく、「自分らしい文章が書けない」と悩みます。
でも、「自分の言葉」というのは、
頭で組み立ててつくるものではなく、
生きてきた中から、自然ににじみ出てくるものだと私は思います。
そのにじみ出たものを、
丁寧にすくいあげ、かたちを与えていくこと。
それが、「書く」=「言葉をならべる」の正体なのかもしれません。
うまい文章でなくてもいい。
大切なのは、
自分の内側にあるものと、きちんと向き合うこと。
それを、自分の言葉でならべてみること。
だから私は今日も、
自分の中にある「これまで」をたぐり寄せながら、
言葉をひとつずつ、静かにならべていきます。
これは、私の人生をもう一度、
別のかたちで、生き直すような行動でもあるのです。
言葉をならべて、生きていく
私は、クリエイターとして生きていきたいと思っています。
といっても、誰かと競いたいわけではありません。
華やかなスポットライトの下に立ちたいわけでもありません。
ただ、私の中にある言葉を、
自分の言葉として、大切にならべていきたいのです。
これまで私は、たくさんの言葉を読んできました。
言葉以外からも、たくさんのインプットを重ねてきました。
でも、それだけでは、
「自分の中に言葉を貯め込んでいるだけの人」にすぎません。
自分の内側にならんだ言葉を、
外側――誰かに届くように、もう一度ならべ直すこと。
それが、「言語化」という行為です。
言語化されないかぎり、
自分の内なる言葉は、誰かに届くこともなければ、
自分自身も、きちんと受け取ることができません。
思うに、「言語化する」というのは、
ただ説明することではありません。
自分の思いを、言葉のかたちにして、
外の世界とつなぐこと――
そして、自分自身とつながり直すことでもあるのです。
自分の内側にならべてきた言葉たちを、
自分の外側にならべてみる
――それがきっと、私なりの「生き方」になるはず。
だから私は、これからも書き続けていきます。
自分の内なる言葉を「言語化」するために。
言葉をならべて、生きていくために。
<関連note>
たくさんのnoteの中から、私の記事を見つけて読んでいただき、
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