🌱noteを始めてからの気づき
若い頃、大好きだった彼女に別れを告げられて以来、心の奥底に封印したはずの思い出や感情が、ちょっとした事をきっかけに、堪らなく溢れることがある。「時が解決する」とかいうが、何年経っても全然…。
それが、ここ数年特にヒドイ。
もう一人の自分が「そういう歳なのだ」とか「今の自分が当時を超えてないから」「思い出は良く見えてしまうから」など言い聞かせるが一向に治まらない。
自分でもわからない。
で、SNSとか本とか、ネット情報とか、この精神状態に当てはまる手掛かりを探して手当たり次第に調べ、読みあさった。もはや病だ。
と同時に、長年慢性化した、どんよりしたこの気持ちから少しでも楽になれないか考え、時にはAIに尋ねてみたりもした。
そこで辿り着いた答えの1つが、これまで誰にも打ち明けずに抱えた感情や思い出をnoteに投稿し、自分をさらけ出すこと。そうすることで、新しい自分に期待してみよう、というものだった。
今年7月の投稿を皮切りに、思い出が込み上げる毎に拙い文章で投稿してきた。
誰かに面と向かって話しているわけでもないのに、苦しい胸の内を聞いてもらっているような不思議な感情が芽生え、「スキ」をポチッてもらえたりすると救われた気持ちになる。更にアクセス数が増えていたりすると、その数と同じ人数に悩みを聞いてもらったような錯覚を起こす。本当にありがたい限りだ。
また、思い出の1つ1つに都度都度向き合うことで、投稿の度に気持ちも整理され、思い出の場面場面を俯瞰で振り返ることも、少し出来始めた。
そして気づいた…
僕が今日まで悩み続け、モヤモヤしていたのは、別れ際、僕が彼女に「好きな人ができたの?」と尋ねたら否定され、最後の最後に僕の耳元で「愛してるよ」と言われたことなのだ、と。
それは彼女の本心だったのか、優しい嘘だったのか…。でもきっと、僕が彼女にのめり込み過ぎて、何もかもうまくいかずにドンドン堕ちていく姿に、このままでは僕がダメになると思った彼女が身を引いたのかなって、(間違ってるかもしれないけど)思い始めた。
それもこれも、noteをきっかけに、鮮やかな思い出の陰で、これまで思い出すことがなかった、ちょっとしたことや言動までも鮮明に思い出すに至ったからだ。
なのに、僕は当時、あまりに辛くて、新しい環境にも引きこもってしまったり、気晴らしに釣りに行ってみても、無意識に海に身を投げてしまったこともあった。
そして、その晴れない気持ちは今日までずっと…。
どこまで鈍感なんだろうか。
もう30年以上も前のことを、50を過ぎたオッサンが何を言ってるんだろう。そして、気持ちの整理にどこまで不器用なのか。今更手遅れだって思うけど、これからもnoteに力を借りて、死ぬまでに何とか昇華させたいと思う。
彼女は元気にしてるのかな…。
